5 心が揺れる女 【5-1】

5 心が揺れる女


【5-1】

『船丘3丁目 マンションスクエア 402号室』



私は、いったい何を考えているのだろう。

休憩時間、メールのやり取りをする中で、謙の住所を自ら聞いていた。

その後の仕事を無事に終えると、急ぎ足で行内を出る。

電車を乗り継ぎ、目的地へ向かった。

駅前にある薬局に立ち寄り、私がよくお世話になる風邪薬を買い、

隣にあるスーパーで、男でもすぐにどうにかなる食料を買う。

冷蔵庫の中に飲み物はあるだろうか、疲れている体には果物がいいはず。

あれこれ見ていると、カゴが重たくなっていた。



謙には、将来を誓った人がいる。

あの男は、私を切り捨てた人。



私は、流れそうになる心を抑え、それ以降何も商品を見ることなく、レジへ向かった。



別に病人の面倒を見ようと思っているわけではない。

これを届けて、謙の顔を確かめて、それで家へ帰るだけ。

いくら彼が一人でも、もう、自由に会える人ではないのだから。



また、線を踏み越えることには、ならない。

私は、同じ過ちを繰り返すことはしない。



さすがに高級そうなマンションだった。ワンルームとは思えない気がして、

インターフォンを鳴らす手に、力が入る。

もし、女性の声がしたのなら、そのまま帰ろう。


『……はい』


謙の声だった。


「米森です」


扉のロックが解除され、私はそのまま奥へ進み、エレベーターに向かう。

周りを気にしながら乗り込み、4階へのボタンを押すと、

速くなる鼓動を抑えようと、大きく息を吐いた。

荷物を届けるだけ、様子を見るだけ、もう一度自分に言い聞かせる。

部屋の前に立ち、念のために表札を確認し、インターフォンを鳴らした。

何秒後かに扉が開き、謙が姿を見せてくれたけれど、

見えた顔色は、あまりよくなかった。


「悪いな、心配かけて」

「これ、私が風邪の時に飲む薬です……無理に食べなくても飲めるタイプで……」


手渡したらそれで帰ろうと決めていたのに、扉の隙間から私の目に入ってきたのは、

脱いだままのスーツの上着と、無理して仕事をしていたのか、乱れた書類。

そして、いくつかのお酒の缶。


「……本当に……一人なのね」


持ってきたものの説明をしようと思っていたのに、言葉は頭の中を代弁してしまった。

見てもいないのに、男の一人暮らし、積み重なる洗濯物が想像できる。

仕事は誰よりも出来るし、書類の整理なども完璧なのに、

自分のこととなると、まるっきり抜けてしまう人だと初めて知った。


遠距離恋愛をしている彼女がいることはわかっていたから、

昔、付き合っていた頃にも、彼の部屋を訪れたことはない。


何かを残してしまうことが、怖かったから。

だから、謙と会うのは、いつも私のマンションだった。


「ありがとう……うつすと困るから……」


閉まりかけた扉を、自らの手で止めてしまった。

この光景を見て、そのまま扉を閉めることが出来なかった。


「空気、入れ替えていくだけだから」


私は謙の横を通り、靴を脱ぎ、そして乱れた書類を整え、空いた缶を片付ける。


「歌穂……」


目の前にある光景を、整えたかっただけ。

この先を探すような気持ちに、なりたくないから、何も残したくはない。


「やることだけやったら、すぐに出て行きます。変に気をつかわないで。
副支店長に寝込まれると、めぐりめぐって、私が迷惑するから」


かわいくない女から、かわいくない言い方で、言葉が飛び出て行く。

窓を開け、洗濯物を洗濯機に入れると、スイッチを押した。

水の入る音がし始め、私は洗剤をそれぞれの場所にセットする。

あとは、時間が来るまで、機械に任せておけばいい。


「奥さんを呼べばいいのに」


奥さんが来ているという様子があれば、ざわつく思いも抑えられただろう。

彼はもう人のもので、それを選んだのも彼なのだと、

区切りをつけることが出来たはずなのに。


「……言っただろ、もう、終わっているんだ」


たぐり寄せたくなるような細い糸が、目の前に浮いている気がして、

その糸をつかみたくなった。でも、きっと、その先は急に切られていて、

私は奈落の底に落とされるはず。


「病人は寝ていて。動かれても邪魔だから」


私はそう指示を出し、買ってきた薬を飲ませる。

食べ物をあれこれ冷蔵庫に入れ、今、何か食べられそうなのかと聞いてみた。


「何が……ある?」

「食べられるのなら、うどんでも作るけれど」

「歌穂が?」

「そうよ、誰が作るの?」


謙は少しだけ笑ってくれた気がした。

私は買ってきた材料を取り出し、お鍋を探す。


「ねぇ、お鍋は?」

「ないな、調理器具は深めのフライパンしかない」


私はそれを棚から取り出し、火にかけた。



【5-2】

動き出す恋模様。雨は心を濡らし、花火は心を照らす。
歌穂の『心』は……ゆっくりと歩き出しているようで……
1日1回、読みましたの拍手、ランクぽちもお願いします(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント