8 偶然の終わり 【8-3】

【8-3】

考えてみれば、椎名さんがここを知ってくれたのも、伯父が修理を薦めてくれたからだ。


昨日、『スレイド』で伯父に会った時、何をしているのかという顔で、僕達を見ていた。

息子の相手として考えている女性が、会うはずのないところで、

一緒にいるはずのない男と、一緒にいた。

今まで、味方にしか見えなかった伯父の顔が、初めて敵に見えた気がする。

僕はロッカーの小さな鏡で自分の顔を見る。

心の中まで表情に出ていた気がして、すぐに扉を閉めた。


「おはよう」

「おはようございます」


いつもの朝礼。

事務所の中では、野辺さんが書類を書き続けている。


「今日は、午後に『MORINAKA』の車が2台入る。
特に異常があるわけではないそうなので、素早く見て、完了の電話を入れてくれ」

「はい」


『MORINAKA』

1ヶ月の予定は、いつもホワイトボードに書いてある。

『MORINAKA』の文字を見ない月など、ないというくらいかもしれない。


「納車はあの嫌味な坊ちゃんですか?」

「いや、拓君ではなくて、営業所の社員だと聞いている」

「いやっほぉ」



『遥に近付くな』

『お嬢さん……』



偶然に『パール』を拾い、新しい飼い主を探す中で彼女と出会った。

偶然に『TEA』さんがここを訪れ、チケットをもらった。



そう、僕と椎名さんが関わりを持ったのは、あくまでも偶然が重なったから。

これ以上、踏み込むのは、よくない。


「『MORINAKA』の点検は、歩がやってくれ」

「……あ、はい」


拓がどれだけ横柄に接しようと、工場のみんなは正面きって怒ることはない。

それは、『MORINAKA』がここにとって、どれだけ大切な相手なのかを知っているから。



『遥は……うちにも、俺にもどうしても必要な人なんだ』



今ならまだ……

僕は引き返せる。

今ならまだ、この場所に立ち止まることが出来る。

僕はそう思いながら、仕事を始めるため、工具を取りに走った。





「ただいま」

「お帰り」

「雨、降ってきたよ」

「あら、そうなの?」


その日の仕事を終え、家に着く少し前から、空は雨模様となった。

強くたたきつけるような雨ではないけれど、静かにしっとりと地面を濡らしていく。

食事の支度が出来ていると言われ、『わかった』と返事をした。

僕は、机の上に置いたままの、ワインボトルを見る。

椎名さんが、『思い出に買いたい』と言ったとき、僕もそうしようと考えた。

こんな経験は二度とないかもしれないという思いが、あったけれど、

それよりも、彼女と一緒に飲んだワインというイメージの方が強かったかもしれない。



初めて彼女を見たときから、目をそらすことが出来なかった。

『パール』を通じて、彼女を知るたびに、その奥に持っている優しさが、

どこか立ち止まっている僕の心を、少しだけ強くしてくれた。

だから、親のことを素直に語ることが出来た。



そう、いつも彼女の言葉には、僕自身が慰められてきた。


『別の世界』にいるはずなのに、そんな距離感を感じさせない気配りの出来る人。

一緒にいると、時間が忘れられるくらいに楽しい……



……でも



さび付いたベランダの柵と、年齢を重ねている祖母。

そして、現実と毎日、向き合い続ける生活。

それが僕の全て。



『どうしても必要な人』



昨日は特別な日だった。

日常とは違う空気のせいで、現実を忘れてしまった。


僕の行動が、惑わせる結果になってはいけないと、

『スレイド』で見かけた伯父の顔を思い出しながら、窓のカーテンを閉めた。





「歩、朝礼」

「あ……はい」


本日の確認。互いのスケジュールを知り、問題点はないか社長がチェックする。

そして、いつものように準備体操をして、それぞれが担当の仕事に入る。

僕はパッキンがもろくなった車体の担当になり、修理箇所を一つずつつぶしていく。

入らなくてもいい隙間に雨水が入ると、塗装がはげてしまったり、

サビが出てしまう可能性もある。

特に、年代を重ねている車には、慎重な対応が必要だ。

直した箇所の作業内容を書類に書き写し、もう一度確認をした。


「よし……」


気がついて時計を見ると、昼近い時間を示していた。

ここで次に取り組むと、オーバーするのは確実だろう。


「すみません、先に昼飯に入ります」


作業中のメンバーから了解の声がかかり、僕はとりあえず手袋を外した。



【8-4】

『偶然』という時間を断ち切るとき、
奥に沈めたはずの思いだけが、互いに湧き上がる。
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