9 今に気づいた女 【9-4】

【9-4】

小林さんが到着したのは、確かに30分後だった。

午後はフリーだと思っていたのに、担当の患者が少し容体を崩し、

その対応に追われたこと、今日はまた3人で会うことが出来て、

非常に気持ちが高ぶっていること、先日と同じように、

ひとりでどんどん話しを展開していく。

この間は仕方がないと思いつきあっていたが、今日はそういうわけにはいかない。

姿を見せないのはあまりにも失礼だと思い、この場で必死に耐えていたが、

もう限界だ。


「小林さん」

「はい」

「申し訳ないですが、私はここに残るつもりはありません。
父とのつきあいをどう続けていくのか、それは私の関するところではないですが、
私は、あなたとのお付き合いをするつもりは、全くありません」


小林さんは、私は魅力的な人間ではないのでと、なぜか謙遜し始めた。

そんなことが理由ではない。


「違います。あなたがどうのこうのではなくて……」


心の底から、わき上がるような気持ちが、私の心を急かしている。

『大切なこと』が待っている場所へ、戻らないとならないから。



「とにかく、失礼します」



顔を見た。もう会いたくないことも言った。

失礼なのは承知の上だけれど、ここにいる人たちの誰よりも、

向こうで待っている梶本君に対しての方が申し訳ない。


廊下に出て行くと、食事を運ぼうとした坂口弥生に会った。

戻りなさいと顔が訴えている。


「歌穂さん」

「そこをどいて……」

「お父様の立場も……」


父の立場。大学教授? それとも父親という立場?

この人の言いたいことは、何一つ理解できない。


「そんなもの、守りたい人が守ればいいのよ!」


二度と家の敷居をまたぐなと言われるのなら、それでもいい。

私はもう、親がいなければならない年齢ではないのだから。

必死に駅まで戻り、時計を見るが、夜の7時をすでに回っていた。

『森口支店』からなら1時間もかからないのに、ここからだとどう急いでみても、

1時間半はかかるだろう。


「はぁ……」


どうしてこんなことになったのだろう。

せっかくいただいた野菜を使って、お礼をしようと思っていたのに。

米森さんは、何をしているんだ、ウソつきだと思われてしまう。


「早く……早く動いて……」


梶本君のことだからきっと、余計なものなど何も食べずに、

私が声をかけるのを待っているだろう。

いや、ベランダから隣を見て、灯りがつかないことに首をかしげているかもしれない。

私のことを、ウソつきな女だと思うくらいならいいけれど、

彼はきっと……





また、何かがあったのかと、心配している……





駅を降り、寄るはずだったスーパーでカゴを取る。

でも、これから作っているのでは夜の10時を過ぎてしまう。

とにかく事情を説明するのが先だと、私は走って部屋へ向かった。

お世話になったおまわりさんに、どうしたのかという顔をされたけれど、

とにかく前へ進むことだけを考える。


見えてきたマンション、3階を見ると、ベランダに梶本君がいた。

私の姿に気づいてくれたのか、ベランダから部屋の中に入っていく。

とにかく謝って、説明しないと。


とりあえずエントランスに立ち、バッグを開けカギを探していると、

エレベーターから梶本君が降りてきて……




……私はその腕に、抱きしめられた。




「よかった……何かが起きたんじゃないかって、心配して……」




ほら……この人はそうだと思った。


「何を心配していたの」

「この間、米森さんを訪ねて、銀行に来た男がいたし、
ひったくりにあったこともあるし、もしかしたら何かあったのかもって、俺」



腕の中がこれだけ温かいのだと思えるのは、きっと……

梶本君の言葉が、さらに温かいから……



「よかった……何かあったわけではなくて」



何度も繰り返される同じ言葉。

かわいげもない私の、いったいどこを好きだと思ってくれているのだろう。

いつまでも、抱きしめられているわけにはいかずに、その腕の中から抜け出していく。


「ごめんなさい、食事作るからって言ったのに……思いがけないことが起きて、
買い物もしてないの」

「そんなこといいんですよ」

「何か、食べた?」


梶本君は、怒りもしないで、笑顔のまま首を振っている。

やはり、彼は待っていてくれた。

あんな父親に連れて行かれた自分が情けなくて、嫌になってきた。



「何か取りましょうか、今日はとりあえず……」



小林さんが銀行に来た日、嫌がらずに向かい合っておけば……

そう、謙の助け船などに乗らず、自分がしっかり断っておけば、

梶本君にこんな思いをさせずに済んだのに。



「ごめんなさい」

「ごめんなさい……は宅配してくれませんよ」


梶本君は冗談ですと笑いながら、寿司とピザどちらがいいかと聞いてくる。


「俺、酒だけは買っておきました。米森さんが好きな酎ハイ。
食事はまた、楽しみにしています。だからそんなに謝らないでください」


もう一度、梶本君が私にチャンスをくれた。

ウソつきだと思うことなく、受け入れてくれた。


「切なそうな顔をされていると……俺……」

「何?」

「キスしたくなってしまうので」


思いがけない言葉に、エレベーターの扉がちょうど閉まっていく。

私は、梶本君の顔が近付くのではないかと、一歩後ずさる。


「冗談です」


全くもうと思いながらも、私の顔はここから、優しい笑顔になれた。



【9-5】

ピンチのあとにチャンスあり。ようはそれをつかめるか!
32歳、歌穂の『恋する思い』は、何をつかむのか……
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