第22話

第22話




就職が決まってからの大学生活は、社会人になるための準備時間となった。

恭介の受験が終了し、時間の空いた母が東京へ出てきて、

あれこれ世話をやくようになる。

それまではジーンズなど適当に持っていれば成り立った生活が、

4月からは一変するのだと、それなりにスーツなども買うことになった。

バブルが最高だった頃の先輩たちは、就職が内定した後、

事前研修という名目で、学生でありながら会社の一員として活動することがあり、

上司や同僚と交流を深めていたという。

しかし、景気はたった1年でガラリと変わり、

俺たちはすぐ上の指導室で世話になった先輩たちと、軽い食事会を開いたくらいだった。


「2年前に卒業した、高瀬先輩っていうのが、今、流通拡大の仕事についていてさ、
入ってくる前に、あれこれ読んでおけって、本を数冊……」

「駿介、ネコの手!」

「ん?」


今までだって一人暮らしをしていたのに、『社会人となる』という区切りは、

それほどまでに重いのだろうか、美咲も仕事の合間を見つけ東京へ来ると、

簡単な料理の仕方を、俺に教えるようになった。


「ネコの手にしないと、指先を包丁で切るし、あぁ、もう、
そんなに分厚く切ってしまったら、材料同士の煮込み時間が合わなくて、
崩れちゃう」

「厚いかな、俺、同じように……」


まな板の上に並ぶ大根を横から見てみたが、明らかに最初の頃と比べて、

分厚くなっていた。美咲は包丁を俺から取り上げると、手際よく切っていく。

それなりに取り組んだつもりなのに、

不満そうな顔をされると反抗したくなるから不思議だ。


「駅前にも、新しいコンビニが出来たんだぞ。今度は24時間の営業。
いつ会社から戻ってきたって、食べるものくらい買えるって」

「そうだけれど、お弁当って揚げ物ばかりじゃない」

「まぁ……」


確かに、何かあっても、すぐに飛んでこられるほど陵州は近くない。

美咲にしてみると、そばで俺の世話をやけないことが、もどかしいのだろう。

口を結びながら材料を切っている姿を見ていた俺は、気持ちを入れ替えて、

もう一度ネコの手を復習する。


「やるよ、もう一回」


美咲は手を止めると、包丁を俺に戻す。

世の中は夏休みを迎え、セミたちが合唱を繰り返し、

近所の小学生たちが、アパートの前を大きな笑い声で走り去っていく。


「なぁ……」

「何?」

「お父さん、お元気だったか?」

「うん……」


美咲は昨日、中学で別れて以来の、父親との再会を果たしていた。

サトイモを洗い、皮をむきながら、美咲の話は続く。

お父さんは、東京湾で行われている開発工事の下請け会社で、

廃棄物の配送と、運送管理の仕事を引き受けることになった。

元々、上場企業で働いていたというキャリアもあり、

社長は重みのあるポジションを与えてくれたのだと言う。


「父の過去のことも全てわかってくれて、最初は契約社員として、
一生懸命廃棄物の配送をしていたらしいの。その働き振りが認められて、
やっと今年の初めから社員になったって」

