第39話

第39話




ただの保険勧誘の人だと思っていた能美さんの家に、美咲は世話になっていた。

いきなり訪れた事実が信じきれずに、俺は速まった鼓動と呼吸を合わせるため、

少し大きく息を吐く。


「もっと早く、どうして来てくれなかったんだと、思っているだろう。
でもね、大倉さんが関わっているとわかるまで、少し時間がかかったんだよ。
美咲は何も言わないし、強く聞いたり迫ったりしたら、
あの子が出て行ってしまう気がしてね」


能美さんは結婚していたが、若い頃に離婚し子供もいないため、

美咲がそばにいる生活を、いつの間にか自分が失いたくなかったのだと、

正直に語ってくれた。


「美咲の気持ちが切り替わるまで、何日か置いてやろうと思っていたのに。
いつのまにかさ、私自身、美咲がいてくれることが心地よくなってしまって、
おかしいだろ、さんざん一人がよくて、そう……自由に生きてきたのに。
寝る前にさ、『さゆり』は小さな店だけどさ、継ぐ者もいないし、
もしなんなら、美咲が赤ん坊と一緒にって……勝手に思ったりもしてね」


能美さんは、美咲は妻子ある男性との恋の果てに、

子供を身ごもってしまい、逃げてきたのでないかとか、

話をしてくれない理由をあれこれ考えたという。

しかし、ある日、美咲が熱心に新聞を読んでいるのを見かけ、

それが『ボルテックス』の記事だったこと、母子手帳が入っているケースの中に、

2枚の写真と、俺の名刺を見つけたことを教えてくれる。


「『大倉駿介』。あなたがどんな人間なのか、私にはわからなかった。
『ボルテックス』に勤めている男が相手なら、普通、喜んで結婚するだろうに、
それをせずに逃げてしまったことが納得できなくてさ、
それで、保険勧誘の仕事を生かし、ここへ飛び込みでやってきた。
勝手に、美咲の保護者にでもなったつもりで、大倉駿介を品定めしてやろうと、
意気込んできたわけよ」


能美さんは、俺と話をする中で、

美咲との関係がどういうものなのかわかればと思い、いきなりたずねてきた。

俺は、高瀬先輩から、人の名刺を勝手に使う人たちがいることを聞いていたため、

何も疑問に思わず、保険の勧誘だとばかり思っていた。

しかし、能美さんの人当たりのよさから、俺は初めて会った人なのに、

プライベートもあれこれ語った記憶がある。


「保険勧誘員の特技は、とにかく相手がどんな考えを持つ人なのか、
ある程度見抜くことが出来るってことだね。人生設計の話をすれば、特に。
誰だって、自分がかわいいし、損はしたくないだろう。
もし、あなたが『身勝手』な男なら、何も言わずに逃げるつもりだった。
美咲を苦労させる男なら、いなくたって同じだからね。
でも大倉さん。あなたのことは、すぐにわかってしまったよ。
美咲を真剣に探していることも、今まで真面目に生きてきたことも……」


能美さんは、俺の服装、言葉遣い、立ち振るまいなど、

細かくチェックしていたと笑顔を見せた。

今、ゆっくりと考えてみたら、確かに納得がいく。


「この間、書いてもらった書類の名前、家に戻ってから美咲に見せたんだよ。
行方のわからないあんたを、彼は真剣に待っているって……」


行方のわからない美咲と、その子供のために、

入ろうとした保険の書類。


「美咲は……」

「あぁ、大倉さんの筆跡を見て、すぐに泣いちゃったよ」


能美さんは、細かいことはゆっくり話し合えばいいと、

仕事が終わったあと、店へ来るようにと言ってくれた。


「ありがとうござい……あ、能美さん。今、美咲しか家にいないわけですよね。
もしかしたら、俺のことでまたあいつ、出て行ったりしないでしょうか」


思わず言ってしまった。

能美さんがいないうちに、『さゆり』を出て行ってしまわないだろうか、

その言葉に、能美さんは手に持っていた扇子で俺の頭を叩く。


「自信のないことを言っているんじゃないよ。
あんたが本当に真剣に思っているからこそ、
姿のない美咲と子供のために保険に入ろうとしたんじゃないか。
それを嬉しいと思わない女なら、そう、美咲が今の時間に出て行ってしまうようなら、
それこそそんな恩知らず、今度はあんたが突き放せばいい」


能美さんは、世話になった自分が『ここで待て』と言ったのだから、

絶対にいなくなるわけがないと、そう言い切った。

俺は、その通りだと頷き、必ず店に向かいますと返事をする。


「そう……一度ね、急な痛みで救急車を呼んだことがあったんだよ。
もしかしたら子供がダメかもしれないって。そのとき、美咲がおなかをかばいながら、
駿介……って、言っていたね」


能美さんはその時のことを思い出したのか、ハンカチで目頭をそっと押さえた。

姿の見えない俺を、美咲が探したのかと思うと、こっちまで涙腺がゆるみそうになる。


「どうとっちらかったのかはわからないけれど、
美咲も勢いで出てしまったんだと思うよ。だから、強く責めないでやって。
この能美さんが半分、そばにいてくれって、しつこかったんだからさ」


能美さんは、また笑顔に戻ると、待っているからねと念を押してくれた。

俺は立ち上がり、美咲が世話になったことをあらためて感謝し、深くお辞儀をした。





美咲は、俺が住む東京に暮らしていた。

会社に戻り、窓から見える風景を左から右へずっと流しながら、

ふと『妙谷温泉』での出来事を思い出した。

一番大きなホテルで、美咲が訪ねてこなかったと聞いたとき、こんな田舎よりも、

意外に『東京』のような場所の方が、確立が高いのではと助言された。

人情映画のように、気持ちの優しいおかみさんが助けてくれると言われたときには、

それはありえないだろうと思ったのに、実際に美咲を助けてくれたのは、

能美さんという人情のある女性だった。

フィクションがノンフィクションを越えることもあるのだと、

あらためて電車が向かう先を見つめながら、大きく息を吸い込む。

携帯を取り出し、美咲の両親へ連絡をしようとしたが、その手を止めた。

確実に美咲と会って、それから連絡をした方が、いいような気がする。


「『さゆり』……か……」


『東京』という場所は、狭くて広いところだと、そう思った。





先輩と以前の仕事で役所へ向かっていた道から、

1本外れた場所にあるのが『さゆり』だった。

今日はここで仕事を終え、酒でも飲もうと思えば、

ふらりと入らない場所でもなかったのに。そう考えると妙な気分になる。


訪ねる俺よりも、訪ねられる美咲の方が緊張するだろうと思いながら、

暖簾をくぐった。


「いらっしゃい……あ、はいはい、どうぞ」


能美さんは、午前中に会ったときと同じ姿で、カウンターの中にいた。

常連客なのか、チューハイのグラスを片手に、煮物をつまむ男性と、

反対の端で、揚げ出し豆腐を箸で切っている男性がいる。


「あれれ、新顔かね」

「富ちゃん、ほら、言っただろ。今日は美咲の大事な人が来るんだよって」

「ん? 美咲……なにぃ、美咲ちゃんの大事な人? なんだよ、そりゃ」

「なんだよじゃないよ、富ちゃんがいくら好きだよって言ったって、
私がダメだって、言っただろ」


『好き?』

その言葉に一瞬反応したが、すぐに能美さんが冗談、冗談と笑ってくれる。

富ちゃんという年配の男性は、近所にある板金工場の会長さんで、

美咲を娘のようにかわいいと思うのだと、『好き』の意味を教えてくれた。


「美咲を不幸にしちゃいかんよ、兄ちゃん」

「富ちゃん! ちょっと飲みすぎだよ。ほら、大倉さん、上へ……」

「ありがとうございます」


能美さんをはじめとした、人情味のある人たちに囲まれながら、

美咲はここで暮らしていた。

中学のときから、親戚なのに心を許せない人たちに囲まれていたことを思うと、

もしかしたら意外に心地よい毎日なのかと思ってしまう。

それでも、そんな考えは吹き飛ばそうと首を振る。

俺も、そして美咲の両親も、必死に探していたのだから。


襖を前にして、一度立ち止まる。

大きく深呼吸をして、軽く左手で叩いてみる。

中から、聞き覚えのある声で、『はい』と返事があった。

俺は襖を開け、前をしっかりと見る。

小さなテーブルを挟んだ向こうに、少し髪の毛を伸ばした美咲がいた。


「……美咲」

「ごめんなさい……」


どれほどの思いで探したと思っているのか、

苦しいことがあるのなら、言えと言ったはずだとか、

ご両親が心配しているのに、どうして連絡すら寄こさなかったのかと、

あれこれ言いたいセリフだけは浮かぶものの、声としては出て行かない。

痩せてしまった頃より、おなかに子供がいるためなのか、少しふっくらした頬があり、

目の前にたたんである小さな産着が、何もかもを真っ白にさせた。


「体は、大丈夫なのか」

「うん……」


部屋の中に1歩踏み入れ、ゆっくりと美咲の横に向かう。

美咲は立ち上がり、下を向きながらも、黙って俺の腕を受け入れた。


「心配したんだぞ……」

「ごめんなさい……ごめんなさい」


しばらく美咲を抱きしめていると、階段を上がる音がしたため、慌てて手を離す。

能美さんがお茶を持って現れ、またすぐに下へいってしまった。

時間は十分にある、美咲の話をじっくりと聞かなければ。


「話してくれないか、今までのこと、全て」

「……うん」


美咲は大きく息を吐くと、全てを語ってくれた。

榎本から聞いていた通り、『ボルテックス』と俺との関わりを知り、

それを好意的に見るもの、逆にうらやましさから辛く当たるもの、

美咲の周りでも、そんな空気があちこちに流れていた。


「玲ちゃんの婚約がダメになって、おじさんの態度が今まで以上に冷たくて、
おなかに子供がいるってわかった時、また……」


美咲は『また……』という言葉で、止まってしまった。

そう、その言葉の続きは、俺にもなんとなくわかる。

美咲が何かを決断し、前を向こうとしたとき、金村さんはいつも邪魔に入った。

そのたびに、美咲は懸命に笑顔を作り、

我慢するのは仕方がないと自分を押さえ込んできた。


「また……邪魔されるのかなって。
もしかしたら、子供をおろさないとならないかもしれないって、そう思って」


金村さんは、美咲に俺が福山部長の娘さんと婚約すれば出世もするが、

美咲が相手だと親のこともあり、将来は明るくならないだろうと言い続けていた。

何も言わないで欲しいと言ったのに、あの人は約束など守らなかった。


「そんなこと信じるなんて」

「信じていたわけじゃないけれど、
でも、実際、父がアパートを借りることに苦労して、
そのことでも駿介に迷惑をかけてしまったでしょ。自分たちが無力で、とっても小さくて、
ただ駿介の邪魔をしているような気がしてたまらなかったの。
私と関わるよりも、会社の偉い方との付き合いを大事にしたほうが、
確かにいいのではないかって思ったり、ビルの大きさに、圧倒されてしまって。
駿介に私が関わることが、本当に正しいことなのか、わからなくなって……」

「美咲……」

「子供がお腹にいるとわかったとき、
この子も父のことで、周りからあれこれ言われることになるのではないかって、
そう思ってしまったの。父の事件のことなど……ううん、
私が父の娘だと知らない人ばかりの土地へ行けば、真っ白な状態で、
この子を育てていけるって……」


気持ちが複雑になる中、美咲は『陵州』を離れてしまった。

今回のことだけではなく、中学の頃から何もかも我慢し続けてきたストレスが、

『誰も知らない土地』への思いを、押し出してしまったのだろう。

美咲は、また我慢して親と暮らしていたら、

どこかで父親に当たってしまう気がして怖かったと、声を詰まらせる。


「能美さんに偶然出会って、2、3日付き添ってあげるつもりだったの。
でも、能美さんも寂しい人だった。お互いに、どこか心の隙間同士がかみ合って、
気付くとどんどん日付だけが進んで」


能美さんの話を聞けば、確かにそうだったのだろう。

人の話を聞いてくれるのが上手な人だ、

美咲にとっては『知られていない』ことの心地よさがあったことを、

責める気にはならない。


「俺は、ショックだった、お前が来てくれなかったことが」

「駿介……」

「ずっと、美咲を支えていると、そう思ってきたから。
これからも、俺が美咲を支えていくって、そう考えていたから」


どんなに辛いことがあっても、俺がいることで美咲を救ってやれていると、

そう自負してきた日々。よく考えると、それが気のゆるみだったのかもしれない。


「この月日の中で、俺なりに色々と考えた。何が間違っていたのかなって……」

「駿介は間違ってなんていない。私が悪いの……」


俺は美咲の言葉に、強く首を振った。

美咲が正しいとは言わないが、俺にも間違ったところはあったはずだ。


「こんなことになっても、俺は美咲と生きて行きたいと思っている。今でも変わらない。
美咲のお父さんの過去なんて、俺にはどうでもいいことなんだ。
お前がそばにいてくれることが、何よりも大切なことだからさ」

「駿介……」

「いい加減、甘えろよ。中学の時から、
お前に迷惑をかけられたなんて言ったことがあったか。いや、むしろ、
頼って欲しくて、俺たち気持ちがずれて別れたんだぞ」

「うん……」

「毎日仕事を終えて、部屋に戻って、天井見上げて……」


そう、天井を見ながら、何度も泣いた。

美咲の苦しさを理解してやるために、何をしたらいいのかわからず、

黙って涙が流れていくのを感じ続けた。


「俺は、お前と一緒にいたいんだ。だからここへ迎えに来た。
美咲の本当の気持ちは、どうなんだ」


子供がおなかにいるから、だから結婚したいというのではない。

俺から離れてしまいたいと言うのなら、それはそれで考えるしかない。

時が経ち、それぞれの年齢が重なっても、結局俺の中にある思いはひとつだった。


『美咲を自由にしたい』

『美咲を助けてやりたい』

その目的を遂げるのは、絶対に自分でありたい。


「私も……駿介と生きて行きたい」


美咲の言葉を聞き、俺はもう一度しっかりと抱き寄せた。

二度と離さないという、強い、強い思いを込めて……


「こんなこと……二度とするな」

「うん……」


『美咲の反乱』は、大変なことだったけれど、

美咲にとっても、また、陵州の人たちのとっても、大事なことだったのではないかと、

今では思う。


玲が言っていたように、美咲がいなくなってから、環境が変わってしまった。

当たり前のような時間が、当たり前ではなかったことに気付くと、

それは取り返しのつかないものになっていた。


榎本が言っていたように、離れてみてわかることがある。

美咲も、我慢ばかりしていた日々に感じていた『陵州』の時間も、

自分にとってはかけがえのないものだと、あらためて気付いただろう。



東京へ出てきた、俺も同じことで……



その日は、能美さんの店で、富ちゃんのカラオケを聞きながら、

美味しいおでんをいただいた。

美咲の居場所がわかり、あらためて週末に伺いますと話すと、

お母さんは受話器越しで涙声になり、

お父さんは何度も『ありがとう』と言ってくれた。




第40話

小さな芽を出した駿介と美咲の『恋』、強い風に倒されず、花は咲くのか……
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