第37話

第37話




『にこやか生命』の能美さんは、とある駅にある喫茶店を指示してくれた。

『会いたいのですが』と受話器越しに言うと、あまりにも嬉しそうな声がして、

少し気が引けてしまう。

おそらく、先日薦めてくれた保険の契約だと、考えているだろう。


「お待たせしました」

「いえ、こちらこそすみません。突然呼び出すことになってしまって」

「いえいえ、そうして営業をしていくのが、私たちの仕事ですから」


仕事にも色々とあるものだと、あらためてそう思う。

能美さんは大きなバッグを横に置き、パンフレットなどを出そうとした。


「能美さん、すみません先に話を聞いてもらえますか」

「話? はいはい、いいですけれど」


強引な人だけれど、話せば話すほど、どこか心が温かくなった。

田舎のいいおばさんというような、印象がある。


「能美さんがされているこの仕事、妊婦でも出来ますか」

「妊婦?」

「はい。仕事をしたいと面接に行ったとき、妊婦だと認めてもらえませんか」


ウエイトレスがコーヒーと紅茶をそれぞれ前に置き、軽く頭を下げて戻っていく。

隣の男性がお手拭で顔を拭き、大きく息を吐いた。

どこかから連続でクシャミが聞こえて来る。

そう、能美さんは俺の発言に、数分間無言のままでいた。


「そういう事情の人が、この仕事をすることはありませんか」

「……大倉さん」

「はい」

「あなたのお知り合いに、妊婦さんがいるってことですか。
その人が、保険勧誘の仕事をされたいと……」


能美さんは、質問には答えたいが、よく意味がわからないという顔をしたまま、

俺の方を見る。当然といえば当然のことだった。

俺は、あらためて『大切な人を探している』ことを話す。


「大切な……人」

「はい。以前話した人のことです。今、どこにいるのかわからないので、
僕なりに探してはいるのですが、なかなか見つからなくて」

「あの行方不明の人は、妊婦さんだと」

「はい。僕の子供がおなかにいます」


能美さんの言葉も、そこから止まってしまった。

保険の契約書類に印鑑でも押すと思っていたのに、とんでもないことになったと、

呆れられているのだろうか。


「私も、全国に散らばっている保険勧誘員が、妊婦さんではないと宣言は出来ません。
でも、入るときに妊婦だと言えば、おそらく産み終えてからにしなさいと
言われるでしょうね」

「やはりそうですか……」


能美さんは、名前と妊婦だという事実だけで、

全国の保険勧誘をしている人を調べるのは、とても無理なことだと助言してくれた。

俺は、それが出来ないことくらいはわかりますと返事をする。


「大倉さん、彼女を受け入れられない理由でも、あったの?」


能美さんは、大切な人がどうして消えてしまったのかという部分に興味を持ち、

美咲と離れてしまった理由を尋ねて来た。

『受け入れられない理由』というのは、親が反対しているとか、そういう意味だろうか。


「そういう理由はありません。
むしろ僕はそのタイミングがくれば結婚するつもりでしたし、
向こうも待っていると、信じていましたから」


それでも俺は、本当のところは美咲ではないのでわからないがと前置きし、

考えた思いを語っていく。

転校してきてから、常に『我慢』することばかり考えていた美咲は、

『幸せ』になることに対して、怖さが出てしまったのではないかと分析する。


「怖さ?」

「はい……妊娠という既成事実の方が先に出てしまって、
気持ちが追いつかなくなってしまったのではないかと……」


能美さんは、好きな人の子供なら、逃げることはなかったはずだと、

当たり前の意見を前に出してくれた。俺はその通りだと頷いていく。


「あいつを『自由』にしてやると、そう言ったんです。
色々なしがらみから全て解放してやると、そう宣言して東京へ来ました」

「しがらみ?」

「はい。家族の事情があって、親戚にも気を遣いながら生きてきました。
そばでそれを見ながら、なんとか支えてやりたいと、思い続けてきて、
自分ではそれが出来ていると、思っていたのですが。
もう、姿を消して1ヶ月近く経ちます。ここのところ、
戻ってくる気持ちがないのかもしれないと、思うことも増えて」


能美さんは、『うん』と相槌を入れながら、俺の話を聞き続ける。


「あいつの求める『自由』は、俺と別れることなのかな……と、
考えてみることもあります」


美咲を守るのは自分だと、そう思い続けてきた日々。

しかし、あいつの姿は、目の前にないままだ。


「本当に、どこにいるのかわからないのですか」

「はい……」

「探しては見たの?」

「ご両親とも協力して、探してみました。今ももちろん探しています。
あいつの思い出の場所にも行きましたし、警察にも届けています。
でも……見つかりません」


『妙谷温泉』にも顔を出した。

足取りだけは少しわかったが、そこから何も発展していない。


「大倉さんも忘れてしまえばいいじゃないですか」


能美さんは、それまで見せていた笑顔ではなく、少し真剣な眼差しでそう言った。

先日、禎史や憲弘と飲んだ日のことを思い出す。

禎史は、やれるだけやったら、忘れた方がいいと同じようなことを言ってくれた。

しかし……


「どこまで出来るかはわかりません。
僕も男なので、ひとりでは寂しいと思うこともありますし……
でも、今度は限界が来るまで『待とう』と決めているんです」

「今度?」

「大学時代に一度別れているんです。あいつが悩んで迷っているときに、
結論を出して欲しいと迫って、すぐに出せないことを怒って、それで……別の人と……」


『東京』にこだわってしまい、そばにいる梨花へ思いを移した日。

複雑な美咲の感情を理解することもせずに、突き放してしまった。


「だから、今回は待ちます。待たないと……」

「戻ってこないかも知れませんよ」


『戻らない可能性』が大きいのは、わかっているつもりだ。


「……はい。それで今日は能美さんにここへ来ていただきました」


能美さんは、俺の言葉の意味がわからないようで、不思議そうな顔をした。

俺はコーヒーに口をつけ、あらためて姿勢を整える。


「保険に入ろうと思います。受取人が不明ではダメだと言うことだったので、
とりあえず彼女のお母さんにしようと考えました」

「お母さん?」


美咲が、俺から自由になろうとしたとしても、

お母さんとはいつか連絡を取るだろうと、そう考えた。

『待つ』つもりではあるけれど、そこは人間だから、どうなるのかわからない。

それでも、『待っていた』という思いだけは伝わるように、

そして、もし俺に何かが起こっても、

そばにいてやれない美咲と子供に、何かが残るようにしたい。


「今の時期から、入っておきます。
生まれることをわかっていて、入っておきたいのです」

「大倉さん……」

「美咲の母親には、俺から話をします。
形に残したいからって言えば、わかってもらえるはずだと」


おそらく最初は拒絶されるだろう。それでも受取人とできるかどうか、

俺は能美さんに迫っていく。


「……わかりました」

「いいですか?」


能美さんはパンフレットの中から、記入用紙を取り出した。

『にこやか生命』の保険商品全てに共通する用紙だと前置きされる。


「ここに名前だけお書きください。印鑑などはまだ結構です。
来週……いえ、色々と確認が取れ次第、ご連絡をします」

「はい」


能美さんに出してもらったボールペンを握り、用紙の一番上に名前を記入した。

その下に住所を書く欄があったので、ペンを動かすと、それはいいと止められる。


「いいんですか? 名前だけで」

「結構です」


能美さんはテーブルの上に置いたものを全てしまうと、紅茶を一気に飲み干した。

あらためて顔をあわせると、名刺を1枚もらえないかと言われる。

俺は名刺入れを取り出し、1枚手渡した。


「『ボルテックス 開発事業部』ねぇ……相当勉強して入ったんでしょう」

「いや……運もあったのだと思います」

「いやいや、あなたはきっと上に立って、会社を作っていく人になるでしょう」


能美さんはそれだけを言うと、次の仕事があるのでと頭を下げてくれた。

俺はあらためて突然呼び出したことを謝り、連絡をお待ちしていますとそう告げた。





別に美咲が見つかったわけでもないし、何かが劇的に変わったわけでもないのに、

少しだけ心が軽くなったのは、『形』が見えたことかもしれない。

俺はその週末、車で実家に戻り、一人で『晴日台』に登る。

美咲は、ここからの景色が大好きだといつも言っていた。

あいつが過ごした『陵州』での日々は、辛くて悔しいことばかりだったはずなのに、

それでも、この景色が好きだと言い続けた。

榎本のいなくなった場所には、新しいクリーニングチェーンの工場が姿を現し、

壁に落書きをした人たちも、何事もなかったかのように利用しているのだろう。

大雨が降ると、道路が水浸しになり、

車が通るたびにハネばかりあげていた『一高通り』も、

『ボルテックス』の進出を祝うかのように、広い道路に変化した。


高校時代から、必死に『金村園』へ関わり続けた美咲がこの町から姿を消しても、

それを悲しむ人などなく、町はおかまいなしに姿を変える。

人なんて、自然や時の流れの大きさに比べたら、

すぐに吹き飛びそうなくらい小さな存在だ。



俺は車に戻り、そのまま『陵州物流センター』へ向かった。



工事現場の監督さんが、俺の顔に気付き走ってきてくれた。

すぐに頭を下げ、今日は仕事ではなく有給で実家に戻ってきたことを話す。


「そうですか、工事は順調です。来週には基礎が全て完成すると……」

「はい……」


来年の春、全てが完成したとき、俺はどんな気持ちでこの場所を見るだろう。

気をつけて仕事をしてくださいと声をかけ、その場を離れた。

そのまま向かったのは『金村園』だった。

以前、実家に戻ってきたとき、会社に土産として買った茶飴が好評で、

今日も買おうと店の前に車を止めた。

『ボルテックス』に入社し、色々な企業を関わりを持つ中で、

それなりに覚えたことがある。

店を見た印象で、だいたいの経営状態がわかるということだ。

美咲が、ここでガラスを拭いていた頃は、店の前はもっと綺麗だったし、

工場からも、ひっきりなしに音が聞こえていた。

落ち葉の処理もままならない店の前では、

誰かが捨てていったビニール袋が風に舞っている。

俺はそれを拾うと、右手で握りつぶす。


「いらっしゃい……あ……駿介」

「よぉ……」


『金村園』の制服に身を包んだ玲は、俺を見ると一度ため息をついた。




第38話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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