KNIGHT2 第7話

★7話




午前中に検診を終えて、午後はいつもどおりの仕事を済ませる。

残業もなかったので、家に帰ると、『診断日』を知っていた母が、

早速どうだったのかと尋ねてきた。


「どうだったって、結果はまだこれからだもの。まぁ、一通り済ませてきたけど」

「そう……」


台所から漂うお酢の香りに、今日のおかずが『南蛮漬け』だとわかる。

洗面台で手を洗い、着替えてこようと階段の手すりに手を置いた。


「あ、そうだ。来週子宮の検診を受けることになった」


『子宮』という言葉に反応した母が、

何か異常が見つかったのかと慌てたような声をあげる。

私は、検診の問診票に、少し生理痛が重くなったことを書いたので、

念のために検診を受けてみたらと薦められ、その通りにしたことを話す。


「検診で済めば、費用もかからないしって、鈴木先生に言われて、
確かにそうかもと思ったから」

「あ、そう。お母さんちょっとビックリしちゃったわよ。
『子宮』って言われて。でもそうよね、見てもらったほうがいいわ。
いずみはこれからお嫁さんに行く身だし」

「うん……」


着替えてきたら仕上げを手伝ってという母に、わかったと返事をし、

そのまま部屋へ向かった。階段を上がりながら、

『お嫁さんに行く身』という言葉が、ボーッと頭に浮かんでくる。


机の横にあるカーテンを開けると、隣の島本家が見える。

角にある理久の部屋。まだ、戻っていないのか、灯りはついていない。

『お婿さんになる身』は、今頃、混雑した電車の中だろうか。

カバンを机に置き、堅苦しいスーツから普段着に着替え、

娘の私は、階段を少し急いで駆け下りた。





季節は7月に入り、毎日が暑さとの戦いになった。

期末テストがあるため、忙しい理久だったが、今日は時間が取れると言われ、

よく行くお店で食事をしようと待ち合わせた。

ウインドーショッピングをしながら歩いていると、携帯がメール到着を告げる。

相手は理久で、急なトラブルが起こり、今日は行けなくなったという内容。

トラブルの内容はどういうものなのかと、返信しかけた指が止まる。

以前も、こんなことがあった。

その時は部活中に学生がハンドボールのゴールに当たってしまい、救急車で運ばれた。

何も知らない私は、細かい知らせがないことに何度もメールをし、

最終的に理久とケンカになった。

『急なトラブル』とは、おそらく学生のことだろう。

中学生だから、自分のことは自分で出来る年齢だとしても、

年頃の子供たちを預かる教師たちは、どっちにどう動くかわからない学生を、

必死の目で追いかけている。

忘れ物をしても、戸棚の中から動かないような商品を扱っている、私とは違うのだから。



『わかったよ、理久。食事はまた行こうね』



私は軽い『了解』メールだけを返信し、携帯をバッグに押し込んだ。

急に浮き上がった時間、せっかく訪れた百貨店内をワンフロアずつ歩いていく。

エレベーター前の店内表示の中に、『ブライダルコーナー』をいうものを見つけた。

ちょうど開いたエレベーターに乗り込み、12階の数字を指で押す。

ふわりと上がったエレベーターは、都会の夕暮れを私に見せながら、

目的の場所へと連れて行ってくれた。


以前、食事をした時に、花子から武本部長が結婚したことを聞いたからだろうか、

それとも、おじさんが私たちに大きな部屋を開けてくれたからだろうか、

あまり焦ることはないと思っていた『結婚』の2文字が、

つかみたいものへと変わってきた。

時計が今、何時を示していても、誰がどこで話をしていても、

理久に誰から電話がかかってきても、何も気にすることなどなく、

自分の場所を確保できる。

店員を見つけ、一生懸命に相談する女性から少し下がり、

並んでいるパンフレットを手に取った。

式場の予約から、新婚旅行の予約、新居の探し方のアドバイスなど、

新しい生活に、心をわくわくさせるような内容が、しっかり書いてある。

胸元にレースの刺繍が豪華にあしらってあるドレス。

肩を思い切り出して、タイトなデザインになっている大人っぽいもの、

美脚を持っている女性なら、それが引き立つようなミニのドレスなど、

ひとまとめに『ウエディングドレス』といっても、ものすごい数や種類があるものだと、

見とれてしまう。


「お客様……ご結婚をお考えですか?」


誰もいないと思っていたのに、私の横には別の店員さんが寄ってきた。

パンフレットを慌てて閉じようとすると、

そのままお持ち帰りくださいと言われてしまう。


「いや……でも……」

「持っていかれたから、うちで絶対に……なんて言いません。
でも、見ているだけで、楽しくなりますよ」


優しい店員さんの一言に、私は頷き、パンフレットをいただくことにした。

確かに、その日の帰りの電車は、いつもより駅に到着する時間が早い気がした。





「学生が殴った?」

「あぁ……」


理久が巻き込まれたトラブルは、学生同士のケンカだった。


「男の子が女の子を殴ったってことだよね」

「うん……」


理久が運転する車に乗り、ドライブをしながら聞く話は、

笑い飛ばせるような内容ではなかった。

『ネイチャー学習』が9月の始めに迫り、

夏休み前に全ての計画を済ませる予定だった学生たちは、

リーダー格の東野さんを中心に、プログラムをまとめていた。

試験中でもあるし、素早く済ませようとしていたのだが、

クラスで一人、原田君だけが提出物を出していないことがわかり、

放課後それを提出し、自分も何か役割を担うことが必要だと、

いつものように威勢良く東野さんが迫ったという。


「原田君は、自分が担当をしていないから、そうやってだらしがないんだって、
東野が言ってさ。自分がまとめた書類の集計を取るように、詰め寄ったらしくて」

「詰め寄った……」


普段は威圧感のある原田君が、自分には比較的心を開いてくれているという自負が、

東野さんにはあったのだろう。『危ない』と思える距離でも、

『自分なら大丈夫』だという意識を持つこと、私にはなんとなくわかる。

理久が運転する車が、ハザードランプをつけて公園の横へ止まった。

ここは、私が北沢君と車でよく通る『大渕中学校』の学区域にある踏み切りの隣。


「東野が机に手をついて、原田に返答を迫ったとき、
原田がその顔に向かって、右でパンチをした。思いがけない攻撃に、
東野は崩れ落ちて、顔が腫れた……」


東野さんの周りにいた女子生徒たちは、悲鳴に近い声をあげ、

原田君の周りにいた男子学生も、一気に周りから避けるような仕草をした。


「原田が言うには、その時、どこかからか『地域のお荷物』って声がしたらしくて」

「お荷物?」


原田君の怒りの矛先が、東野さんから、その声へ移動し、

誰が言ったんだと怒鳴り声をあげた。まずいと思った女子生徒が職員室へ走り、

立花先生が到着したときには、顔を殴られたはずの東野さんが、

必死に原田君を止めていて、そこに駆けつけた理久が、腕を押さえつけた。


「事情を全て聞いた後、手を出したことは原田が悪いから、
東野に謝罪をしろと言ったけれど、あいつは全く謝ろうとしなくて。
主任の谷山先生が親に電話入れても、母親は相変わらずどこにいるのかわからない。
1時間後くらいにおばあちゃんが来て、ただ何度も謝って……」


