20 影に追われる男 【20-3】

【20-3】

支店長室は2階にある。

私の席からはちょうど扉が見える位置にあり、気にしていないつもりでも、

人の出入りがすぐにわかった。

信濃さんが支店長室に入ってから、すでに1時間以上が経過している。

派遣社員のことを話し、契約書にサインをするのだとしても、少し長くはないだろうか。



謙は、彼女が離婚し、自由の身である事も知っていた。

信濃さんにとっても、謙がフリーになったというのは、嫌なことではないだろう。

互いに気持ちを寄せ合っても、おかしなことはない。





それでなくても……





私は、仕事の手を止め、扉を気にしている自分が嫌になり、

席を立つと休憩室へ向かい、コーヒーをカップに入れた。



自分で、何を考えているのか、時々わからなくなることがある。

謙が私のことを『気にしている』と話す言葉に、自然と酔っていたのだろうか。

食事に誘われ、気持ちを揺さぶられるようなセリフに、

いつのまにか、快感を感じていたのだろうか。

他の誰かが彼に近付くことが許せないなどと、思える立場ではないはずなのに。



スティックの砂糖を手に取り、半分だけ入れる。

プラスチックのスプーンでかき混ぜ、もやもやも一緒に飲み込んだ。





その日は何もなく業務が終了した。

熊沢課長も嬉しそうに退行し、他のメンバーたちも家に電話をしたり、

彼女と連絡を取ったりと忙しい。

私も荷物をまとめ、出ようとしたとき、携帯にメールが届く。

相手を確認すると、謙からだった。



『話がある。『TWIN HOTEL』の店で会えないか』



『TWIN HOTEL』の店には、以前、行ったことがあった。

どうしようかと迷うことなく、私の指は了解の返信をしてしまう。

どうしてあれだけ長い時間、信濃さんと話していたのか、

気にならないと言えばウソになる。

ジリジリと感じる思いなら、直接話を聞けば済むことだ。

私は携帯を閉じると、残っているメンバーに挨拶をし、その場を離れた。





以前も入った『創作中華』の店で、赤ワインを注文した。

料理が順序良く運ばれ、優しい味にお腹を満たしていく。


「話って何?」

「いや……特にはない」


謙はそういうと、ワインのグラスを空にして、ウエイターを呼んだ。

デキャンタから、あらたなワインが注がれる。


「どういうこと? 話があると言ったのは、謙の方でしょ」

「あぁ……そうだな」


3月に離婚をした彼の左手は、当たり前だけれど空いたままになっている。

その場所に視線が動き、私はまたそらしていく。


「信濃さんに、やり込められた……とか?」


真正面から聞くことが出来なかった。

長い時間部屋の中にいたことを話せば、それを気にしていたと悟られてしまう。

どこまで押せるのか、どう言えばこちらの立場を保てるのか、

そんなか引きめいたセリフを押し出していく。


「なぜそう思う」


駆け引きだということを、謙もわかっている。だからこう返してくるのだ。

正直に『何もない』とか『こうだった』とは言ってくれない。

形の定まらない思いを、膨らませようとする彼のテクニック。


「杏仁豆腐、頼もう」


私はウエイターに声をかけ、『杏仁豆腐』を注文した。

しばらくすると、小さなボール状のお皿に、真っ白い杏仁豆腐が入り、

私の前で軽く揺れる。


「信濃さんとは一度食事をした。お酒を飲もうと誘われたけれど、その日は断った。
彼女も色々と、今の状況の中で気付くことがあるのだろう」

「気付く?」

「あぁ……」


何があるのか、それが気になったが、

それを聞こうとするのは、謙のペースに入り込む気がした。

時間がかかったのは、そういった話を、

信濃さんとも駆け引きしながら探り合っていたのだろうか。


「謙……」

「何?」

「そんなふうに人と接してばかりいて、気持ちが休まるときはあるの?」


言葉が勝手に押し出された。

自分の心を正直に見せず、相手の気持ちを探ろうとする。

そんな駆け引きだらけの中で、疲れきることはないのだろうか。

この間もそうだった。人の気持ちを揺らすようなことをしながら、

責任を持たなければならないセリフは、決して出そうとしない。

『何かがある』ということだけを明らかにしたが、その何かがどういうことなのか、

中心は誰にも見せてくれない。


「そうだな……今はないかもしれない」

「もう少し、あれこれ考えずに過ごすことも必要じゃないの? 心の内を……」

「歌穂……」

「何?」

「その安らぎに、なってくれようとは……思わないのか」


私が謙の安らぎになる。

言葉を止めた彼の目に、私はまた何も言えなくなった。


「誰だって、気を張ってばかりいたら疲れるのは当たり前だ。
でも、無防備でいられないから、こうしている」


以前、付き合っていた頃にも、そういえばずっと同じようなことを繰り返していた。

謙の目がどこに向き、何を捕らえているのか、私は常に探りながら、

懸命に彼の色を探していた。




【20-4】

歌穂は時を振り返りながら、今を見つめることに。
揺れる心の行き先は……
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コメント

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揺れる心

拍手コメントさん、こんばんは

>過去には戻らないと決めていた歌穂だけど、
 近くでみている譲に心が揺らいでもいいんじゃないかなと
 想えてなりません。

歌穂の中で、謙へのイメージは変わりつつあると思います。
それが男女のものなのか、それとも別のものなのか、
揺れる心の行き先を、引き続き追ってあげてください。

こちらこそ、いつもありがとうございます。
こうして励ましの言葉をいただけると、
最後まで頑張ろうと思えてきます。

コメント初めてですが、実はももんたさんの小説は
全部読んでます!!
どのお話も楽しくて好きです。
続き、楽しみにしています^^

ハンコックさん、こんばんは

>コメント初めてですが、実はももんたさんの小説は
 全部読んでます!!

うわぁ、ありがとうございます。
この創作が、コメントのきっかけになれたのなら、
ものすごく嬉しいです。

楽しみにいてもらえることが、何よりも励ましになるので、
どうか、これからもおつきあいください。

初コメント、本当に、本当にありがとうございました。