第38話

第38話




玲は店番を別のパートに任せ、俺を事務所に入れてくれた。

お茶でいいかと聞かれ、無言で頷き返す。


「急に来るなんてどうしたのよ。うちに文句でも言いに来たわけ?」

「どうしてそういうことになるんだよ」

「だって……」


玲は急須にお湯を入れ、湯飲みにお茶を注いでくれた。

茶葉の香りが鼻に届き、深い緑の色が目の前に現れる。


「美咲、戻ってこなかったでしょ。こっちでもあれこれ噂になっている」


美咲の行方がわからなくなったことは、

俺たちだけでなくこの地元の人間たちの間でも、話題になった。

あるところでは『金村園の社長が、別の縁談を進め、それが嫌で逃げたのだ』とか、

『安い給料でこき使われたからだ』とか、噂はしばらく勝手に流れたという。


「冗談じゃないわ。迷惑をしているのはこっちだし……」

「玲」

「何よ」

「お前、今でも本当にそう思っているのか?」


美咲への思いは、俺にとって特別なものだった。

でも、長い間、一緒にこの地元で育ってきた玲に対しても、それなりの感情はある。


「どういう……意味よ」

「お前は、『金村園』に守られ続けてきた。
それが当たり前のことだと思っていたのだろうけれど、東京ではそうならなかった。
初めて知ったんじゃないのか、自分は特別だったって……」

「駿介……」


今さら、美咲に辛く当たったことを蒸し返すつもりはない。

それでも、こうなってみて初めて、気付くこともあるだろう。

『金村園』を支えていたのは、そして自分が自由にいられたのは、

美咲がいてくれたからということ。


「『ボルテックス』が来ることになって、道路が広くなって、
今までなかったものがどんどん増えていった。別の店とか、会社とか、
遠くて出向けなかったところにも、バスが走り出して……」


美咲をよく助けてくれた赤城さん。

そして長い間『金村園』を支えてくれたパートたちは、

この秋前に、半数以上が辞めたという。


「他にもっといい仕事があるんでしょ……」


玲を取り巻いていた同級生たちも、それぞれが結婚や就職で町を出て、

会うことも減ってしまったらしく、あいつは唇をかみ締める。


「世話になったことなんて、みんな覚えてないのよ。
うちがあったから、『陵州』に住めていたのに……。
今までこっちの顔色ばかり伺っていた人たちも、
辞めるとなったら急に態度を変えてしまって」


確かに、玲からするとそう思えるだろう。

目の前にあった特別な状態が、当たり前だった日々を重ねてきたのだから。


「玲……」

「何?」

「やり直せばいいじゃないか」


中学や高校の時に比べたら、ものすごく年齢を重ねた気がしてしまうけれど、

まだまだ人生の積み重ねでは未熟者だ。

俺は、自分もそう思いながら『晴日台』に立ったと、白状する。


「お前と幸成さんで、新しい『金村園』を作ればいいよ。味は確かなんだからさ」


そう、仕事で色々な場所を訪れ、それなりに名産と言われるお茶を飲んだけれど、

俺にとっては『金村園』のものが、一番気持ちを安らげてくれる。

『晴日台』から見える、あの優しくてあったかい景色が、

乗り移ったように思えるからかもしれない。


「言われなくても、お兄ちゃんはやるわよ」

「うん……」

「ねぇ、もう一杯、飲む?」

「うん……」


それからしばらく、玲と俺との間には、何も言葉がなく、

ただ時間だけが過ぎていく。


「駿介、本当に美咲……まだ見つからないの?」

「うん……」

「全く、駿介だって美咲のこと、過大評価しすぎたんじゃないの?
気持ちはしっかり掴んでいるようなことを言っていたくせに。
あれこれ言えないでしょ」


玲の玲らしいキツイセリフが、妙に心地よかった。

もしかしたらここへ来たのは、こうして昔のように『しっかりしなさいよ』と、

言ってもらいたかったのかもしれない。

『坂田中学』と『陵州一高』サッカー部のマネージャーとして、

玲にはあれこれ言われてきた。


「かもしれないな。美咲なら大丈夫だって、そう思いすぎたのかもしれない。
仕事が忙しいからって、あいつとゆっくり話す時間も、なかなか取れなくてさ。
そっちはどうだって聞けば、『大丈夫』って言うだろ、それをただ信じてたのかも」


1杯目よりも、2杯目の方が色が濃い気がした。

口に含み、そして喉へ送り込む。


「あの子……弱そうに見えて、本当はものすごく強いから、きっと大丈夫よ」

「また大丈夫……か」

「そうじゃなくて、最終的には自分をしっかり通すからってこと」


玲は、昔、美咲にお願い事をしたけれど、

それは約束できないと言い返されたことを話し始めた。

どういうことを約束したのか尋ねてみたけれど、それは教えられないと言い返される。


「とにかく、美咲はズルイのよ。精一杯かわいそうな人を演じ続けたから、
でも、ここは譲れないってところは絶対に譲らない。自分を通すの。
そういうキツイところは、みんな知らないから、ほら……いなくなったら急に、
あの子はいい子だったって、味方してもらえるのよ。
ここにいたときには、散々『よそ者』だとか『いい気になっている』とか、
言っていたくせにね」


褒められているのか、けなされているのかわからないけれど、

玲らしい分析だとは思える意見だった。確かに美咲は、ただ我慢しているだけではない。


「なぁ、やっぱり『金村園』のお茶はうまいな」

「何よ、とってつけたように」

「いや、普段安いのばかり会社で飲んでいるからだろうな、
こうして落ち着いて飲むと、違いがよくわかった」


玲はもう一杯飲んでいかないかと聞いてきたが、俺はそれを断った。

長い間話していると、またぶつかりそうな気がする。





「はい、茶飴。せいぜい宣伝してよ」

「わかったよ、そう強制するな、やる気がなくなるだろ」


目的だった『茶飴』を買い、自宅用にお茶も購入した。

ささやかではあるが、売り上げ貢献をした気分になる。


「ねぇ、駿介」

「何?」

「美咲は戻ってくるわよ、きっと」


玲の言葉に、俺は無言で頷いた。

根拠のない言葉でも、気持ちを後押ししてくれるだけでありがたい。


「美咲のことを、誰よりも思っていたのは駿介でしょ」


それ以上、あれこれ言われると天気でも悪くなりそうだと照れを隠し、

俺は『金村園』を離れていく。

曲がり角で車が消えるまで、玲は店の前に立っていた。





カレンダーは10月に入った。東京へ戻り、仕事をまた開始する。

しばらくすると、能美さんから連絡があった。

保険のことをすぐにでも美咲のお母さんに話すべきだったが、

仕事が立て込んでいて、まだ挨拶に行けていない。

能美さんは、それはそれとして話があるといい、

『ボルテックス』の前にある喫茶店で待っているとそう言った。

俺は休み時間になったことを確認し、喫茶店へ急ぐ。

今日も仕事先の人と話をする社員や、営業で疲れた体を少し休める人たちで、

賑わっていた。


「すみません」

「いえいえ……」


能美さんはその場から立ち上がると、1枚の名刺を差し出した。

俺はそれを受け取りながらも、いつもと違う能美さんをじっと見てしまう。

会うのは今日で3度目だけれど、初めての和服姿だった。


「これからどこかへ出かけるのですか」

「いえいえ……」


いただいた名刺には『小料理 さゆり』と書いてあり、住所と電話番号が載っていた。

能美さんは、自分のもう一つの顔がここにあるのだと笑っている。


「実はね、大倉さん。私、小料理屋を持っているのよ。
昼間は保険の勧誘員をして、夜は店を開けているんです」


『さゆり』というのは、能美さんの本名らしく、有名な女優と同じ字なのだと、

得意げに話してくれた。保険の勧誘の次は、店を使って欲しいというお願い事かと、

和服姿に納得する。


「今日はね、ちょっとした話があるんですよ。聞いてもらえる」

「はい」

「1ヶ月半くらい前にね、私、和服の展示会に出かけた帰り、
駅前で心臓が急に痛くなってしまって、うずくまったの」


能美さんには『心臓の持病』があるらしく、疲れていたからか、急に痛みを覚え、

駅の前にあるベンチ横でうずくまってしまった。

昼間とはいえ、それなりに人通りもあったのに、声をかけてくれる人はいなくて、

どうしようかと考えていると、

一人の女性から『救急車を呼びましょうか』と言う声が聞こえてきたという。


「お願いしますと言えなくて、とにかく大きく頷いて……で、意識が遠くなる中、
サイレンの音がして……気付くと病院のベッドだった」


能美さんは無意識の中で、手帳に挟んでいる主治医の先生の名刺を出し、

救急車はその病院へ向かった。


「何を言われたとかは覚えていなかったけれど、
誰かの手をずっと握っていたことだけは記憶にあってね。
ベッドでまず聞いたのよ。通報して、手を握ってくれた人はどこへって」

「はい……」


能美さんの手を握っていた女性は、病院のスタッフに見つけたときの状況を告げ、

病院から出て行く寸前だった。スタッフから呼び止められ、病室へ入り、

初めてお礼をしたのだと、能美さんはここでもう一度そのシーンを再現してみせる。


「どこに住んでいるのか、連絡先の番号を教えて欲しいと迫ったら、
彼女は黙り込んでしまって……」


確信はないのに、どこかで何かを期待していた。

鼓動がどんどん速くなり、話の続きを気持ちが催促する。


「それから……その人は……」

「どこに住んでいるのかも、連絡先も言えないと言うだけで、黙ってしまうけれど、
私だって、世話になっておいて何もなく終わらせるなんてことは出来ないと、
断固として譲らなかった。そうしたら、ポツリ……と言ったんだよ。
自分は、居場所を捨ててしまったって……」


能美さんは、俺の顔をしっかりと見たまま、その女性が頼る身もないまま上京したこと、

そして細かい理由を聞かないまま、助けてやりたくて、店の2階に住まわせたこと、

昼間、自分が保険の勧誘をしている間に、仕込みの仕事をさせていること、

それを順々に語ってくれた。

聞けば聞くほど、話が流れれば流れるほど、その人は、俺の探している人ではないかと、

期待だけが膨らんでいく。


「毎日……赤ちゃんの産着を縫ったりしながら、過ごしているよ」

「能美さん……それ……」

「あぁ……大倉さんの探している人は今、私の家にいる。
室井美咲……違うかい?」


俺は、驚きと嬉しさとで声が出ないまま首を横に振った。

まさかと思っていたところから、美咲の居場所がわかり、

すぐにでも飛び出したい気持ちを抑え、両手を握り締めた。




第39話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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