「そうか……」


今は、その会社が借りている社員寮の一部屋に住んでいて、

とても家族一緒に暮らせる状態ではなかったが、何年後かには一緒に住みたいと、

そう母親と美咲の前で、宣言したと言う。


「お母さんは?」

「喜んでいた。私も、父が立ち直ってくれたことが、何よりも嬉しくて」

「うん……」


美咲の小さい頃のことは、何も知らない。

だけれど、美咲を見ていたら、お父さんが真面目な人だということは、よくわかる。

真面目な人だからこそ、抱えた荷の重さに、潰されてしまったのだろう。

人は強い部分もあるけれど、もろい部分もたくさんある。

俺も、まだ22歳なりに、感じることはあった。


「ほら、これでどう?」


次に切った厚揚げの形を見せると、美咲はよくできたと笑ってくれた。





季節は秋になり、地元である新潟の公務員試験を受験した憲弘が無事合格した。

先に就職を決めていた俺と禎史は、全てのプレッシャーから解放された日と命名し、

3人で久しぶりの飲み会を開くことにする。

会場は、近くにコンビニが出来たという理由で、俺の部屋になる。


「では、俺たちの旅立ちを祝して、乾杯!」

「おぉ!」


時には1ヶ月くらい会わない日があったり、

全く別の方を向いて活動していたときもあったけれど、

なんだかんだ言いながらも、3人で歩き続けた4年間だった。

禎史の底知れぬ明るさに引っ張られ、

憲弘の恐ろしいほどのマイペースさに戸惑いながら、その心の広さに助けられてきた。

学生時代が終わるのは仕方がないと思いながらも、

こいつらとの時間が取れなくなるのは、本当に寂しい。


「一番、堅実だったのは駿介だな」

「そうか?」

「そうだよ、お前は最初から思い描いていた道を、形にしたんだからさ」


これからの時代は、何があるのかわからない。

景気に左右されない公務員を選んだ憲弘が、一番堅実だろうと言い返す。


「いやいや、公務員は受身ですからね。世を変えていくことは出来ませんよ」


憲弘は、そう言いながらつまみを口に入れ、楽しそうに笑う。


「次は結婚か? 駿介」


一瞬、禎史の視線が気になった。

憲弘は美咲とのことを知っていて、禎史は梨花とのことを知っている。


「そうだ……就職決定おめでとうって言っていたぞ」

「……うん」


誰がおめでとうと言ってくれたのか、聞かなくたってわかることだった。

梨花は元気で頑張っているのだろうか。禎史に聞けばわかるかもしれないが、

それを聞くことは申し訳ない気がする。


「あいつ、この間スカウトされたらしい」


禎史は、梨花が街で買い物をしていたとき、スカウトされた話を披露した。

一度は断ったものの、店に出入りしていることを知ったその男は、

何度も梨花を誘ってきたと言う。


「今ってさ、素人の女子大生とかを雑誌のモデルにしたりするのが
流行っているらしいんだ。あいつも結局登録して、今度なんだっけな……
なんとかって雑誌に出るみたいで……」


モデルかぁ……

梨花なら出来そうな気もするけれど。


「駿介、つまみがもうない」

「憲弘、お前食いすぎだぞ」


とにもかくにも、目標を見つけ前へ進もうとしていることがわかってほっとした。

直接、ガンバレと声をかけるわけにはいかないが、

応援できることがあったら応援していこうと、部屋の中をあれこれ探しながら、

そう思った。





秋を迎え、冬を過ぎ、そして俺は大学を卒業した。

東京に出てきて4年、今までは学ぶ立場にあったけれど、

これからはそれを役立てていく番だ。

入社式に出席し、同じようなスーツに身を包んだ同僚たちを見る。

これからは友でありライバルだと、壇上に立つ社長がそう話を終えた。



『開発事業部 大倉駿介』



時代の流れと、ニーズがぴったりあったのか、俺の運があったのか、

配属されたのは、まさしく開発のど真ん中にある部だった。

そして、声をかけてくれていた高瀬先輩と再会し、挨拶をする。

他に入った同僚4名と一緒に、本社3階にあるフロアへ初めて足を踏み入れた。


「福山部長、新入社員を連れてきました」

「あぁ……わかった」


本社へ挨拶をした後、明日からは研修が待っている。

今日はとりあえず挨拶だけするために、配属場所に通された。

飛び交うビジネス会話と、大きな日本地図。

いくつかの地名がボードに張り出されていて、その中に『陵州』の文字があった。


「おはよう」


部長の言葉に前を向く。

見覚えのある顔をじっと見ていると、

面接の日、正面に座っていた人だったことを思い出した。

俺の書いた論文に、一番食いついてきて、質問を何度もぶつけてきた人。

それがこの福山部長で、開発事業の責任を任されている人物。


「みなさんも、我が社を選んだ以上、今、何が行われているのかくらい、
予習はしているでしょうが、あらためて、ここが何を目指しているのか、
それを語らせてもらいます」


福山部長は、今までは店舗を構える営業だったものを、

これからは無店舗でいかに商品をさばいていけるかが勝負だと、そう言った。

そのために、流通拠点を地方に広げていくと言う。


「大きな倉庫があって、そこに商品がある。北海道から注文が入って、
それを東京で管理し、地方から発送する」


人が少なくなり、管理できなくなった土地や建物が、地方には数多く存在する。

職業も限られているために、若い人材はどんどん都会へ流れていった。

人が地方に残り、その場所を守っていくには、

いい意味で残すものと無くすものを区別し、判断しなければならない。

働く場所さえ確保できたら、買い物が不自由なく出来たら、

自然とそれに関連する企業も、また戻ってくる。


「人が住めば、病院も出来るだろうし、交通も便利になっていく」


『金村園』のように、昔からそこにある企業に従わないと、

それに関連した仕事だけしかない場所では、生きていくことさえ面倒になる。

『金村園』の娘で、PTA会長の娘だった玲には、

誰でもがどこか遠慮するような構図も、崩すことが出来るだろう。


「……という説明で、どうだ、なぁ、陵州……いや、大倉」

「……は?」


福山部長に、突然話を振られて、俺は引きつった笑いをすることしか出来なくなる。

しょっぱなから心臓が止まるようなことを言わないで欲しい。


「まぁ、研修をしっかりとやって、一緒に頑張ろう」


同僚の返事に、ほんの少し遅れながら、俺は頑張る決意を言葉にした。





1ヶ月ほどの研修を終え、正式に配属された。

最初はすでにスタートを切った場所の状況を教えてもらい、

5箇所計画されているうちの、残り2箇所を決定するための資料作りをする。



『陵州』はその候補の一つになっていた。




第23話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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