第15話

第15話




『しよっか……』


鮎川の目は、真剣だった。

聞き上手で、よく気がつく女性、それが鮎川のイメージ。

自分の喉を、ツバが降りていくのがわかる。

鮎川は、黙っている俺をしばらく見たあと、軽く笑いだした。

俺は、人をからかうなと言い返し、またビールに口をつける。

そう突っ張ってみたものの、鮎川が少し近寄ってきたことに、体は素早く反応した。


「倉ちゃんはない? 人肌が恋しいなって思う時」


人肌が恋しくなること、去年までならわからなかったけれど、

今ならその意味がよくわかる。

心も体も解き放たれるには、酒に酔っても、腹が痛くなるくらい笑っても、

そう出来たと思えない瞬間があった。

もっと強い思いを吐き出すのには、寄り添う人がそばにいることが、

何よりも必要で……


「私……おかしいかな、そんなこと言って」

「いや……」


おかしいとは思わなかった。

俺自身、鮎川の肌に触れていないだけで、こうして話しをしていることが、

心地よい感情になることに気付いている。

美咲への思いとは別かもしれないが、そばにいてくれるだけで、

頷いてくれるだけで、気持ちは十分満たされた。


「彼女にしろとか、付き合えなんて迫るつもりじゃないの。
ただ……こうして倉ちゃんと飲んでいたら、体の中から急かされちゃう気がして」


ここで立ち上がり、帰るべきなのかどうなのか、頭の中が混乱した。

でも正直、鮎川の言葉の意味は、痛いくらいに理解出来た。

俺は、いつまで、何をどう我慢すればいいのかわからない状態に、

気持ちが押しつぶされそうになっている。

錆び付いたものを無理に動かそうとしている気がして、正直、疲れていた。


「倉ちゃんだからかな……頭では別のことを考えようとしているのに、
心がね……急かすのよ、自分を……」


鼓動がどんどん速くなった。

鮎川の首筋に視線が動き、慌てて目を逸らす。


「ごめん、ごめん、困らせちゃった。そうだよね、倉ちゃん真面目だもん」


鮎川は立ち上がり、布巾をつかみテーブルを拭き始めた。


「変なこと言って、ごめんね……。やだな、鮎川は妙な女だって思われちゃうよ」


いや……違う。

鮎川のことを、そんなふうに思ったりはしない。


「そんなに俺、真面目に見えるか」

「見えるよ……」


『真面目』という言葉が、褒め言葉には思えなかった。

『弱虫』と言われたようで、妙なスイッチが入っていく。

背を向けた鮎川を、後ろから抱き締めると、胸元にあるはずのものがないことに気付く。

鮎川はブラジャーをつけていなくて、ダイレクトにその感触が伝わった。

耳元に近付くと、届く香りに、すでに風呂へ入った後だということもわかった。

鮎川はその姿勢のまま、首だけをこちらに向けてくる。

『急かされる』といった意味をわかって欲しいという表情で、

俺の頬に手をあてると、それを支えに唇をあわせた。

何度か短めのキスをした後、部屋の一番奥にあるベッドに、

なだれ込むようになりながら、また重なっていく。


「倉ちゃん……」


鮎川の目と申し訳なさそうな言葉に、俺はまた唇を重ねた。

互いに舌をからめるようなキスになり、言葉ではない感情を読み取っていく。

もう、引き戻ることなど出来ない。


「いいのか……本当に」


鮎川は少し照れくさそうに微笑み、小さく頷くと首に手を回し体をさらに近づける。

俺は、右手で鮎川の服をまくりあげ、膨らみの間に、唇を落とした。





自分の部屋へ戻ったのは、それから2時間後だった。

ビールが入っていたはずのビニール袋には、鮎川が寄こしたぶどうが入っている。

とりあえず冷蔵庫に入れると、水道をひねり、コップに水を入れ一気に飲み干した。


「はぁ……」


体を重ねている間は、鮎川のことしか見ていなかった。

小刻みに吐き出す呼吸、足先に塗られていたペディキュア。

互いの熱を必死に吐き出し、満足感だけを追い求めていた。

それが叶い、現実の時間を刻みだしたとき、別の感情がわきあがってくる。




俺は、美咲ではない人を、抱き締めた。




裏切りの行為に、もっと空しさが襲ってくるものかと思ったが、

不思議にその感覚はなかった。

むしろ、抱きしめたときの鮎川の顔と声を思い出し、また気持ちが向かいそうになる。



もしかしたら、もう気持ちは決まっていたのだろうか、

頭の方が先に、ピリオドをつけたのだろうか。

カレンダーを目で追うことなく、互いに声をかけあえる相手がそばにいることが、

これだけ気持ちの休まるものだと知った俺は、

さらに鮎川との時間を、作りたいと思うようになっていた。


ふと考えると、美咲とは1ヶ月近く、連絡を取っていない。

それを寂しいとも苦しいとも思わない自分に、ひとつの決断をするべきだと、

別の自分がささやいた。





12月の始め、授業の隙間を使って、地元へ戻る。

普段なら戻らない時期に帰ったため、母親が慌てて何かが起きたのかと聞いてきた。

こういう時もあると誤魔化し、親父から車を借りる。

美咲とは公園の前で待ち合わせて、少し車を走らせた。

今日という日が、どういう意味を持つのか、互いに感じているために、

会話はほとんどなかった。

隣町にある、初めて入る喫茶店で、互いにコーヒーを頼む。


「『金村園』への就職は、そのままなのか」


美咲は黙って頷き、今は抜け出すわけにはいかないと、何度も聞いてきた返事を、

また繰り返していく。

俺は今さら反対するつもりはないと言い切り、

勢いをつけるためにコーヒーに口をつける。


「美咲には、美咲の考えがあるだろうけれど、俺にも俺なりの考えはあった」

「うん……」

「それでも、決めるのはお前だから、無理に変えるわけにもいかない」


何よりも俺との関係が大事だと、そう思って欲しかった。

今はそれが出来なくても、その努力が見えたら、耐えられたのかも知れない。


「そばに、いつもいてくれる人の存在が、今の自分には必要だと、そう思えてきて」


抱き締めていたとき、笑ってくれても、電話で何度も『会いたい』と言ってくれても、

それだけでは、思いを感じ取れなくなった。



「好きな人が、出来た」



美咲は下を向いたまま、『ごめんなさい』とつぶやき、俺はそれを否定する。

謝られるようなことを、美咲はしたわけではない。

どちらかといったら、謝るのはこっちのような気がするが、

そこから会話は何一つ続かなくなった。


中学2年から、ずっと追い続け、思い続けてきた人だったのに、

別れの瞬間は、あまりにもあっけなかった。





その年の年末は、受験生の勉強に付き合うという理由をつけて、地元には戻らなかった。

梨花も九州へ戻ることはせずに、二人で紅白を見ながら、年越しそばを食べる。

梨花の部屋には風呂があったので、自然とそちらが拠点となり、

年が明けて冬の寒さが最高点を迎える頃は、半分同棲に近い状態だった。


「風呂……空いた」

「うん」


梨花は料理をするのが好きで、テーブルにはあれこれおかずが並ぶ。

大学も試験休みで、家庭教師のバイトも一段落を迎える。


「今日は戻るわ、向こうに」

「どうして?」

「レポート仕上げないとならないからさ、寝る時間なさそうだし。
ガタガタしていたら、梨花が寝られないぞ。
明日お前、大町キャンパスまで行くんだろ」

「そっか……」


春がくれば、大学3年生になる。

遠くにあった『就職』の文字が、見える位置まで近付くだろう。


「夜、応援に行っちゃうかも」

「やめておけよ、近いけれど一人で歩くのは危ないから」

「自転車で行っちゃうもん」

「勝手にしろ」


梨花はバスタオルを取り上げ、人の頭をゴシゴシと拭き始めた。

適当に渇いたことを確認し、寒空の中アパートへ戻る。

真っ暗な中で電気をつけると、甘い感情を吹き飛ばし、レポート用紙を机に広げた。





2月の終わり、見たい映画があるという梨花と一緒に出かけ、

帰りはそのまま食事をする。くだらない話をしながら、たまに声を出して笑い、

梨花のアパート前に到着した。


「そうだ、家から米が届いたんだ。梨花のところに持って行くよ」

「お米?」

「自転車貸してくれ、持ってくるからさ」


梨花の自転車を引きながら歩き、俺のアパートの下に止める。

すぐに降りてくると言っているのに、

梨花は聞いていないのか一緒に階段を上がりだした。


「でね……あれ?」

「何」

「なんだか玄関前きれいになってない?」


梨花に言われなければ気付かなかった。

適当に並んでいた缶のゴミが、きちんとまとめられていて、

