10 見えない糸 【10-4】

【10-4】

祖母が急な入院をしてから1週間後、

特に検査の結果も問題がなかったため、予定通り退院が決まった。

僕は社長から車を借りて病院へ向かう。

元々、少な目の日用品と、少しの荷物があるだけなので、

医者や看護師たちにお礼をした後、二人揃ってそのまま駐車場へ向かう。


「車を玄関前につけるからさ、ばあちゃんは、玄関前で待てばいいって言ったのに」

「そんなに病人扱いをしなくても大丈夫だよ、
駐車場まで歩けないようじゃ、困るでしょうが」


祖母は、小さめのバッグを握り、足取りもしっかりと前に進んでいく。


「あのさぁ、退院したからって、すぐにあれこれ動くなんて言うなよ。
しばらくはゆっくりしていないとダメだからな」

「体がなまるよ」

「なまらないよ」


何かをしているのが好きな祖母から、『動く』ことを奪うのは、確かに辛いだろうが、

今回ばかりはそうもいかない。


「ばあちゃんがいない間に、味噌汁も作ったし、買い物にも行っていたんだから。
僕がやるから心配するなって」


車のカギを開けて、荷物を後ろに入れる。

祖母は座って落ち着けたのか、大きく息を吐いた。


「座っているのは辛くない?」

「大丈夫だよ」


祖母は僕の顔を、手で追い払うようにしたため、

それ以上何も言うことなく、運転席に座り、エンジンをかける。

駐車場を抜け、坂道を下ると、病院はだんだんと小さくなり、やがて見えなくなった。

大きな駅前は、タクシーやバスも混じるため、すぐに渋滞が起こる。

人が行き交う場所を超えると、見慣れた景色が広がり始めた。


「歩、『半田自動車整備』に挨拶をしたいから、寄ってちょうだい」

「うん……」


祖母の言うとおり、家への道から外れ、仕事場の方へ向かう。

今日は平日。

栗丘さんや赤石さんは、慌しく仕事をしているだろう。

社長は奥さんに怒られる前に、請求書類の整理を済ませただろうか。

道はそこから混雑することもなく順調に進み、工場が見えてくる。

事務所の前に車を止めると、中に椎名さんがいるのがわかった。

何やら紙を見ながら、楽しそうに話している。

奥さんは、車の音で、僕たちにすぐに気づき、

事務所を開けると、後部座席に座る祖母に手を振った。

祖母も嬉しそうに頷き返す。


「すみませんでした。みなさんに色々とご迷惑をおかけして」

「何を言っているんですか、りつさん。そんなことより、体は大丈夫ですか?」

「はい、もういいですってくらい休ませてもらって。
なんだか動きたくてたまらないのにね、歩にしばらく監視されそうです」


奥さんは、僕が本当に心配していたのだからとフォローし、

しばらくは無理のないようにと、祖母に告げている。

僕は、途中で買ってきた『おかき』の箱を事務所の中に持ち込み、

中にいた椎名さんに頭を下げた。


「こんにちは」

「こんにちは」


彼女の手には、銀色のカギが握られていた。

楽しそうに見ていた紙は、部屋の間取り。


「あの……」

「はい」

「引っ越しをするって、本当なのですか」


思わず言ってしまった。

ウソだと思っていたわけではないが、

彼女の環境が、そして周りの人間が、一人暮らしを許すとは思えなかった。

希望はあっても、親に反対され、きっと話しだけで終わるものだと、

そう考えていたのに……。


「はい、引っ越します。今日、カギをもらってきました」

「なぜですか」


言わなくてもいいことを、また言ってしまった。


「なぜ? って……」

「椎名さんの家は都内にあるし、車で会社にも通える場所なのでしょう。
それをどうしてわざわざ……」


どうしてわざわざ、面倒なことをするのだろう。


「面倒に思えますか」

「はい」

「そうですか。でも私には必要なことなので」

「必要?」

「この世の中に、別の世界があるとは思っていませんので」



『別の世界』



それは、彼女と僕の住む世界が違うと言った、あのことを意味しているのだろうか。


「それって……」

「そうです。後藤さんに言われた『別の世界』の話です」

「あれは……」


『あれは……』の後、どう言葉をつなげたらいいのか、わからない。

椎名さんは、聞きたくないのか、耳を両手で塞ぐ仕草を見せた。

そこまでされて、言い直す気持ちにはなれなくなる。


「自分自身を拒絶されたのなら、諦めるべきかもしれません。
でも、見えないものを理由にされるのは、どうしても納得がいきません。
もし後藤さんの言うように、本当に見えない壁が……
この世の中に、あなたの住む別の世界があるのだと言うのなら、私がそこに入ります」

「は?」

「入ってみます」


椎名さんはそう言うと、事務所から出て行ってしまった。

祖母と話をしている奥さんに声をかけ、挨拶を済ませると、

帰るつもりなのか栗丘さんや赤石さんにも頭を下げる。

僕は、祖母と奥さんの話が続いているのを横目で見た後、

少し先を行く椎名さんを追いかけ、工場から少し離れた場所でもう一度声をかけた。



【10-5】

人と人をつなげる糸があるのなら、
どんなに細くても、自分の手でつかんでいたい。
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