7 揺さぶる人 【7-4】

【7-4】

無音の時間。

ざわついた空気を押さえ込むような、静かな霧のようなものが、会場に満ちていく。

『TEA』さんのマイクに当てた両手、何かを願うような仕草。

それが合図だったのか、後ろでピアノが音を奏で始めた。


題名を知らない曲も確かにあったが、リズムはどこかで聞いた覚えがある。

『MY WAY』は学生時代、音楽の授業で習ったし、

『Just the Way You Are(素顔のままで)』は、夕食を作るときや、

洗濯物を取り込むときに、よく母がハミングしていた。


『TEA』さんはジャズシンガーなので、ジャズ風にアレンジされている。

原曲とは違うはずなのに、歌声を聴いているうちに、

題名も知らない曲の中に、亡くなった母のことを色々と思い出していく。

切れ切れになっている記憶が、現れてはまた消え、

そして、振り向いたときの笑顔も、机を叩き怒ったときの顔も、

今までどこかに封印していたようなものまで、浮き上がっていた。



僕は、そこから何分経ったのか、

自分が、どうワインを飲んだのか、

椎名さんが分けてくれたピザが、どうお腹に納まったのか、

『TEA』さんが何曲歌ってくれたのかも、わからなくなっていた。




もう少し……

もう少し、いや、もっと、聴いていたい。




「それでは……最後の曲になります」


最後の曲。そう言われてポケットに入れてあった携帯で時間を見た。

確かに1時間以上が経過している。

そんなに時間が経っていたとは、全く思っていなかった。


「この曲はジャズではありません。でも、私がこの舞台の上で歌い、
夢をかなえるために、アメリカへ行くことを決意した思い出の曲です」


日本で活動していた『TEA』さんが、アメリカ行きを決めたときに歌った曲。


「初心に戻るつもりで……歌わせていただきます」


ピアノの音とともに始まった曲。

思いがけないメロディーに、僕の鼓動は一気に速まった。

寄りかかっていた体が、思わず前のめりになるくらい。


「椎名さん」

「はい」

「これ、この曲って、なんていう曲ですか?」


歌が始まる前だけれど、伴奏だけですぐにわかった。


「……えっと、『IF WE HOLD ON TOGETHER』じゃないですか、
確か、ダイアナ・ロスの」



『IF WE HOLD ON TOGETHER』



「あぁ……そっか、そうだ……うん」


そうだった。この曲は『IF WE HOLD ON TOGETHER』で間違いない。

僕は幼い頃、車の後部座席で寝転びながら、

カーステレオから流れるこの曲をよく聴いていた。

母が好んで聴いていたこの曲の歌詞は、

英語を勉強するようになって、初めてわかるようになった。



色々なことが人生にはあるけれど、

負けることなく、困難を乗り越えていこうという励ましの曲。



『歩……疲れただろ、もうすぐつくからな』

『海だよね』

『あぁ、海で泳ぐぞ!』



もう、両親が亡くなってから、10年以上の月日が経っているのに、

日々の中で、こんなふうに思い出すことなど無くなっていたのに、

忘れずにいる父と母の声が、僕の心に話しかけていく。



あの日……

あの事故の日、戻らない日のほんのひとコマが……



『おはよう、歩』

『ん……』

『何よその言い方は。朝の挨拶くらいしっかりしなさい』

『してるだろ』

『していないでしょ』

『あぁ、もう、うるさいな』



学校に向かう時間、返事をろくにしない僕に対して、

最後まで当たり前に心配し続けた母の顔と、その姿の後ろにいた父の横顔。



『車に気をつけなさいよ』

『ん……』



もう、戻らない『家族』の形が……

『TEA』さんの声の波に乗り、僕に向かってくる。





思い出が、あまりにも一度に押し寄せてきて、

僕は、目を開けているのが辛くなった。



【7-5】

歌の中に見つけた、小さな光と闇。
戻らない日々の中から、歩の心は懐かしい声を思い出す。
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