隣の部屋の前に出されたダンボールも、場所を取らないように、畳んである。


「大家さん?」

「さぁ……」


俺ではないことが確かなのだから、どう考えても結論が出ないことは、

悩まない方がいい。俺は部屋を開けて、母親から届いたダンボールを開けた。

米と一緒に、レトルトパックがいくつか入っている。

カレーだのシチューだの、梨花が作ってくれる方が美味そうなメニューが、

米と野菜の間に挟まっていた。


「倉ちゃん、洗濯物はタンスに入れなさいよ。ほこりになるでしょ」


梨花は、タンスの前に畳んだままだったシャツをつかむと、

きちんとしまった方がいいと、引き出しを開く。


「ねぇ、倉ちゃん」

「何」

「これ、恋の思い出?」


梨花が手に取っていたのは、昔、美咲からもらった『手作りのお守りたち』だった。

小さな箱に入れ、タンスの奥に押し込んでいた物を、発見される。


「かわいい……手作りじゃない」


そう、手作りだ。

試合の勝利を祈って、美咲が忙しい時間の中で、作ってくれた。

その数が増えていくことを喜んで、箱を開けてはにやついていた日々を思い出す。


「貸して」


梨花は箱ごと手渡してくれた。

俺はそれをそのままゴミ箱へと入れる。


「ちょっと倉ちゃん、何しているの」

「何って、捨てた」


捨てるべきだと瞬間的にそう思った。

梨花にしてみたら、昔の香りがするものなんて、

見たくないだろうと思ったからだった。


俺は、梨花を選んだ。美咲には別れを告げた。

それなのに、思い出をしまいこんでいるのは、誠意がない。

しかし、梨花はゴミ箱から拾い上げ、逆にこっちを睨みつける。


「何だよ」

「倉ちゃんのいいところでもあるけど、悪いところでもあるね、真面目なところは」

「は?」


梨花は箱を開けると、また閉じる。

何をしているのか意味がわからなくて、俺は米をビニール袋へ入れていく。


「恋の思い出は倉ちゃんのものだから、捨てるのなら捨ててもいいけれど、
そんなふうに捨てるのは間違っていると思う。
私がいるから、気にして捨てたんでしょうけれど、
そんな気をつかわれる方が、妙に気になるものよ」


梨花は箱を元の位置に戻し、引き出しをそのまま閉じていく。


「笑って思い出話が出来るようになるまで、黙って持っていたほうがいいかもね」


梨花はそう言いながら、無造作にかけてあったタオルや上着を、

畳んでは戻す作業をし続けた。




第16話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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コメント

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あれこれあります

拍手コメントさん、こんばんは

>遠距離は難しいですよね。

すぐに会えないというのは、やはりハンデですよね。
これからの駿介がどう動くのか、
まだまだお話しは続きます。

>ランプから始まった恋のお話、
 とても心和む物語で、個人的に気に入りました^^。

あぁ、ありがとうございます。
女性目線も結構あるでしょ?(笑)
読み返すと自分で頭を抱えてしまうこともありますが、
まぁ、これも歴史だと思っております。
お気楽に、これからも楽しんでください。

こんにちは。

駿介のとった行動、んーー現実的にはこういうパターンが多いのかもしれませんね。
どんなカタチで、また二人が手を取り合う(←ですよね?)のか、楽しみに待ってます。
美咲には絶対絶対絶対に幸せになってほしい。

話は続きます

ゆうさん、こんばんは

>現実的にはこういうパターンが多いのかもしれませんね。

そう思っていただけると、嬉しいです。
駿介と美咲については、100%にはほど遠い未熟者と思いながら書いているので、
ズレも誤解も、また、呆れるような行動もありじゃないかなと。


>どんなカタチで、また二人が手を取り合う(←ですよね?)のか、

あはは……そこあたりは、宣言できませんが、
このままおしまい! にはならないことだけ、お話ししますね。

『FC2小説』にある美咲側からのものを読んでいただくと、
どちらの気持ちにも近付いてもらえるかなと思っています。
これからも、よろしくお願いします。