18 思い出を残す男 【18-1】

18 思い出を残す男


【18-1】

『ガンバレ梶本君』


『東日本成和銀行 森口支店』の仲間で、寄せ書きをした色紙は、

圭が所属することになった事務所に、送られることとなった。

慌しく去ることになってしまったけれど、気持ちだけは伝わるだろう。

私が書いた『ありがとう』の意味を、圭はわかってくれるはず。


「はぁ……寒い」


私は休みの朝、目覚めるとすぐにエアコンを入れ、

『竹原川』が見える窓のカーテンを開けた。

目の前に朝焼けが広がり、この寒さの中、新聞配達のバイクも見えた。

さすがに、霜が降りているようなベランダに出る気持ちはなかったが、

目の前を防寒着を着た男性が犬を連れている姿が見え、ふと圭のことを思い出した。



マンションの部屋を紹介してくれた不動産屋の犬の名前は『こまち』で、

飼い主さんは、走るのが趣味。


ベランダで過ごすのが気持ちよかった季節に、

そんなどうでもいい話を披露していた圭の頭は、強烈な寝癖がついていた。

その姿をからかい、笑いが止まらなくなった日は、ついこの間なのに、

季節が動く中で、状況もめまぐるしく変わってしまった。



謙との写真を誤解されたという、最悪の別れは回避できたが、

私が聞きたかった言葉を、圭が言うことはなかった。




『待っていて……』




『Rioni』との専属契約は2年だと聞いている。

それが終了した後、どうするのか、どうなるのか、圭は何も言わなかった。

私が彼よりも6つ年上でなければ、

『待っていてほしい』というセリフを、言ってくれたのだろうか、



いや、何事もハッキリしないと気が済まない圭は、

私が思うよりももっと現実的に、別れを受け入れたのかもしれない。

『気持ちは次へ』と、割り切ったのかもしれない。



両方の思いが、頭の中を行ったり来たりする。



答えは、戻ることがなく……

日にちだけが重なった。





2月の終わり、昼前に業者のトラックがマンションの玄関前に止まった。

私は買い物をしたビニール袋を手に持ち、

『ご迷惑をおかけします』の三角ポールを見ながら、そのまま中に入る。

いつもはオートロックがかかっている扉も、今日は開いている状態で固定されていた。

そのままボタンを押し、エレベーターに乗る。

3階で降りると、予想通り、その業者は302号室へ来ていて、

開いた扉から荷物がどんどん運ばれていく。


「あ、すみません、ご迷惑をおかけします」

「いえ……」


圭は、ここに来ていない。

通り過ぎる瞬間に部屋の中を見る。向かい合い食事をした小さなテーブルが、

ちょうど部屋を出て行くところだった。

写真のことを話したあの日が、本当に最後になってしまったのかと、

少し寂しい気もしたが、『別れ』を選択したのだから、ズルズルと顔を見ていたら、

気持ちが確かに揺れていく気がする。


業者の声と、足音を聞きながら、私は荷物を床に置くと、ただその場に座り込んだ。

ひったくりに遭い、急に泊めてもらうことになった日は、

圭の動く音が気になり、なかなか寝られなかった。

謙と会ったことを告げた後、作ってもらったチャーハンは、

冷凍食品だと思えないくらいに美味しくて、私は笑顔を見せながら、口を動かした。


大好きな圭の香りとともに、抱きしめられた日。

もう、あの日々が戻ることはない。


そのまま静かにしていると、業者の足音がしばらく聞こえていたが、

日が西に傾き始めた頃には、何も音がしなくなった。

ベランダからトラックを確認しようとしたとき、インターフォンが鳴る。

もしかしたら最後に圭が来たのかもしれないと思い、私は慌てて玄関を開けた。

目の前に立っているのは、知らない業者の人。


「あ、長い時間ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

「いえ……」

「これで全てが終了ですので、これを……」


業者の男性は、小さな紙袋を私に手渡してくれた。

今時の引越し業者は、ご近所にこんなものを配っていくのだろうか。


「これって」

「あ、はい。依頼者の方が、引越しが終わるときに301号室の方に渡してくれと、
そう頼まれましたので……」


依頼者というのは、圭のことだろう。

私はつい、圭はここへ来ないのか、どうなっているのかと、業者に尋ねてしまう。


「いや……僕達はよくわからないのですが、
1週間くらい前から、イタリアに行かれるのでとかなんとか……」

「イタリア?」

「すみません、あまり詳しくは……」


困った顔をしている業者の人を見て、私は我に帰る。

そうだった。彼らは仕事で引越しを頼まれているだけ。

事務所の人間ではないのだから、圭の今を知るわけがない。

『イタリア』というのは、『Rioni』の仕事なのだろうか、

確かイタリアのメーカーだったはず。


「ごめんなさい、余計なことを言って。これ、受け取ります」


業者の方は、一応この辺にサインをしてもらっていいですか? と、

私に引越しの見積もりが書いてある紙を差し出した。




【18-2】

流れていく季節と、残り続ける彼への思い。
いつの日も、『思い出』は歌穂の心を支配し続ける……
1日1回、読みましたの拍手、ランクぽちもお願いします(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント