2 幸せの一歩 【2-5】

【2-5】

人の気持ちをしっかりわかろうとするこの人なら、

きっと『パール』を幸せにしてくれる。


「ダメです。人間も犬も恩知らずになってはいけません。
大丈夫、『パール』はきっと覚えてますからね」


覚えていてくれるだろうか。震える体を寄せて、一緒に眠ったことを。

パールは下におりたいのか、少しごそごそ動き出す。


「あぁ、それにしても焦りました。買い物をしていたら、すっかり時間が過ぎていて。
私、飼い主失格ですよね」

「いえ……」


椎名さんは後部座席を開け、『パール』を乗せた。

初めて入る場所と臭いに、『パール』は落ち着かないのか、

ウロウロし続ける。


「怖いのかな、どこに行くのかわからないから」

「始めだけですよ、きっと」


彼女なら大丈夫だと、僕は無言で『パール』の目に訴える。

落ち着きのなかった『パール』は、少しずつ状況を理解したのか、

後部座席の真ん中で、なぜかお腹を出して寝転がった。


「後藤さん」

「はい」

「これからも、『パール』の様子を、携帯でお知らせしていいですか?」

「あ……はい。ぜひ」

「ありがとうございます」


『パール』の幸せ、気にならないといえばウソになる。

幸せだとわかれば、きっと今よりもホッとできるだろう。


「……これ」


椎名さんは、助手席においてあった紙袋を持つと、

僕の後ろに立っていた奥さんに手渡した。


「あら……何をまぁ」

「これ、みなさんで休憩にでも食べてください。うちの近くにある洋菓子店のものです。
美味しいですから」

「そんなこといいのに」

「いえ……」


そして、もう一つの紙袋が僕の方へ差し出される。


「これは、後藤さんに」

「僕……ですか」

「はい」


出されたのは、少し細めの首にかけて使うタオルだった。


「何をお渡ししたらいいのか、迷ってしまって。
タオルなら、お仕事の後にでも、使ってもらえると思ったものですから」

「こんなことは困ります。僕の方が、お礼をしないとならないのに」

「いえ、もらってください。素敵な出会いを、ありがとうございました。
大切に育てます」



『素敵な出会い』



僕が偶然に『パール』を拾い、それを椎名さんが受け取った。

確かに、子犬がいなければ、めぐらなかった出会いかもしれない。


「すみません、それじゃいただきます」


椎名さんの言葉に、これ以上断るのもと思い、僕は袋を受け取った。

これで本当に別れがきたのだと、思えてしまう。


「それではまた、あらためて車の修理に伺いますので」

「あ、はいはい。お待ちしていますよ」


最後は『パール』の話から営業の話に代わり、椎名さんは運転席へ向かった。

『パール』は後部座席で前足を上げ、車外の僕らをじっと見る。

なぜここに、窓ガラスがあるのか、どうして車に乗っているのか、

わからないのだろう。


「『パール』……バイバイね」

「じゃあな、元気で……」


手を振ったところで、何をしているのかなどわからないだろうが、

僕と奥さんは、車が見えなくなるまでその場に立ち、手を振り続ける。





『命の恩人の顔を忘れちゃダメだからね』





そう言ってくれた彼女の優しそうな微笑が、心地よい余韻を残してくれた。





『おはようございます』


次の日は、椎名さんからのメールで始まった。

一緒につけてくれた写真は、『パール』が気持ちを落ち着けたのか、

クッションの上で、幸せそうに眠っているものだった。


「あいつ、結構ずうずうしいな」


すっかり新しい生活になじんだように見えた『パール』の寝顔に安心し、

僕はあらためてお願いしますと返信をする。



『了解です。お仕事、頑張ってください』



1分後くらいにまた返信があり、絵文字と一緒になった励ましの言葉が並んでいた。

祖母以外の人に、励まされるのは何年ぶりだろう。


「歩。まだ、寝ているのかね?」

「いや、起きているよ」


そうだった。今日は水曜日。

祖母が『憩いの和』に出かける日だった。

そういう日は、洗濯の時間がいつもより早い。


「そうか、今日は『憩いの和』だったね、ごめん」

「うん」


脱いだ服を洗濯機に放り込み、茶碗を持ち炊飯器を開けてご飯を入れていく。


「今は何を習っているの?」

「今は書道だよ」

「へぇ……」


祖母が作った小さなおかずが、テーブルに並ぶ。

いつもの梅干しも、変わらぬ場所にあった。



【2-6】

小さな白い犬がもたらせた出会い……
歩の周りで、少しずつ風が動き始める予感。
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