第10話

第10話




「美咲……」


ひとり暮らしの日々、そのことばかり考えていたわけではないけれど、

いざ来るべき日のために、それなりに知識は得たつもりだった。

どんなふうにすれば、美咲が応えてくれるのか、

求められているものはどういうことなのか、わかっていたはずだったのに、

そのいざが来た日、俺はだんだんと自分が何をしているのか、わからなくなる。

唇をあわせ、手を絡めてみるけれど、それがどう先へつながるのか迷いながら、

一歩ずつ『ひとつ』への道を模索する。

何もかもが初めてだった。

美咲の胸の柔らかさも、肌の白さも、吐息という声があることも、

今この場所で知っていく。

それと同時に、美咲が懸命に俺の動きに合わせようとしていることが、

嬉しくてたまらなかった。

声が無くても、わかる言葉がある。

美咲が開けてくれた道を確認しながら、ゆっくりと進む。

押し寄せる感覚に、酔わされそうになった時、目に映った美咲の顔は、

歪んで見えた。

唇を噛みしめ、目をきつく閉じ、必死に耐えようとしているように思えた。

それが男と女の違いだろうと考えながら、さらに前へと進むが、

視線の中へ、テーブルに置いた弁当の容器が飛び込んだ時、急に力が抜けていく。


美咲に東京へ来いと何度も言ったのは、

見せたいものがあり、食べさせたいものがあるからだった。

地元では味わえないような楽しみを、一緒に経験すること、

そう力強く訴えているはずだった。

しかし、時間を作り、東京へ出て来た美咲に俺がしていることは、

適当に大学を見せて、適当な食事をさせて、残りの時間を確保しただけ。

本当に美咲には、この日を迎えるだけの気持ちが整っていたのだろうか、

思い通りにならないことを電話で拗ねて見せた俺に、

感情を押し殺して、合わせているだけではないだろうか。

今見せている辛そうな顔は、体の痛みだけではなくて、

心が叫んでいるのではないだろうか。

『ひとつ』になりかけた体を美咲から離し、みっともない格好でベッドの隅に座る。


「……駿介」

「ごめん、美咲」

「どうして謝るの?」

「俺、ずいぶん身勝手だと思ってさ」


東京へ出てくるのが難しいから、地元へ戻ってきて会えないかと言われ、

東京じゃないと出来ないことがあると、そう言い切った。

不機嫌な態度で電話を切って、美咲の気持ちを煽った。


「身勝手? どうして?」

「お前に、連れて行ってやりたい場所があるとか、食べさせたいものがあるとか、
格好いいことばかり言っていたくせに、何一つしてやっていないまま、こうして……」



そう、こうして、美咲だけを求めている。



「バカ……そんなこと考える必要なんてないのに」

「でも……」

「おいしいものなんていつだって食べられるし、
これからだって、東京へ来ればどこにでも行けるでしょ」


美咲は横になっていた体を起こし、素肌のまま俺のことを抱き締めてくれた。

そして、ここへ来るまで、こうなることを考えてきたと照れ笑いを見せる。


「本当のところ、心配していたんだから。
東京の大学にかわいい女の子がたくさんいるだろうなって。
会えないなんて断っていて、駿介が他の子に気を移すかも知れないとか……
それに……」

