47 Fact 【事実】

47 Fact 【事実】



季節が真夏を迎える頃、『ブランカ』のCMが完成した。

最初の上映会では、広報部員たちから拍手がおこり、

奏でられた『愛の夢』に悠菜も納得する。

綾音の残してくれた音色は、優しさの中に強さや激しさも感じられた。


「よかったわね、CM完成して」

「うん……」


悠菜は、苦労話に盛りあがる広報部員たちの輪から外れ、そのまま外へ出た。

他の人たちが見せる明るい表情に、ついていける気がしなかった。

悠菜は、『これで最後にする』と昴に宣言し、綾音に協力を頼んだはずだったが、

いざ、形にしてみると、自分の中にある消すことの出来ない思いが、

より一層ハッキリと形になっただけのような気がして、見続けるのが辛くなる。


目的地を決めないまま、歩き続けているうちに、

悠菜の中に、亡くなった母の顔が浮かんできた。

『愛した男性』と、この世で結ばれないことはわかっていたけれど、

それでも愛し続けようと思った気持ちが、昴への思いと重なりさらに押し寄せた。

悠菜は、駅まで着くと目的地を決め、そのまま電車に飛び乗った。





「すみません、突然」

「いいのよ、今日は子供たちがいて、ドタバタうるさいけれど」

「いえ、その方が『小麦園』らしくていいです」


悠菜が向かったのは、『小麦園』だった。

自分の思いを受け止め、それを認めてくれるのは康江しかいないと、

そう思っての行動だった。康江は麦茶を入れ、悠菜の前に置く。


「久しぶりね、悠菜さん」

「はい……」


昴との間がこじれ、自然とここへ来ることも避けていた。

先日、必死に書いた手紙には、なんとか昴への気持ちに区切りをつけたいとそう記した。

しかし、悠菜は思いを変えたと、言い始める。


「変えた?」

「はい。畑野さんには、きっと何か事情があるのだと思います。
もしかしたら私に対して、男女の感情が芽生えないのかもしれません。
でも、だからといって、私が無理に気持ちを封じ込めるのは
間違っているような気がして……」


悠菜は、忘れるために取り組んだCM撮影で、

自分の本当の気持ちに気付かされたと、照れくさそうに笑みを浮かべた。


「思いが届かなくても、一生、届くことがなくても、
今、無理に忘れたり、別の人を好きになる必要はない気がして……」

「悠菜さん」

「私の母がそうだったように、気持ちが自然と動くまで……ずっと……」

「昴のことは、諦めて」


康江は、しっかりとした口調で、そう言い切った。

悠菜は、予想していた答えと180度違うセリフに、言葉が出なくなる。

人を好きになるだけで、それがたとえ一方通行でもいいものなのだと

以前言ってくれたのは確かに康江だった。


「先生、どうしてですか?」

「あなたはまだ若い。実らない恋に浸っている必要はないでしょ。昴は……」


康江は口から出そうになる理由をこらえながら、そう言い続けた。

CMが終了したのなら、綾音も解放してやってほしいと付け加える。

『小麦園』の廊下を、バタバタと子供達が走っていく音が聞こえ、

また静けさが戻る。


「私が関わりを持つことが、二人に迷惑をかけると言うことですか?」

「悠菜さん……」

「思うことも出来ないのですか? 私は、畑野さんが好きなんです。
叶わないことはわかっています。でも……今、諦めてしまいたくないんです。
時間が解決することだってあるのではないですか?
もし、畑野さんが渡瀬さんのことを気にしているのなら……」

「昴は……」


康江は出そうになる言葉を止め、そのまま席を立ち、悠菜に背を向けた。

悠菜は、どうして康江がこれだけ反対するのかわからずに、辛くなる。


「先生……」

「何?」

「何か畑野さんの秘密を、ご存じなのですか?」


悠菜は、康江の動きがどこかぎこちなく感じ、そう問いかけた。

康江は何も知らないと、咄嗟にウソをつく。


「それならばなぜですか、どうして畑野さんを思うことが認めてもらえないのか、
教えてください。片思いでも、それはそれで意味のあることだと、
以前言われたのは先生です」


悠菜の訴えに、康江は返事が出来なくなった。

耳に届いた言葉は、まさしくその通りで、

他人が無理に思うことを止めてしまうことも、出来ないことはわかっていた。

背を向けたままの康江を、じっと見ていた悠菜の表情が変わる。


「先生……母が亡くなったとき、私はこの世で一人になるのだと、
ひどく哀しかった覚えがあります。でも、今のほうが……」


母を亡くした日の絶望感、覚悟していたはずなのに、あふれていく涙。

悠菜の記憶が、呼び戻される。


「今、こうして、誰からも思いを認めてもらえない方が、本当にひとりなんだと……」

「悠菜さん」

「ひとりなんだと……思えて哀しくなります」


悠菜はそう言い切ると、バッグをつかみ、そのまま『小麦園』を飛び出した。

康江は数歩追いかけたが、それ以上追うことが出来なくなる。


「……ごめんなさい悠菜さん」


昴が語った、絶対に言えない理由を胸に押し込んだまま、

康江は悠菜を救ってやれない自分を責め続けた。





その頃昴は、経済紙を広げ、『ブランカ』が初めてCMを作ったという記事を読んでいた。

今まで業績はあるものの、なかなか表面に出てくる企業ではなかったため、

新卒に人気のある企業とまでいかなかった『STW』は、

ホテルのトータルコーディネートや、外国企業との提携、

そしてCMとあいつぐニュースに、マスコミに取り上げられることが増えた。



『これで……最後にします』



あの言葉どおり、悠菜は綾音に連絡を取ることもしていないようだった。

綾音も、昴に気をつかっているのか、悠菜の話題を食卓にあげることを避けている。

昴は、このまま少しずつ悠菜との距離が開き、心の中に深く残る思いも、

やがて消えていくのかと、紙面を閉じた。





次の日、悠菜は、朝から田尾に呼び出され、

そのまま江口のところに行くようにと告げられた。

広報に入り、江口とは距離が開いたと思っていただけに、

また何やら言われるのかと、つい身構える。


「何か」

「いや、細かいことはわからないんだ。
とにかく住友さんが出社したら、と、連絡が入っている」

「そうですか、わかりました」


悠菜は、江口が何を自分に言うつもりなのか、全く検討もつかないまま、

エレベーターに乗り込み、5階にある秘書室へ向かった。

女性の秘書に名前を告げると、奥へ入るようにと指示を受ける。

悠菜が扉を叩くと、江口の声が聞こえ、ドアノブをつかみ中へ入った。


「おはようございます、あの……田尾部長が、江口さんのところへ行くようにと」

「はい、朝からお呼びだてして、申し訳ありません」

「何か……」


江口はソファーの方へ、悠菜に座るようにと指示をした。

悠菜は言われたとおりに座る。

目の前のデスクには1枚の写真があり、それはどこか駅の高架下にあるような、

小さなバーを写していた。


「先日、CMのピアノを担当してくれた畑野綾音さんが、
悠菜さんとお兄さんとの交際を、認めて欲しいとおっしゃっていましたが、
悠菜さんは、その後も、お兄さんという男性に会っているのですか?」


悠菜は、二人の名前を出され、先日、綾音が江口に詰め寄った日のことを思い出した。

江口にあれこれ聞かれることは、勇に告げられる気がして、表情が曇っていく。


「……どういう意味ですか?」

「交際を続けているのかと、そういう意味です」


悠菜は、プライベートなことにあまり干渉してほしくないと、江口に強く言った。

江口は、必要なことだから調べたのだと、悠菜の言葉にも動じない。


「必要? 何が必要なのですか」

「彼がどういう人物で、何をして妹を大学に行かせたのか、
そして、悠菜さんの交際相手としてふさわしいのかどうか、
申し訳ないですが、調べさせていただきました」

「調べた? 畑野さんをですか?」

「はい」


江口は、『salon』が一流企業で、その営業部の成績トップを収めたとしても、

妹を『立原音楽大学』に通わせ、特別なレッスンをさせることは、

相当難しいことだと説明する。


「本当に、お兄さん一人で、妹を通わせたのだとしたら……」

「江口さん」

「はい」

「いいですか? 私は実際に『salon』にいました。
なので、『salon』がどういう査定をして、給料を出しているのか、
なんとなくはわかります。正直、給料は悪くはない……いえ、他の企業に比べたら、
むしろ高いと言えますし、畑野さんは、部長代理のポストにも今現在ついています。
普通以上に……」

「かばいたくなるお気持ちはわかりますが、『立原音楽大学』の学費は、
そう甘いものではないのです」


江口は、目の前に費用の一覧表を並べ、この金額プラス、教授の個別レッスンや、

コンクールのための衣装などをあわせると、とても間に合わないだろうと言い切った。

江口の理論展開と目の前に出された金額の表に、

悠菜は、反論しようとするが、言葉が出なくなる。


「彼には、別の仕事があった……そう考えるのが普通でしょう」

「別の仕事?」

「はい」


江口は、デスクに置いた1枚の写真を手に取った。

入ってきたときに、悠菜の目にすぐとまった、高架下にあるような小さなバー。


「畑野昴は、この店に出入りしていました。
それは、常連客からの証言で明らかです。
この店には、街を歩けば目立つような男性が複数出入りしていて、
そのメンバーはカウンターに座ります」


もう1枚見せられた写真は、カウンターを撮ったものだった。

4、5人座れば精一杯のカウンターは、

木目が刻んであるどこの店にもあるようなもので、特徴も見えてこない。


「カウンターに座るということに……何か意味でも?」

「はい。実は、店の常連客でも、カウンターには座りません。
普段は常に『リザーブ』の札が置いてあるそうです。
このカウンターに座る男性は、店を訪れる女性客から、選ばれるために座るのです」

「選ばれるため?」

「女性は、『FLOW』に入り、酒を飲み自分好みの男性を指名します。
もし、カウンターに気に入った男がいなければ、そのまま店を出て、
他の男性を座らせるようにと、指示を出すことも出来る。
そして、選ばれた男性は時間をお金で売り、相手の要求に応えます。
『FLOW』では、『契約愛人』という仕事が、特別に組まれているからです」



『契約愛人』



悠菜は初めて聞く言葉に、どう反応していいのかがわからなかった。

しかし、文字が示す意味を考えると、大体の想像がつく。

江口は、ごく一部の女性たちに広められたシステムだと語り、

いきなりその店を訪れても、入り込めないのだと説明する。


「畑野昴は、この仕事を別に持っている男です」


今、現在はどうしているのか、どういった内容で動いているのかまでは、

あまりにも入り込みすぎるため、江口も調べなかったと言う。

悠菜は、耳に届いた内容が、あまりにも予想外であり、

それを認めたくなくて、ただ首を横に振り続けた。


「彼を信じたいという、悠菜さんのお気持ちはわかりますが、
畑野昴は、それだけ必死になる男ではありません。
どうか、交際を続けようなどとは思わずに、縁を切っていただきたいと……」


悠菜は、自分に相談もせず、頼みもしないことをした江口に対し、

怒りの感情が湧き上がった。しかも、感情など無視したように、別れを提案され、

そのまま受け入れる気にはならないと、唇を噛みしめる。


「江口さんは、畑野さんが『契約愛人』をしていたと、そう言うのですか?
綾音さんの学費を稼ぐために、そういった仕事をしていたと……」

「綾音さんの学費のためだけかどうかはわかりません。
そこまで調べることはあえて避けました。必要がないと思いましたので。
おそらく彼は、自分の過去が明らかになることを恐れたのでしょう。
普通のOL相手なら、黙ったままでいられたとしても、
悠菜さんは『STW』社長、渡瀬勇のお嬢さんになる。
このように、調べ上げられることもわかっていた。だから、出てこようとしない」


江口は、昴が自分の過去を知られたくなくて、

悠菜との交際を避けたのだろうと、そう言い切った。

説明はこれで終わると、出していた資料をまとめようとする。


「『FLOW』と言いましたよね」


悠菜は、資料として江口が置いた写真を片付けられる前に手に取り、

それをポケットにしまう。


「何をされるのですか」

「自分に関わることですから、自分で調べます。
江口さんは、これ以上口を挟んでいただかなくて結構です」

「悠菜さん」

「それではうかがいます。江口さんは、私をどうしようと思っているのですか?」

「……どうしよう……とは?」


渡瀬勇が父だとわかったあとも、常に自分の前に出るのは江口だった。

悠菜は、こうなったら言いたいことは言わせてもらうと前を向く。


「私は今までもこれからも、住友悠菜です。渡瀬の家に入るつもりはありません。
江口さんの思うとおりに、会社のために社員以上に動くつもりもありません。
それだけはハッキリと言っておきます」


悠菜は、手帳を取り出し、

資料に書かれている『FLOW』の住所や電話番号を書き写した。

間違いがないかどうかを確認し、ペンをしまう。


「申し訳ないですが、そういうわけにはいきません」


江口は、悠菜が間違いなく渡瀬勇の娘であり、だからこそ『salon』を追われ、

今、ここにいるのではないかと、反対意見を述べる。


「事実は、事実として……」

「そう言われるのでしたら、今すぐ退社します」

「悠菜さん」

「そういうことですよね、江口さん」

「冷静になってください。私はウソをついているわけではないのです。
調べた真実だけをお話しただけです。わかりました、気持ちがそれで済むのなら、
どうぞ、ご自分で彼のことを調べてください」

「そうします」


悠菜は思いがけないことを聞いたことで、気持ちの乱れがどうにも収まらず、

目の前の江口に対して、キツイ言葉をぶつけ続ける。

それでも、写真の場所に行き、真実を目の当たりにしなければならないのかと思うと、

自然と足が震えた。


「このまま……何も言わずに離れていく方が、お互いのためだとそう思います」


江口は、最後まで冷静に言葉を残すと、悠菜よりも先に部屋を出て行った。

悠菜は江口の姿が見えなくなると、力が抜けたようになりそのままソファーへ座る。

以前、『salon』の同僚たちが、

ランチの時に噂話だと言いながら、あれこれ昴について語ったことがあった。

社内の女性と、一度も噂になったことがないこと、

実は、お金持ちのお嬢さんと付き合いがあるので、

豊川のような無能な上司に対しても、冷静に対応が出来ること。

そのときは、漠然としか浮かばなかった昴のプライベートが、

江口の話に、全てからんでいく気がしてしまう。


悠菜が、勇と初めて会ったホテルのロビーで、昴と偶然すれ違ったとき、

確かに宿泊客専用のエレベーターを使っていた。



『このまま……何も言わずに離れていく方が、お互いのためだとそう思います』



悠菜は、認めたくないのに、認めなければならない時間が目の前に迫るようで、

なかなか立ち上がることが出来なかった。





昴は、橋場の代わりに会議に出席し、気になる店舗を数店見て回った。

隣にあったコーヒーショップが店を閉め、その代わりに出来たラーメン店により、

客の流れや年齢層が変化を見せる。

以前なら、歩く人は男性より女性の方が多い通りだったのに、

今は半分、もしくは男性の方が目立つ気がする。

店内に入り、自社製品の様子を尋ね、さらにオーナーの意見を聞いた。

さらに歩き続けると、あの噴水のある場所にたどりついた。



『同僚だという以上の感情を持つことは……迷惑になりますか?』



悠菜がCMで気持ちを区切ろうとしたように、

昴もこの場所に来ることで、全てを終わりにしようと決めてきた。

気持ちを仕事に向けていれば、時間が忘れさせてくれるはずだと、石畳をゆっくり進む。

吹き上がった噴水の水に目を向け、眩しい空の色を確かめた。





悠菜は仕事を終えると、そのまま電車に乗った。

住所はすでに暗記し、手帳の真ん中には、写真も挟んである。

『FLOW』がどういう店なのか、どういう状況なのか、

とりあえず言ってみることで、何かわかるのではないかとそう思った。

もし、昴がその場所にいて、会うようなことにでもなるのなら、

それはそれで全てを解決できる気もする。

初めて降りた駅は、本当にサラリーマンやOLが普通に歩く駅で、

探すのにてまどうかもしれないと思った店は、すぐに見つかった。

こげ茶色の扉をゆっくりと引き、少し薄暗い店内へ進む。

入り口から右方面に、確かにカウンターがあり、中に一人の男性がいて、

『いらっしゃいませ』と挨拶した。


カウンターには、確かに『リザーブ』の紙が置いてある。

左側には小さなテーブルに、軽く腰かける椅子がセットされ、

すでに3名の客が酒を飲んでいた。

江口に何も聞かなければ、おそらくこの場所で何が行われているのかなど、

わからなかった。悠菜はゆっくりと前へ進み、

『リザーブ』とされている紙を勝手にどかしてしまう。


「お客様、申し訳ございません、この席は……」

「カウンターに座りたいのです」


店長ではないだろうと思える若い男性が、勝手に席を決めた悠菜に、

別の場所へ移動して欲しいと言ったが、悠菜はその言葉に首を振り続け、

隣の椅子にバッグを置く。


「お客様……あの」


朋之は悠菜の顔を見たあと、バイトの言葉を、左手で止める仕草を見せた。





『Flow』
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コメント

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心配だわ

綾音の行動が昴を追い詰めていくことになっちゃいましたね
それにしても江口は優秀な秘書だよね

悠菜はFLOWへ行って、大丈夫なんだろうか
悠菜自身が壊れやしないかと心配です

悠菜が全てを知ったと知ったときの昴も心配だわ

江口はやる男です

yokanさん、こんばんは

>綾音の行動が昴を追い詰めていくことになっちゃいましたね
 それにしても江口は優秀な秘書だよね

ありがとうございます。
江口は、1歩下がる秘書と言うよりも、先に道を開けていくタイプの男です。(悠菜とは今のところ、わかり合っていませんが・笑)

知った悠菜、知られた昴。
二人がどう気持ちを変えていくのか、これからもお付き合いください。