16 追い込まれる男 【16-2】

【16-2】

粕谷部長は私の前に両手を置き、『東日本』の連中は、

裏切って『成和』へ移った謙のことをよく思っていないのだと、話を続ける。


「粕谷部長」

「ん?」

「そういうお話は、冗談でもしないでください」


全く、失礼にもほどがある。部長が謙をどう思おうが勝手だけれど、

何を血迷っているのだろう。私があなたの指示に、従うとでも思っているのだろうか。


「冗談ねぇ……こっちこそ君にその言葉を返すよ。
あいつへ恨みがあるのは、君も一緒だろ……」


冷静に考えてみると、謙と付き合っていた当時のことを、

粕谷部長が知っているとは思えなかった。空気を読むことなど出来なかったし、

行員がどういう感情で仕事をしていたのかにも、彼は興味がなかった。

それでも、これだけのことを言われる理由があるとすれば、当時のことしか考えられない。

私は何も言わず、また、食事をし続ける。


「男として、許せないとは思わないのか。
あいつと出会わなければ、君の人生だって変わっていただろうに……ん?」


許されるのなら、目の前の男の顔を思い切りはたいてやりたい。

しかし、それは謙との過去を認めることになってしまう。

こんな挑発に乗るものかと、私は冷静に食べ続ける。


「『はやぶさ証券』……君にこれだけは言っておく。
あいつは、人の仮面を被ったロボットだ。自分のすべきことを前にしたら、
何も感じなくなる。邪魔になると思えば、とっとと突き飛ばす」

「粕谷部長、いい加減にしてください……」

「いずれ……あいつは落ちる……」


粕谷部長はそう言うと、勝手にコーヒーを飲み、休憩室を出て行った。





『はやぶさ証券』


私には何を意味しているのかも、何もわからない。

でも、あの言い方は、間違いなく過去を知っているという自信のセリフだった。



謙の出世など、私の関係するところではないのだから。



そう思いお弁当箱をしまい、コーヒーに口をつけるが、あの不吉な笑いが、

あの不快な声が何度も脳裏に蘇ってくる。

『男として恨みがないか』と聞かれ、一瞬背筋がゾクッとした。


自分を選ばなかった謙に対して、『森口支店』であらためて再会し、

そういう思いがわき起こったことは事実だった。

冷静に仕事をし、私に対する遠慮も何もない態度に、腹を立て気持ちを乱した。

しかし、謙の生活を垣間見る中で、彼は彼なりに苦しんでいるのだと理解した。



むしろ……



『東日本』と『成和』が合併したことにより、

以前よりも難しい立場にいることがわかり、

部下としては支えていくべきだとさえ思えてくる。

本店の視察はなんどか終了し、緊張の解けた法人課は、全員が定時で銀行を出た。





『はやぶさ証券』


私は、定時に仕事を終えたが、どうしてもこの言葉が気になり、

謙をいつもの店へ呼び出した。粕谷部長のくだらないやっかみだとわかれば、

それはそれで納得出来る。

謙は店の中に私を見つけると、ネクタイを軽く緩め、隣の椅子に黙って座る。

カウンターの中にいたバーテンに、軽い合図をすると、

わかっているのか、グラスが自然と用意された。


「さて、今回は怒りか? それとも謝罪か?」

「どちらでもないわ」


そう、今回はどちらでもない。

謙は、期待をするような言葉だなと言い、軽く笑ってみせる。


「気になったことがあったから、それで……」

「気になったこと?」

「そう、今日、本店から来たのが粕谷部長だったの。
休憩室にいきなり入ってきて、昔と同じよ、ニヤニヤしていて。
人をバカにしたような表情だった」

「……言うな、歌穂」

「大嫌いな男だもの、忘れたいけれど、忘れられないでしょ」


そう、本当に思い出すだけで鳥肌の立つ思いがする。

昔、謙と付き合っていた頃も、よく、あの男の悪口でお酒を飲んだ。


「本店は存在意義を示そうと、摩擦が起きそうな支店探しに躍起になっている。
山田支店長が春に異動することになり、
『森口支店』の支店長が、僕になることを知った粕谷にしたら、
裏切った部下に文句をつけてやろうと、それは楽しみにしていただろう」


謙は、合併後から、こういうことになるという動きは見えていたので、

今日の視察も、特に大きな問題にはならなかったと余裕の顔を見せている。

とりあえず、彼の顔を見て、ほっとした。


「で、歌穂の気になることは? 視察がらみ?」

「……『はやぶさ証券』」


『はやぶさ証券』というのは、数年前に外国の不動産投資がうまくいかず、

結局倒産に追い込まれた証券会社だった。

しかし、上層部だった面々は今も別企業にそれぞれが移り、

業界では幅を利かせる人材が多い。

グラスに伸びた謙の手が止まり、私の視線も自然とそちらを向いた。



【16-3】

『愛し方』は、人それぞれ。
迷い込んだ迷路の先にある道は、どこにつながるのか……
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