5 心が揺れる女 【5-4】

【5-4】

昔、大学生の頃、居酒屋でバイトをしたことがあった。

店長は料理の上手な人で、市販されている唐揚げの粉に、

ちょっとしたスパイスを加えると美味しくなる話を聞き、何度か作ったことがある。

いつもなら揚げ物などしないけれど、

こんな日はどうせなら、温かくて美味しいものを食べた方がいい。

せっかく1年に1度の日。この日は久しぶりに油の音を耳で聞き、

だんだんと盛り上がり始める川沿いの音たちを聞いた。


花火大会まで、あと30分。

揚げたての唐揚げと、缶ビール。

私はカーテンを開け、暗さを増していく空を見上げる。

ここは誰に邪魔されることもない特等席。場所取りする必要もないし、

虫にさされてかゆい思いをすることもない。

ゆっくりと自分のペースで花火を堪能できる。

隣の灯りが少し気になり横を向くと、ベランダを開ける音が聞こえた。


「イェーイ!」

「まだかな、おい、圭、まだかよ」

「騒ぐなって、うるさいだろうが」


梶本君の声も聞こえたけれど、そうではない声も何人か聞こえてきた。

男性の声も、女性の声も混じっている。

すでに酔いが回り始めているのか、一人の男性がベランダの境目から、

こちらに顔を出した。


「こんばんはっす……」

「こんばんは……」

「圭の大学の同級生、神田と言います!」

「おい、卓!」


少し奥の方から、梶本君の声が聞こえてきた。

神田君は、身を乗り出したまま、私が梶本君の先輩だと知っているようで、

一緒に飲みませんかと誘ってくれた。

学生のノリがまだ消えていないメンバーと、わいわい飲む気持ちにはなれず、

私はありがたいけれどと断りを入れていく。


「……美味そう……ですね」


神田君の目は、私が持っていた唐揚げに向かったようだった。

褒めてもらって、無視して通りすぎるのは悪い気がするので、

私は、作りすぎているから、よかったらみなさんでとお勧めする。

予想外の展開だけれど、これはこれで仕方がない。


「いいんですか? 本当に」

「美味しいかどうか、わからないけれど、どうぞ」


流れでそうなってしまった。

矢部さんが妙なことを言ったから、用意したわけではないけれど、

もし、梶本君が隣に一人でいるのなら、ベランダ越しに話をして、

互いにつまみとするのもいいかもしれないと、思ったことは事実。

神田君がベランダから消えて、うちの玄関を叩く音がした。

私は他にも作っていたつまみを、それなりに皿に飾ってあげる。


「はい、どうぞ」


扉を開けたのは、梶本君だった。

申しわけなさそうな顔がそこにある。


「こんばんは、お友達が来ているのね」

「すみません、こんなつもりじゃなかったんですけど、あいつら……」

「いいじゃないの、楽しく見れば」

「でも……俺は……」


私は大皿を梶本君にさしだし、みなさんでどうぞと言ってあげた。

梶本君は頭を下げて受け取ったが、そこを動こうとはしない。


「すみません……米森さんは、こんなふうに騒々しく、見たくなかったですよね」


梶本君にとっても、今日の出来事は予想外だったのか、

いつまでも申し訳なさそうにしていることがかわいそうで、

私は気にすることはないからと笑顔を見せる。


「毎年、やっていることは知っているけれど、そんなに真剣に見ていないって、
そう言ったでしょ」


ウソをつく。

1年に1度ある、この『花火大会』が見たくて、私はこの部屋を借りた。

大切な思い出を、心に呼び起こしてくれる日。


「すみません……」

「何度も謝らないで。それより、冷めちゃうからどうぞ」


梶本君はもう一度頭を下げると、自分の部屋へ戻っていく。

私はベランダに出ることをしないまま、目の前であがる花火を見た。



『お父さん……見て!』

『ほら、歌穂。立ち上がってはダメだぞ、他の人が見えなくなる……』

『うん』



1時間くらいで、花火はクライマックスを迎え、

最後に大輪の花が空に咲き、観客からは大きな歓声が上がった。



『夜空に光る、一瞬だけの星』



楽しみにしていた『花火大会』は、あっという間に終わってしまった。





私にはまた、いつもの日々がスタートした。

身支度を整えて、お弁当をバッグに入れ、火の元の確認を済ませ部屋を出る。

鍵をかけていざと思ったら、廊下に梶本君が立っていた。


「……おはよう」

「おはようございます」


梶本君はどうも朝からここに立ち、私が出てくるのを待っていたように思えた。

顔つきからいっても、花火大会の日のことを謝るつもりなのだろう。


「土曜日のことなら、本当にもういいからね」


先にそう話しかけると、梶本君は『でも……』と言葉を詰まらせる。

遅刻をするわけにはいかないので、歩きながら話すことにした。



【5-5】

動き出す恋模様。雨は心を濡らし、花火は心を照らす。
歌穂の『心』は……ゆっくりと歩き出しているようで……
1日1回、読みましたの拍手、ランクぽちもお願いします(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント