18 思い出を残す男 【18-6】

【18-6】

「支店長、よろしいでしょうか」


謙は顔を上げ、何かが起きたのかと尋ねた。

何かが起きたのは起きた。ただ、それをどう取るのかは謙次第。


「融資の方へ、『TNサポート』の信濃さんがいらしてまして……」

「信濃?」

「はい、あ……あの、『東日本銀行』の時に、
『神波支店』に派遣でいらしていた安井さんです」


その名前を言うと、明らかに謙の顔色が変わった。

何か個人的な思いがあるのかどうかは、わからないけれど。


「『TNサポート』の社員になられて、
『森口支店』も含めた地域の担当をされるそうです。
支店長にご挨拶が出来たら……と、どうしましょうか」


謙は時計を確認する。銀行は今、特に慌しい時間ではないけれど。


「今、ちょっと席を外せないと言ってくれないか。
11時までに見てしまわないとならない書類が、いくつかあるんだ」


謙は確かに昔とは違う。今は『森口支店』のトップになった。

いくら昔を知っているからといって、

アポイントもなくすぐに会うわけにはいかないのかもしれない。


「わかりました……では」

「あ……ごめん、いい」


謙は何を考え直したのか、隣にいる副支店長に声をかけ、すぐに戻ると合図した。

立ち上がり、名刺ケースを引き出しから取り出し手に持つと、入り口に向かう。

会わないと言ったのに、急に会おうとする理由があるのだろうか。

私は前を歩き扉を開け、謙が出た後それを閉めた。


「派遣担当になったことは聞いていたんだ。いつ来るかと思っていたけれど、
早かったな」

「知っていたんですか? 彼女が正社員になったこと」

「あぁ……。彼女のおかげで、少し仕事のエリアが増えたと、噂に聞いた。
ここで忙しいからと断っても、またしつこく連絡が来るだけだ。
早く済ませておいたほうがいい」


謙の頭は、いったいどれだけの情報を、どう整理整頓しているのだろう。

休むことがあるのだろうか。

私は、謙が階段を上がる音を聞きながら、今度は後ろに続く。


「信濃……か……」


私が知らない謙を少し見たような気がして、なんだかくすぐったい気分だった。





信濃さんと謙の挨拶を横で聞いている気持ちにもなれず、私は席に戻る。

信濃さんは、『TNサポート』が以前と違い、独立した企業となったため、

銀行以外の派遣業務も引き受けるようになったことを語り、

支店長としての謙の顔ききで、そういった場所を提供してくれる企業があれば、

紹介して欲しいということを言っているようだった。


「わかりました。僕の立場で、またご協力出来ることがあれば……」

「ありがとうございます」


信濃さんは何やらバッグから取り出し、それを謙の前に差し出した。


「これ、有働支店長に就任のお祝いです」

「祝い? いや、それは困ります」

「うふふ……冗談です。有働さんは、甘いものが苦手でしょ」

「あ……まぁ」


信濃さんは、取引先がやっているお店のスポンジケーキだといい、

行員さんたちで食べてくださいとそう言った。


「付き合いで、こういったものも買わないとならないものですから」

「そうですか」

「えぇ……。もし、本当に有働支店長の就任お祝いでしたら、
私、お酒でもご馳走します。どうですか? 懐かしいお話でも……」

「いえいえ、就任祝いだなんて、お気持ちだけで結構です」


信濃さんは、謙にあらためて挨拶をすると、

少し離れた場所に座る私にも頭を下げてくれた。

私は立ち上がり、しっかりと返礼する。

ヒールの音がカツカツと聞こえ、だんだんと遠ざかった。


「はぁ……相変わらず押しの強い人だな、彼女は」

「始めはわかりませんでした。信濃ですって言われて」

「そうだな、2年位前に離婚したと、噂で聞いた」


謙は受け取った名刺をポケットに入れ、信濃さんがくれた箱を私に渡す。


「これ、休憩室にでも置いてくれ」

「いいんですか? 支店長への就任祝い……」


謙は、何を言うのかという表情で、私の方を見た。

私はそこで頭を下げ、言葉を止める。

謙は、机に置いた書類をつかむと、軽くめくりながら内容の確認をした。


「まぁ、経営はしっかりしているから、融資はこのまま通して……」

「はい」


謙は、お土産の箱を2階に残したまま、最後まで支店長の顔を崩さず、

1階へ戻っていった。




【19-1】

流れていく季節と、残り続ける彼への思い。
いつの日も、『思い出』は歌穂の心を支配し続ける……
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コメント

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謙との距離が、近づいていくのかしら。
新しく登場した人がなにをするのか、きになりますね。

irohaさん、こんばんは

>謙との距離が、近づいていくのかしら。

さて、そこはどうなるのか、書けませんが(笑)
新しい登場人物、以前出てきた人物。
そう、カギを握りますよ。