第21話

第21話




梨花が悪かったわけではない。

俺が、美咲のことを忘れられなかった。

俺は美咲に、梨花と別れ話をした後、思い切り叩かれたこと、

引越しするように言われたことを語る。美咲はそれを、黙ったまま聞き続けた。


「思い切り叩かれたの?」

「あぁ……頬が真っ赤になるくらい、叩かれた」


多少、右や左にずれるものかと思っていたのに、おもしろいくらいバッチリとあたり、

本当に腫れが残るかと思ったくらいだった。

美咲は話を聞きながら、だんだんと笑みを浮かべていく。


「そう……そうなんだ、叩かれたんだ」

「あぁ」


美咲の目元だけだった笑いが、口元に、そして鼻に動いていく。

終いには、自分が別れ話を切り出されたときにも、そうして叩いておけばよかったと、

右手をじっと見始めた。


「なんだそれ、どういうことだよ」

「どうもこうもないの。うん……ほっとした。それならほっとした」


美咲は何度も納得するように頷き、ストローに口をつけた。

緊張していて喉が渇いたのか、グラスの中身は半分まで減っていく。


「ありがとうって感謝しながら、もう一度、やり直そう」


美咲は、梨花に感謝しながら、もう一度やり直したいと答えを返してくれた。

自分が叩かれたことを笑い話にされたことは、少し悔しいけれど、

そのおかげで、話の続きがスムーズに進みだした。

『もう一度やり直せる』という自信も、一気に生まれ、

俺は気分よく、就職活動について語ってしまう。


「試験はいつなの?」

「5月の半ば、そこに受かればそれで終わるからいいけれど、
ダメならずっと続く」

「そっか……」


気分よく、二人でサンドイッチを1人前頼み、半分ずつ食べ始める。

気持ちが落ち着いたからか、あらためて美咲がどうしてここに来たのかが気になった。


「仕事じゃないのか?」


美咲は、頷きながら持ってきた手帳を取り出した。

後ろの方にあるスケジュールページに、住所と電話番号が書いてある。


「これ、父の住所なの」


美咲のお父さん。

そう、美咲が中学2年の夏に、会社のお金を横領した罪で、警察に逮捕された。

実際の被害は、玲の親父が払ったために、ゼロということになるが、

事件としてはしっかりと裁かれ、そこからまたスタートを切っているのだという。

そう言われて考えてみると、この場所は、その住所に程近い駅だった。


「会いに行ったの?」

「ううん……行ってはいない」


美咲のお父さんが初めて連絡をくれたのは、俺たちが大学1年の3月だった。

玲の親父に話が伝わってしまうと、邪魔をされると思い、

親子二人でずっと秘密にしてきたと言う。

俺と美咲がずれ始めた理由の一つが、お父さんの作った借金返済だったが、

今となって話を聞くと、なんとか元の家族に戻りたいと願った美咲が、

返済を焦っていたと考えると、しっくりくることだった。


「そうだったんだ、言ってくれたら……」

「言えなかった。だって、玲ちゃんが駿介と会っているのも知っていたし、
もし、何かの拍子で耳に入ったら、お母さんが楽しみにしているだけに、
怖くて……」


何かが起こるときには、何か理由があるのだと、あらためて思う。

美咲に、これからお父さんと会うのかと聞いたが、返事はノーだった。


「住所をもらったから、とりあえずどんな場所なのか、見てみようと思ってきたの。
でも……」

「でも?」

「いざ会えるとなると、本当にそれでいいのかと思うようになって」


美咲は、元の家族へ戻ることが、本当にいいことなのだろうかと問い返してきた。

中学2年から離れてしまった父と娘。

どう接していいのか、わからないと嘆き始める。


「美咲」


これこそ、今の自分に話せることだとそう思った。

美咲がどうしようと悩む数倍も、お父さんは悩んだに違いないからだ。


「お前は3月の時、俺に突然だからと言ったけれど、
俺に取ってはずっと悩んでいたことだったんだ。
もう一度やり直したいということが、どれだけ恥ずかしい思いなのか、
自分の心に問いかけたけれど、それでも言いたくて、会いに行った」


もうダメだと言われても、それでも言わずにはいられなかった。

きっと、お父さんもそういう思いに違いない。


「お父さんもきっと、悩んで、悩んで出した答えだと思うよ。
もう一度、美咲とお母さんを幸せにしたいって、きっとそう……」


失敗したことを許してもらいたい。

その思いだけで、叔父さんは戦っているのだろう。

俺が、この日のために頑張ってきたように。


「今日みたいにさ、笑顔を見せてやれよ」

「駿介……」

「美咲が許してあげたら、お父さん、何倍も頑張ってくれるさ」


意地っ張りで、曲がったことの嫌いな美咲に、

ここはあえて目を瞑って、笑顔を見せようとアドバイスする。

美咲は嬉しそうに頷き、その日の夕方、陵州へ戻っていった。





「おい、なんなんだよ、この貼り紙は!」

「すまん!」


憲弘は、主のいない部屋の前で、ふてくされたまま座り込んでいた。

その日の夜は、豪華なファミリーレストランで、食べ放題をおごることになった。





カレンダーは5月に入り、就職試験が目の前に迫る。

大学が終わると部屋へ戻り、最終準備を進めた。
そして、第一次試験を突破し、俺は『ボルテックス』の最終試験まで残った。

残された人数は100名ほどいたが、ここから実際に入社出来るのは半分だろう。

しかも、事務系の部署を望まないのだから、さらに門は狭いかも知れない。

それでも、自分が言いたいことを文章にして書き上げ、面接の日を待った。


「大倉駿介さん、どうぞ」

「はい」


面接は3日後に行われた。

目の前に座るのは、男性と女性を合わせた5名の社員。


「君の論文を読ませてもらったよ……」


『日本流通の未来』という課題に対し、俺が書いた文章に触れてくれたのが

正面に座る男性だった。少し白髪交じりで、年齢は父と同じくらいに思える。

回りに座る社員の態度から見ても、この男性が一番上にいる人物だろうとわかり、

後悔のないよう、入社してやりたいことを訴えた。





「はぁ……疲れた」


合否は明日判明する。

これで落ちたら、気持ちを入れ替えて別の企業を回らないとならない。

ベッドで横になり、時間を見ながら美咲に連絡を入れた。


『どうだった?』

「やれるべきことはやったと思うけれど、まぁ、相手が選ぶことだからね、
ここからはどうしようもない」

『大丈夫よ、駿介は』

「どうして、大丈夫なんだよ」

『何度も拝んでおいたから』


美咲はこの1ヶ月あまり、近所の神社に何度も足を運び、試験合格を祈ったと言う。

言葉では暇だなとからかいながらも、気持ちは嬉しかった。





そして、『ボルテックス』の発表が、電話の通知として届けられる。


「もしもし、俺、うん……受かった」


入社試験の合否は、『合格』だった。

それほどプレッシャーを感じているつもりはなかったが、喜ぶ母親の声を聞くと、

安堵感からか、全身が急に重くなる。


「何がよかったのかがわからないけど、結構質問されたりメモを取られたりしたからさ、
大丈夫かなとは思ったけれど、でも安心したよ」


安心したというのが、本音だった。

明日、お父さんが帰ってきたら、また連絡すると言われ、そのまま受話器を置く。

太陽がまぶしく光る時間だったが、我慢していることが出来ずに、

『金村園』へ連絡を入れた。

美咲と一緒に店員をしている女性が、すぐに気をつかって変わってくれる。


「もしもし、美咲? 俺、受かったから」

『本当? 本当に受かったの?』

「当たり前だろ、こんなこと冗談で電話するほど、暇じゃないって……」


ほら、何でも返して来いと思ったのに、美咲からの言葉はそこで止まってしまった。

最初から自信があったとか、面接も振り返って考えると楽勝だったなどと、

今ならなんとでも言えることを言い、突っ込みどころを与えるが、

一向に言葉が戻らない。


『もしもし……』

「あ……はい」


受話器を代わりに握ってくれたのは、一緒に店員をしている赤城さんという人で、

美咲が泣いてしまって言葉にならないのだと教えてくれる。


「そうですか」


あいつが受かったわけではないのに、泣くなんてと思いつつ、

こっちまで感情に負けそうになる。

そう、平然としていたけれど、心情は逃げ出したいくらいのときもあった。

他を受験すればいいと言いながらも、ここしか考えていなかった。

きっと美咲は、そんな心の裏までわかってくれている。

だから、涙が出るのだ。


『もしもし……』

「もしもし? 泣きやんだのか」

『うん……』


感動的だった報告に、そこから急におまけがついた。

美咲はこれから東京へ出てくると言い始める。


「は? これから? だって、今から出てきたら……」

『明日、始発で戻る』


玲の親父は今日、商工会の集まりで泊りがけの出張らしく、

一緒に働いている女性が、このまま帰っていいからと、言ってくれているらしい。

また、そんなことがバレたら怒られるのではないかと思いながらも、

俺はすぐに待っていると、美咲に告げていた。

そう、もし怒られてやめろというのなら、今度こそ、俺が責任を取る。

まだ、頼りない大学生だけれど、これでも就職が決定した。

美咲の人生を背負っていけるのだと、そう思う。



美咲は、それから本当に東京へやってきた。

さすがに『金村園』の制服は脱いでいたが、髪の毛は仕事用にまとめたままで、

慌てていたことがよくわかる。

それでも、こんなふうに喜んでくれるとは思わなかったので、

人がいることもわかっていたのに、改札口で抱きしめてしまった。

3月に勇気を出して、気持ちを伝えてよかった。

美咲と出会えてよかった。

頑張ってきてよかった……色々な思いが頭を巡る。





尽きない話をしながら、俺たちは久しぶりに抱き合った。

重ねる体と、ぴったり寄り添うような心がそこにあり、

美咲の吐息を送り出した口元が、さらに気持ちを高ぶらせる。

ただ、囲い込みたかった昔の愛情から、

思いが変わっていることは、自分自身がよくわかった。

美咲を抱きしめ、そして抱きしめられることに、幸せを感じあう。


この日、俺は美咲を抱きしめながら、

耳元に初めて『愛している……』とささやいた。




第22話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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