第33話

第33話




『美咲が妊娠したかもしれない』

そんなことはないと言い返せないのは、俺自身が一番わかっている。


『美咲は笑いながら、違うわよって言ったけれど、その次の日だったんです。
東京に行ってくるからって、家を出ていったのが……
だから、隠しているけれど、大倉君とそういった話をするつもりなのかと……』


美咲が……


「いえ……本当にうちには来ていません。すみません……」


あいつを自由にしてやりたくて、東京へ出て来た。

地域に仕事を増やすことで、街全体を変えて行けたら、

そうしたらきっと、色々な人が暮らしやすい場所になると、そう信じ続けてきた。

どんなに規模が大きくなろうとも、俺の気持ちの中心は、

いつも美咲のことだったのに……



その俺の行動が……

美咲自身を追い込んでいただなんて……





美咲のお母さんは、俺が黙ってしまったことに気付き、

友達のところにでも行ったのかもしれないと、そう誤魔化してくれたが、

だとしても、連絡をしないことなどあり得ない。


「今日の夜、電話をしますので」


美咲のお母さんは、仕事の邪魔をしてしまい申し訳ないと、何度も謝ってくれた。

謝らないとならないのは、俺の方なのに、謝って済むものなら、

何度でも頭を下げるけれど……


「……失礼します」


受話器を置いて携帯を見るが、美咲かも知れないと思える着信はなく、

そのまま空っぽな体を椅子に落とす。

誰よりも近くにいると信じていた人が、遙か彼方に見えなくなってしまった気がして、

俺は、どこを向いて息をすればいいのかすら、わからなくなってしまった。





その日は、どこに寄ることもせずに、とにかく早くアパートへ戻った。

昔、美咲がアパートを尋ねてきた時、廊下を片付けたことがあるように、

何か形跡が残っていないだろうかと、あちこち見て回ったものの、

ヒントになるようなものは何もなく、ただ時間だけが過ぎていく。

あらためて美咲の家に電話をし、状況を確認したが、

東京にいるお父さんのところにも顔を出していないことがわかる。

『陵州』に引っ越す前に付き合いがあり、

年賀状などのやりとりをしていた友人数名にも連絡をしたが、

美咲はどこにも顔を出していないようだった。


「申し訳ありません、俺の責任です」


美咲のお母さんは、大倉君のせいではないのだからと何度も言ってくれたが、

それをありがとうございますとは受け取れない状態に、いてもたってもいられず、

電話を切り、駅まで向かった。

電車が到着するたび、人が降りてくるたび、

美咲が出てくるのではないかと必死に目を向けるが、

それは時間とともに、空しい期待だと気付かされる。



『3日』



そう、美咲は家を出て、すでに3日過ぎている。

ここへ来る気持ちがあるのなら、とっくに来ているはずだった。

仕事終わりのサラリーマンに紛れながら、アパートへの道を歩く。

今思えば、急にホテルで泊まりたいと言ったことも、

どこか寂しげな目を見せていたのも、妙に納得がいった。

痩せてしまったのは、トラブルからだと勝手に思っていたが、

思いがけない体調の変化だったとしたら、

肌を合わせようとしたことを、拒んだ理由も頷けてしまう。



美咲はその次の日も家には戻らず、お母さんは警察に捜索願を出した。

俺は、毎日処理仕切れない思いを抱えながらなんとか実家に戻り、

その状況を両親に打ち明けた。

母親は口の前に手を置き、驚きの表情を見せたまま動かなくなり、

父親は黙ったまま、麦茶を一口飲んだ。


「お前に、その心当たりはあるんだな」

「……はい」


父親は、濁すように聞いてきたが、それが『妊娠』の事実であることくらい、

すぐにわかった。母親はどうしてと嘆き、

すぐにでも美咲の母親に謝りに行かなければならないと慌てだす。


「落ち着きなさい。室井さんだってあれこれお前が取り乱したら困るだろう」

「でもお父さん。美咲さんはいないんですよ。早く戻ってきてもらって、
きちんと調べるなり、色々と……」


美咲との付き合いは、将来を見ながらのものだった。

責任を取るつもりはもちろんあるし、順序が逆になり、回りを驚かせているだけで、

俺自身には、覚悟もある。

しかし、美咲はそれを俺のところに話しに来ていない。

その事実の方が、何倍も問題が深い。

母親よりも数倍冷静な父親が、同じようなことを代わりに言ってくれた。


「それじゃ、なんですか。美咲さんは相手が駿介では不服だとでも?」

「落ち着きなさいと言っているだろう。体調が変化して戸惑っているのは美咲さんの方だ。
どうしたらいいのかわからずに、どこかで悩んでいるのかもしれない」


しばらく家族で話しあい、その夜、美咲のお母さんを呼び出し、

車で少し離れた店へ出かけた。

大倉家総出の謝罪に、美咲の母親はそんなことはしないでくれと恐縮してしまう。


「本当に、大倉さん、謝罪なんてやめてください。
美咲は駿介君にどれほど救ってもらってきていたか……。
それにまだ、本当にそうなのかどうかもわかりませんし」

「いや、しかし……息子にはその覚えがあるようです」


俺はもう一度、美咲のお母さんに頭を下げた。

そして、美咲からの連絡は入らないのかと尋ねてみる。


「まだ……」


美咲のお母さんは、自分たちのことで美咲を犠牲にし続けてきたと、涙を流し、

もっと早く東京へ送り出してやればよかったと、後悔していることを話してくれた。


「もう一度、3人で暮らしたいと……そう……」


その時、俺の脳裏に、以前美咲から聞いた言葉が蘇った。

まだ、3人で暮らしている時に、家族で行った『妙谷温泉』のこと。

確か、美咲は仲居でもして暮らそうと思ったことがあると、笑っていた。


「……妙谷温泉」


俺は、『妙谷温泉』へ行ったことがあるかということ、どこの旅館に泊まったのかと、

美咲の母親に尋ね、以前、美咲が言った話しも一緒に付け加えた。

美咲の母親は、そういえばそういうことを以前も話したことがあると、

こちらの提案に乗ってくれる。


「俺、明日行ってきます」


もらった有給休暇は3日。

『妙谷温泉』なら『陵州』からでも日帰りが出来る。

それほどまで確信的な思いがあったわけではないけれど、今の状況では、

ほんの小さなヒントでも、手繰り寄せつぶしていかないと納得が出来なかった。

家に戻り、旅館の名前を探し、所在地の確認をした。

そして、観光協会、地元で一番力のある旅館がどこなのか、

片っ端から調べていく。


「兄貴……親父が呼んでる」


遠慮がちに襖を開けた恭介が、そう小さく言った。

何も言わないが、今回のことは恭介も知っているだろう。

俺は心配そうな弟の肩を軽く叩く。


「ダメな兄貴で悪いな……」


恭介は黙ったまま首を振り、俺はそれに少しだけ笑ってみせる。

階段を下りていくと、リビングに親父が座っている姿が見えた。


「何?」

「座りなさい」


父親は小さなお猪口をテーブルに置き、俺の分を注いでくれた。

正直、酒を飲んでいる気分ではなかったけれど、軽く口だけつけておく。


「お前も男だからな、愛した人が出来たら、自然なことなのかもしれないが……
でも、これは100%お前の責任だぞ、駿介」

「はい……」

「男には10ヶ月の猶予があるが、女にはその猶予がない。
いきなり抱え込まされた気持ちの重さは、どれだけのものか……」


トラブルを抱えた状態で、美咲がさらに抱えてしまったことの重さに、

苦しんでいるのかもしれないと思うと、いたたまれなくなる。


「救ってやりたくてさ……あいつ、ずっと我慢して生きてきたんだ。
玲には許されても、美咲には許されないことがたくさんあった。
友達と羽を伸ばしたい高校生の時から、『金村園』に縛られ続けて。
頭だって俺よりよかったのに、あいつは地元で暮らすしかなかった」


なんだろう。言葉がどんどん胸の中からあふれていく。

今まで、親父にこんな話をしたことなど、一度もないのに。


「確かに、美咲のお父さんは、過去に罪を犯したかもしれない。
でもさ……美咲には関係がないことだろ。美咲は……」


酔っているわけでもないのに、悔しくて涙が出そうになった。

そうやって救ってやりたかった俺の思いが、どうしてこんなことになったのだろう。


「美咲のためにと思って、正確なことを話したかっただけなのに、
どうしてそれがこんなふうに……」

「駿介」

「はい」

「『ボルテックス』が進めている事業に、恩恵をこうむれる人と、
そうではない人が必ずいて、意見など絶対に一つにはならないんだよ。
何かを決断すれば揉めるのは当たり前だけれど、
それでも前に進まないとならないときもある」

「……はい」

「色々と悩み、苦しみなさい。その後で出てくることは、
きっとお前の力になる」


悩み、苦しむことが力になる……

俺はその通りだと、何度か頷いて見せた。


「お前が美咲さんと同じくらい、苦しんで頑張った時にきっと、
彼女は戻ってきてくれると、お父さんはそう思う」

「……親父」

「探せる場所はとことん探しなさい。あとは信じて待つしかない」


美咲を信じること。

今の俺に出来ることはそれしかないのだと、静かなリビングで心に何度も言い聞かせた。





次の日、俺は電車に乗り、『妙谷温泉』へ出かけた。

美咲のお母さんから聞いた旅館に顔を出すと、

『金村園』の制服を着た従業員の写真を出し、この人が来ていないかと尋ねてみる。

オーナーらしき叔父さんは、メガネを上にあげ、美咲の顔をじっと見た。


「髪の毛は、これよりももう少し長いです」

「……だよね」


オーナーはちょっと貸して欲しいといい、奥にいた女性に声をかけた。

するとその女性は間違いないと首を縦に振り、こちらに戻ってくる。


「来たよ、来た。この人来たよ、ここへ」

「来ましたか……」

「そう、仲居になりたいって、そう言っていた」


美咲はやはり『妙谷温泉』へ来ていた。

真っ暗だった心の中に、小さな光りが差し込んだ気がした。




第34話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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