8 偶然の終わり 【8-2】

【8-2】

「ねぇ、それでさ、歩」

「はい」


奥さんは、椎名さんがどんな様子だったのかと、すぐに聞き返してきた。



『後藤さん、もういいです。ごめんなさい。もう何も話さなくていいです』



「楽しかったと、言ってくれましたけど……」

「そう、それならよかったわ」


『楽しかった』と、確かに言ってくれた。

楽しみにしていたということも、何度も聞いた。

メールでそれなりに納得したつもりだったけれど、話してしまった辛い話に、

どれだけ心が重くなったかと、つい考えてしまう。


「愛美」

「何?」

「遥ちゃんがどうだったのかは、お前に関係ないだろう」


社長は、あれこれ聞こうとする奥さんに向かって、そう言い返した。


「関係あります、あるのです」


奥さんは、伝票をまとめたファイルを手に取ると、それを棚にしまい始めた。

僕はロッカーに向かい、ヘルメットを脱ぐと、ズボンのポケットから携帯を抜く。

メールの届いた印が残っていたので、椎名さんからかと思い開いていると、

そこには驚く名前が記されてあった。



『ちふみです』



『本宮ちふみ』

2年前、僕が結婚を考えた女性だった。

しかし、祖母を抱え、すでに両親がいない僕の条件が悪いと、

向こうの母親が強く反対し、僕らは夢を現実に出来なかった。



『ごめんね、歩』



ちふみも一人娘だったため、親の反対を押し切ってまで、二人で頑張ろうという言葉を、

あの当時、僕は出せなかった。それから数ヵ月後、ちふみは東京を離れた。


もう、連絡は取るまいと思い、アドレスを消していたのに、

彼女は僕のアドレスをまだ持っていた。



『突然でごめんなさい。東京に戻ってきました』



文面は、挨拶から始まっていた。

僕の状況がわからないのでと言葉がついていたけれど、会える状況にあるのなら、

会えないだろうかという内容に、思わず時計を見る。

『東京』に戻ってきたと言うのは、どういうことだろう。


会える状況にあるのならという言葉は、僕がどういう状況にあるのかわからないから、

付け足している言葉なのだろうか。

もし、すでに決まっている相手がいるのなら……

そう聞いているつもりだろうか。


「あ……お客様だ」


奥さんの声に工場の方を見ると、初めてなのか運転席を下り、

どうしたらいいのかと、キョロキョロする男性が目に入った。

僕はすぐに事務所を出ると、声をかける。


「いらっしゃいませ」

「すみません、こちらは『半田自動車整備』ですよね」

「はい」

「あぁ、よかった。お嬢さんから名前と住所は伺っていたのですが、
あまりこちらに来ないものですから、自信がなくて」




『お嬢さん』




「『椎名物流』の営業部、野辺と申します。車検の手続きにまいりました」

「はい、少々お待ちください」


『椎名物流』の社員さんは、彼女からここの話を聞いたらしく、

車検のために、車を持ち込んでくれた。



『お嬢さん』



何気なく出た言葉に、僕は動かそうとした脚をつかまれた。

そう、彼女は『椎名物流』の社長の娘。


「こちらへどうぞ」

「すみません」


社員の野辺さんは、事務所に入ると、車検用の書類に目を通し、

記入し始めた。奥さんは、わざわざすみませんと挨拶する。


「いえ、私の使っている駅は、ここから3つ目なのですよ。
以前は、ガソリンスタンドでお願いしたのですが、その後のメンテナンスがあまり……」


野辺さんは、選んだ場所が悪かったのかもしれないと笑いながら、

書類に書き込んでいく。


「遥ちゃんに薦められたら、社員さんとしては持ってこないとまずいものね」

「いえいえ、お嬢さんはそんな圧力をかけるような方ではないので」



『お嬢さん』



「歩、そろそろ朝礼にするぞ」

「あ、はい」


携帯で時間を見ると、いつもの朝礼時間が迫っていた。

『ちふみ』からのメールも気になったが、それよりも先にロッカーへ向かい、

慌てて着替えを済ませていく。



『お嬢さん』

『遥は……うちにも、俺にもどうしても必要な人なんだ』



野辺さんのセリフに、拓の言葉が重なった。



【8-3】

『偶然』という時間を断ち切るとき、
奥に沈めたはずの思いだけが、互いに湧き上がる。
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