3 汚れた手 【3-1】

3 汚れた手


【3-1】

「いやぁ、腹減ったな。結構時間がかかったからさ」

「そうですね。でも、見つかってよかったです、不調の原因」

「あぁ、そうだな」


区切りのいいところまで仕事をこなし、昼食のために事務所へ向かう。

気付くと、自分の左手の甲に、少し切り傷があった。

いつ作ったのだろう。今日はそれほど難しい箇所を担当した覚えもないのに。

とりあえず水道で汚れだけを洗い流す。

首にかけたタオルで手を拭きながら、あらためて考える。


「『MORINAKA』の車、まだ出来ていない?」

「あ……終わりましたよ。今日の夜20時に納車ですよね。俺、行きますけど」


事務所の中にいた栗丘さんはそういうと、

奥さんが作ってくれた、ラップでくるんだおにぎりをほおばった。

その横では、赤石さんが、カップラーメンにお湯を入れる音がする。


「それがねぇ!」


奥さんは書類を片手に、予定が変わったのだと、

母屋に戻ろうとしている社長の背中に向かって、大きな声を出す。


「変わった?」

「そうなのよ。20分くらい前に電話があってね。急遽車が必要だって言うの。
納車、4時過ぎくらいまでにって。断れって言ったのに、
あの人何も考えずにハイハイって受けちゃったの」

「4時?」


今現在、昼間の1時を回っている。

向こうまでの距離を考えたら、あまりのんびりしているわけにはいかない。

あと1時間くらいで出ていかないと、途中で道路が込みだしたら大変だ。


「4時って、ずいぶんですね。こっちにも事情があるのに」


栗丘さんは、ホワイトボードの予定を見て、首を横に振った。

仕事終わりに寄ればいいと思っていたので、担当は栗丘さんだったが、

この台数が工場に残っている状態で、栗丘さんが抜けてしまうと、

仕事に支障が出てしまう。


「そうなのよ。全く、これだから大手さんは困るのよ。
中小企業のギリギリさなんて、理解していないんだから」

「……はい」

「栗丘さんは無理だから、悪いけど歩、納車頼めない?」

「僕ですか」

「うん。歩にも仕事はあるだろうけれど、誰かが行かないとならないしね。
無理を言われているのだから、突っぱねたらいいのに、
あの人が電話に出たのがまずかったのよ」


僕にもやらないとならない仕事はあるけれど、栗丘さんとの戦力の違いは明らかだ。

奥さんは僕に向かって両手を合わせた。


「わかりました。食べ終えたら行ってきます」

「ごめんね、歩」

「いえ」


僕は仕事を引き受け、いつもよりすこし早めに食べ進めた。


「これが書類。総務部に顔を出せば、全てわかってくれているはずだから」

「はい」


『MORINAKA』には、確か過去に2回くらい行ったことがある。

駐車場はビルの地下になっていたはず。


「それとこれ……悪いけど、一応渡してきてくれない」

「パンフレットですか」

「そう、うちに出入りしている業者がね、営業車を変えるならぜひって、
置いていったのよ。森中さんにも出入りする業者はあるでしょうけれど、
うちも付き合いだから、渡してませんって言うのもねぇ……」


うちには、自動車メーカーの営業マンがよく顔を出す。

修理をするお客さんに対して、新車を考えさせるということもあるし、

掘り出しものの、中古車を譲り受けることもあるからだ。


「これも総務でいいですか」

「……まぁ、うん」


奥さんはそこで言葉を濁した。

本当は、別のところへ持っていって欲しいのだろう。


「伯父に……ですか?」

「いや、うん。哲治さん直接っていうのは、難しいかもしれないけど、
ほら、秘書さんとかいるでしょう。歩なら……」

「わかりました」


あまり『MORINAKA』の奥まで入っていくのは好きではないけれど、

奥さんの頼みなのだから、断るわけにはいかなかった。

拓の父親、『MORINAKA』の社長を務める『森中哲治』さんは、

僕の亡くなった母と兄妹になる。

かといって、『MORINAKA』が母の実家と言うわけではない。

伯父は、森中の娘である『森中道子』さんと結婚し、婿に入った。



拓の従兄弟……

すぐにそう呼ぶ人がいるけれど、本来、森中家と無関係に近い僕は、

あいつにしてみたら、親戚とは言えないと思うだろう。

薄いつながりに頼りながら、生活を邪魔する存在くらいにしか、

思っていないかもしれない。

それでも、中学生で両親を亡くしてしまった僕のことを、

伯父は影ながら応援し、出来る限りの援助をしてくれた。

それが『半田自動車整備』の仕事にもつながっている。


「それじゃ、行ってきます」

「帰りは電車で戻ってきなよ」

「はい。わかりました」


作業着を脱ぎ、身支度を整えると、ジーンズで『MORINAKA』に向かう。

納車の仕事が入るとは思っていなかったので、こんな格好になるのも仕方がないだろう。

『MORINAKA』の本社は、都心のど真ん中というわけではなく、

緑がまぶしいような、東京の郊外といえる場所にある。

混雑する方向に、車を向けなくていいのは助かったと思っていたが、

思わぬ工事に当たってしまい、予定よりも時間がかかってしまう。


「結構かかるな……」


時間には余裕があったから助かったけれど、これでは、工場に戻ってやる仕事が、

どんどん後ろへ流れてしまう。

仕方なくFMラジオをかけると、『なつかしの洋楽特集』を流していた。



【3-2】

一度だと思っていた偶然が、ふと気づくと重なっていた。
僕の手に刻まれた時間と、そして……
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