「それに?」

「お前、胸小さいな……なんて言われたらどうしようって」


美咲はそう言うと、少し赤みを持った頬を動かし、かわいく笑ってくれた。

抱き締めていた体を離し、互いに向き合った後、もう一度仕切り直しのキスをする。


「そんなこと、俺が言うわけないだろうが」


美咲は微笑を浮かべたまま、コックリと頷いた。

美咲の胸が小さいかどうかなんて、他の人と比べてみたこともないし、

いや、大きさなんて正直、どうだっていい。

美咲だと言うことだけが、大切なのだから。


俺は、唇を離し、ゆっくりと美咲を横たわらせる。


「お前、なんだか辛そうなんだ、顔が」

「辛そう? 私が?」

「うん……こう、眉間にしわが寄っているというか……」


美咲の見せた顔をマネして、少し眉間にしわを寄せる。


「怖いの、ただそれだけ」

「怖い?」

「そうよ、経験ないから、わからないから怖いの。でも、駿介だから……」


俺だから、怖さにも耐えられると美咲は答えを出してくれた。

今日、ここにこうして、二人で肌を合わせている意味を、ちゃんと教えてくれる。

気持ちはすでに一つだったんだとわかっただけで、

ガクガクしていた動きも、多少滑らかになった気がする。

美咲の表情は、相変わらず辛そうだったけれど、

言葉を信じたまま、俺は『ひとつ』を目指す。

その時を互いにしっかり感じたとき、美咲の安堵したような声が確かに耳に届いた。

自分の下にいる美咲を見つめながら、ただ『ありがとう』と心でつぶやいた。





「『里香水』がお土産っていうのは、どうなんだろう」

「いいの、いいの」

「9月に入ったら、一度帰るから」

「うん……」


美咲を駅に送り、行き先表で料金を確認する。

あいつが財布を探している間に、切符を買ってやる。


「払うよ、駿介」

「いいよ、そんなこと」

「でも……一人暮らしはお金がかかるのに」


申し訳なさそうな美咲の頭を、自分の頭にくっつける。

心配するなという合図は、とりあえず伝わったらしい。


「痛いんですけど」

「サッカー部で鍛えた、ヘディングだからな」


別れなければならないその瞬間まで、美咲に触れていたかった。

それでも電車がホームに近付き、あいつだけ改札を通り抜ける。

一度振り向き手を振った美咲に、俺は控えめに振り返す。

電車が完全に見えなくなるまで、俺は一歩も動かずに、その場所に立ち続けた。





大学生の夏休みは、圧倒的に長い。

家庭教師として面倒を見ている学生に、英単語テストをさせながら、

目の前に転がっているダンベルを、掴んで上げてみる。

思っていたよりも3キロには重量があった。


「あれ? 先生、筋トレに興味出てきたの?」

「うるさい、お前は集中してやれ」


筋トレに興味が出てきたわけではなくて、みっともない体になりたくないだけだ。

誰にひけらかすわけではないけれど、美咲が見てだらしがないと思ったら困る。

そんな日々を過ごしていると、

カレンダーは9月の風を掴み、秋を少しずつ引っ張り始めた。



4月に大学生になってから、初の里帰り。

特に土産はいいと言われたので、本当に手ぶらで帰ってやった。


「はぁ……」


母親のジメっとしたため息が、そのまま床に落ちる。

リビングで新聞を読むが、体全体がカビて来そうなくらい居心地が悪い。


「ため息ってなんだよそれ。話が違うじゃないか。
土産なんていらないからって言ったのはそっちだろう」


そう俺は間違っていない。お土産などいらないからと電話で言ったのは、

間違いなく目の前の母親だ。


「普通は言うでしょ、そういうこと。でもね、大人になった息子は、
お母さんがこういうのが好きだった気がするって、気をつかうのよ。
そこで初めて、あぁ、息子は成長したなって……」

「家族の間で、やめてくれよ、そういうわからない儀式みたいなの」


母親は相変わらずで、弟は陸上部の練習に明け暮れていた。

親父が仕事から戻り、それなりに東京での暮らしぶりを披露する。

レストランの皿洗いのおかげで、以外に野菜もしっかり取れていること、

家庭教師のバイトのおかげで、家庭料理にもありついていること、

聞いている二人もほっとしたのか、晩酌の進みが速かった。





「うわぁ……気持ちいい!」


地元に戻り、美咲と出かけたのは、最後のデートに選んだ、あの『晴日台』だった。

見える景色は変わらないはずなのに、天気がいいからか、空気もいい気がする。


「今年は、お茶の出来がよかったんだって。伯父さんも伯母さんもそう言っていた」

「ふーん」


あの日と違って、誰も山へは登ってこない。

仕方がないので、売店の叔母さんに頼み込み、シャッターを切ってもらうことにした。

美咲を右に、俺が左に立つ。

半年前と違うのは、俺の手が、美咲の腰にしっかりと回っていることだった。


「免許?」

「うん。うちの大学に『西口自動車教習所』のバスが来るんだよ。
学生証を見せると、普通の料金の7割で済むらしいんだ」

「へぇ……」


そう、春から溜めてきたバイト代を使い、俺は免許を取ろうと決めていた。

禎史は大学受験を終えた後、すぐに合宿形式で免許を取っていて、

今回は憲弘と俺が二人で参加する。


「待っていろ。冬休みに戻ってくるときには、車でデートに誘ってやるから」

「そんなにすぐに取れるの?」

「毎日のように予約を取って、集中的に通えばあっという間らしい」

「へぇ……」


まぁ、何事もなく試験が通ればだけれど。


「駿介、車は?」

「新車で迎えに行く! と言いたいところだけれど、それは無理だから、
親父のを借りるつもり」

「そう……免許を取るんだ。すごいなぁ……。楽しみにしている」


美咲が楽しみにしてくれているというだけで、何十倍にも力が出る。

お守りといい、励ましといい、美咲が応援してくれるのなら、

俺は総理大臣にも、宇宙飛行士にもなれる気がしてしまう。


「車といえば、この間の雨でね、『一高通り』が水につかって大変だったの。
トラックは遅れるし、事故が起きるし」



『一高通り』



地元の人間は、ここらへんで一番大きな通りのことをそう呼んでいる。

本当の名前は、国道何号線というものなのだが、馴染みがあるのは『一高通り』の方で、

タクシーに乗っても、そこからどう行くのか答えるのが、一般的だった。


「流通なんだよな、課題は」


ディベートで咄嗟に話した内容にも、そこがこの町の課題だと、そう結論付けた。

人が土地に居つくためには、仕事と住居がなければ成り立たない。

流通経路さえしっかりすれば、土地代の高い都心から、

色々と移せる企業も、あるはずだとそう思った。





『晴日台』から見える景色を題材に、俺は美咲に大学生らしく、

世の中の問題などをちょっぴり語ってやる。美咲は楽しそうに聞き続け、

地元でのデートを終えた。




第11話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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