7 揺さぶる人 【7-5】

【7-5】

気づくと曲は終わり、招待客は全て立ち上がっていた。

僕も遅れて立ち上がり、しっかりと前を見る。

『TEA』さんは深々とこちらに向かって礼をした後、舞台から降りると、

それぞれのテーブルを周り、そして僕らの前に立ってくれた。


「来てくれたのね……ありがとう」

「いえ……こちらこそ、ありがとうございました」


思っていた以上に、自分が考えていた以上に、

この場所へ来た意味が、あるように思えてしまう。

横から椎名さんの手が、僕の左手に触れた。


「何?」

「これ」


僕は花束のことを思い出し、椎名さんから受け取ると、

それを『TEA』さんの前に差し出した。

『TEA』さんは、小さな花束を嬉しそうに受け取ってくれる。


「いい香りがします。素敵なお花をありがとう。また……ぜひいらして」

「……はい」


僕の手を握ってくれた『TEA』さんの手は、想像以上に柔らかく温かかった。





本当は、もっと伝えたかった。





あなたの声で、あなたの歌で、

僕は失っていたものを、思い返すことが出来たのだと。

亡くなった二人のことを鮮明に思い出すのは、辛く悲しい記憶でもあるけれど、

確かに父と母に愛されていた自分を、蘇らせることが出来た。


『TEA』さんが僕の前から動いたとき、視線の先に、伯父の姿があった。

どうして僕がここにいるのかと、予想外の出来事に、

驚いているように見える。

僕は、慌てて伯父に頭を下げた。


「よかったですね、お花、渡せて」

「うん、ありがとう。なんだろう、ボーッとしてしまって忘れるところだったよ」

「後藤さん……」


何かを言おうとした椎名さんの言葉が、そして視線が止まっていた。

その時、自分自身の頬に、涙が流れていることに気づく。

僕は空いていた左手で、その涙の感覚を受け止める。

椎名さんから見えないように体を少し横にずらすと、

僕を見続けていた伯父の目と、もう一度重なった。



『どうしても必要な人』



拓の言葉。

伯父が僕を見て驚いているのは、この場所に来ていたことではなくて、

隣に椎名さんがいたことだろう。

伯父は彼女が『半田自動車整備』に出入りしていることも知らないだろうから、

僕と縁があることもわからないはずだ。


彼女と拓のことは、両家の親も納得していることだと聞いている。

何をしているのだと、思われただろうか。


「本当に素敵な声で、鳥肌が立ちました、私」

「……う、うん」


『TEA』さんが挨拶を終え、舞台の上に戻り、

観客からは、あらためて感謝とお礼の拍手が起こる。

そして、喝采を浴びた『TEA』さんは、もう一度深々とお辞儀をし、

ピアノを残して舞台を去った。

役目を終えたライトが消えて、光りの道筋がなくなった。





退場するために観客たちが立ち始めると、

人の頭だらけで、誰がどこにいるのかもわからなくなった。

僕達は、あえて最後まで席についたまま、その流れがなくなるのを待つことにする。


「少し、待っていてもらってもいいですか」

「うん、どうしたの」

「私、このワイン、買って帰ろうかと思って」


僕たちが飲んでいたワイン。『スレイド』のオリジナルだと、ウエイターが言っていた。

椎名さんは、それが気に入ったので、買えるかどうかを聞こうと立ち上がる。


「あ、いいよ、僕が聞く」

「でも……」

「僕も、買って帰るよ」


素晴らしい時間を持てたことの、小さな思い出。

会場の隅に立っていたウエイターに声をかけると、

すぐにボトルを持って来てくれた。


「すみません、それぞれ袋に入れていただけますか」

「はい、お待ちください」


静かなピアノ。

少し前まで、感動的な音を奏でてくれていた。

ここでは、毎日、こうした音楽が、流れているのだろうか。


「お待たせいたしました」

「はい。ありがとうございます」


僕は支払いを済ませ、袋を2つ受け取ると、椎名さんの待つ席まで戻った。


「すみません、ありがとうございました。おいくらですか」

「お金はいいですよ。花束のお返しです」

「いえ、それはチケットの……」

「いえ、チケットをくれたのは『TEA』さんですから」


こんなところに、一人で来ることは出来なかった。

彼女が快く引き受けてくれたおかげで、僕は貴重な時間を持つことが出来た。


「すみません」

「いえ、今日はありがとうございました」

「そんな……」


買い物をしているうちに、会場の中は、ほとんど人がいなくなっていた。

僕と椎名さんは、広くなった階段へ向かう。

一番右端の席。

伯父が座っていた場所には、当たり前だけれど、もう誰もいなかった。



【7-6】

歌の中に見つけた、小さな光と闇。
戻らない日々の中から、歩の心は懐かしい声を思い出す。
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