9 別の世界 【9-6】

【9-6】

「すみません、少々お待ちください」


僕は、『TEA』さんの車から離れると、事務所に戻り、カードを通した。

支払いの手続きを済ませ、サインをもらうための板に紙を挟む。


「あの人、『TEA』だろ」

「はい。高速に乗る前で、空気圧のチェックと、簡単な点検をしてくれと頼まれました」

「ほぉ……チェックねぇ」


栗丘さんの言い方から、僕と同じ事を考えたのだろうということがわかる。


「森中の伯父が、どうも古くからの知り合いみたいです」

「社長が?」

「はい。この間のコンサートも来ていました、一人で」


鉛筆立てに差してあるボールペンの調子を見たが、

書き心地がいいものがなく、また次のものを探す。


「伯父がここを紹介してくれたようです」


上に車がついたペンを見つけ、書き心地を確認する。

流れるような動きだったので、それを持ち、『TEA』さんのところへ戻った。


「すみません。こちらにサインだけいただけますか」

「はい」


僕はサインをしてもらった紙を受け取り、そのまま頭を下げた。


「どうもありがとう」

「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」


帽子を取り、もう一度頭を下げる。

『TEA』さんの車は、工場を静かに走り出し、高速の方向へ消えていった。





伯父と『TEA』さんは、昔からの知り合いだった。

僕はサインをもらった紙を持ち、昼食の続きを取りに事務所へ戻る。


「『MORINAKA』の社長は、顔が広いな」

「……はい」


栗丘さんは、伯父の力を評価するような、そんな言い方をする。

僕は、箸を持つと、残りの弁当を口に入れた。





8月、最終日曜日。

今日はただの日曜日ではなく、『小型自動車整備士1級』の試験日になる。

会場までの道を確認し、財布と携帯、そして受験票をバッグに入れた。

洗濯機の前にいるはずの祖母に声をかけようと暖簾をあげる。


「ばあちゃん……」


洗濯物を入れるカゴが横に倒れ、それにもたれかかるような体勢で、

倒れている祖母がいた。


「ばあちゃん! おい、ばあちゃん! しっかりしろ」


呼んでも返事が戻ることはなく、僕は救急車を呼ぶために携帯を開いた。





救急車が来るまで、どれくらいの時間がかかるのだろう。

祖母の顔色は真っ青で、揺すってはいけないのだろうということは、僕にもわかった。

苦しくないように、カゴをどかし、横になる場所を確保する。


ほんの数分が、ものすごく長く感じ、サイレンの音が響いた時には、

全身の力が抜けてしまうほどだった。


「呼吸はどうだ」

「はい、確保されています」

「意識は……」


救命士の声が聞こえ、僕は祖母に寄り添うように、一緒に乗り込んだ。

何よりも呼吸を確保するため、酸素マスクが取り付けられ、

脈拍を測るのか、機械があれこれつけられる。


「患者様のお名前は」

「後藤りつです」

「年齢は?」

「えっと……78、いや、79……」


70代であることは間違いないが、下の数字が性格に出てこない。


「わかりました。後ほどで結構ですよ」

「すみません」

「女性ですね」

「はい」

「こうなる兆候はありましたか」

「兆候?」


そういえば、ここのところ、体が辛そうに見えたときがあった。

でも、8月だし、暑いし、疲れているくらいにしか考えたことがなかった。

もっと早くに気付き、医者に連れて行っていれば。


「疲れているのかと、そう思っていたので」

「そうですか」


救急車がサイレンを鳴らしながら、『半田自動車整備』の前を通り過ぎていく。

その時初めて、今日が試験だったことを思い出した。

時計を見ると、電車に乗らないといけない時刻は、過ぎてしまっている。


「後藤さん」

「はい」

「『曽根総合病院』に向かっていますが、以前、診察を受けられたことはありますか」

「あ、はい、祖母が通っている病院です」


『曽根総合病院』なら、かかりつけの先生もいるし、カルテもある。

僕は少し道が開けた気がして、ほっと息をする。


「こちら救急車です。はい、急患です。後藤りつさん。
呼吸は確保されていますが、意識が……はい、
診察された経験がおありだそうですので、調べていただけますか」


僕らが乗った救急車は、10分くらいで、病院に到着した。



【10-1】

立ち止まろうとするもの、乗り越えようとするもの
それぞれの心の中で、消えずに残る思いの灯
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