原田君のお母さんは、職についてはすぐにやめてしまうことを繰り返している。

祖母からの連絡が入っても、携帯の電源を切ってしまうらしい。


「それで? 東野さんは大丈夫?」

「あぁ……すぐに冷やして、腫れもひいてきた。
あいつは保健室から戻ってきて、原田の前に立ってさ……」

「『謝らなくていい』とでも言った?」


私の答えに、理久は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにどうしてわかったと笑顔になる。


「なんとなくそう思った。原田君が悪いと思っていないのなら、
無理やり謝ってもらっても意味がないと思うだろうし……」

「いずみだったらどうする? そんなとき」

「私だったら……」

「原田が俺だとして」

「理久が原田君なの?」

「そう、親しいからこそ、言いにくいことを東野は言った。
それなのに、原田はイラついて殴ったわけだ」

「そうだなぁ……」


原田君は、東野さんに好意を持っている。

東野さんの気持ちはわからないが、少なくとも嫌ってはいないはずだ。


「私だったら、全身の力を込めて、原田君をひっぱたく!」


男だろうが女だろうが、そこは同級生。

相手に謝るつもりがないのなら、そう、私ならそうする。

こんなことで、あんたに負けたりしないという意思を見せるかもしれない。

理久は、私の意見を聞いた後、何度か頷き、

そして実は東野さんも同じことをしたのだと教えてくれた。


「叩いたの? 原田君を」

「あぁ……平手で思い切りひっぱたいて。これであいこだから終わりだって」


間に入ろうとした先生方がいる前で、原田君のことをひっぱたいた東野さん。

私と同じ考えだったのかと思うと、

以前、立花先生から聞いた『よく話し、笑い……』の言葉が、

さらに一致さを増す気がする。


「でもな、俺は複雑だった。原田の気持ち、わかるんだよな」


理久はそう言うとフロントガラスから見える景色を、

右手と左手の人差し指で示した。

線路を挟み、あまりにも対照的な光景が広がっている。

片方は、開発に取り残され、シャッター商店街となった原田君の住まいがある場所で、

線路を渡った向こう側の高層マンションは、一気に街を自分たちの場所だと支配し、

その象徴のように建っている。

原田君が殴ってしまった東野さんは、そのマンションの最上階に住む。


「この街の風景は、中学生の男子には、心に傷を残す気がするんだ」

「心に傷?」

「原田は、毎日、東野の住むマンションを見上げながら生きている。
後から建ったはずなのに、街はすっかりそのマンションを中心に回り出しているだろ。
スーパーも、この住人たちを見込んで建てられた。
考えても仕方がないことだと思いながらも、置かれている境遇に対して、
そして、自分のことを顧みない親に対して、気持ちが荒んでいく」


理久は、原田君が本当に怒ったのは、

取り囲んでいる周りの学生から漏れてきた、

『地域のお荷物』発言だったとそう言った。

人は完全なる平等ではなくて、

世の中にはもがいても取り去れない物があることなどを知り、

誰にぶつけていいのかわからないもやもやの中で、孤独感を増してしまう。


「俺も、いずみに対して、原田と同じようなことを思ったことがあるからね」

「私?」


こんなところで、私の名前が出るとは思ってもみなかった。

この景色から読み取れる感情を、理久も持っていたというのだろうか。


「いずみの家は、うちと違ってお母さんがいつも明るく笑っていた。
お前、家が閉まっているなんてこと、ほとんどなかっただろ」

「……そうだね、なかったかも」


うちの母は、あの家に越してきてからは専業主婦だった。

私は、鍵を持たされて学校に行った記憶など、そう言われてみたら一度もない。


「俺は一人っ子だけれど、いずみには兄さんがいた。
同じような時期に建った家で、形もほぼ同じなのに、
自分には、どうすることも出来ないものがたくさんあって、
いずみはそれを全て持っていることに、無性に腹が立った」


一番近い存在なだけに、その裏返しの気持ちも大きい。


「そんなこと、思っていたんだ」

「あぁ……お袋にもずいぶん辛く当たった頃だな、中学2年くらいって。
うまくいかないことを、親のせいにしたり、世間のせいにしたり……」


理久にそんなことがあっただなんて、今まで聞いたことがなかった。

私が当時感じていたのは、勉強もスポーツも出来る幼なじみ。

病気がちな母親をいたわり、黙々と日々をこなす姿しかない。


「教えてやらないとな、これから」

「何を?」

「今は、これだけ距離があって、どうしようもないくらい離れている気がするけれど、
実は、努力さえすればどんどん縮まるってこと」

「うん……」


そう、中学2年くらいでこだわっていたことって、

実は人生の中ではたいしたことがない。

でもそれは、その時期を過ぎていかないと、実はわからなくて。


「すぐには響かないかもしれないけどさ、言い続けてやらないとな」

「うん……」


そう言うと理久は車のエンジンをかけ、2つの景色に挟まれながら走り出す。

バックミラーに映った、きらめくようなマンションは、だんだんと小さくなり、

そして見えなくなった。





第8話


みなさんのおかげで 『ももんたの発芽室』 も5周年を迎えます
これからも、ご贔屓に……(笑)
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