11 おにぎりの形 【11-2】

【11-2】

「これ、簡単なご挨拶です」


手渡された袋からは、優しい石けんの香りがする。


「やだ、遥ちゃん、こんなこと」

「いえ、ほんの少しです。私、一人暮らしは初めてで、
知らないこともたくさんあるので、教えてください」



『初めての一人暮らし』



「本当に、色々と教えてやってください。鼻っ柱だけは強いのですが、
おそらく慣れないことだらけで、すぐに参るのではないかと、母も言っています」

「お兄ちゃん」


本当に、彼女はこの部屋でこれから一人、暮らしていくつもりだろうか。

自分の周りで動き出している運命に、逆らうつもりなのか。


「こちらこそ、せっかくのご縁なのだから、どんなことでも相談してね。
ね、歩」

「あ……はい」


奥さんの言葉に慌てて顔を上げると、椎名さんのお兄さんと視線が重なった。

明確な回答を出せなかったことを思い出し、視線をそらせてしまう。


「それにしても、挨拶なら昨日もしてくれたのに」

「あれは、工場のみなさんにです」



『遥が今、あなたに対して行っていることが、迷惑な行動だと思うのなら、
それは遥にきちんと伝えてください』



黙って目の前に立っている、お兄さんの言葉が頭をよぎっていく。

彼女のチャレンジにも、行動にも、僕が迷惑だと言えるような権利はない。



『でももし、あなたが遥を思ってくれているのなら、
それならばとことん付き合ってやってください』



僕は渡された袋を手に持ったまま、二人に向かってただ頭を下げた。

奥さんと階段を降り、マンションの下に止めた自転車に乗る。


「……全くもう、遥ちゃんったら、気をつかっちゃって」


奥さんはそうつぶやくと、僕より少し先にペダルをこぎ始める。

僕は前カゴにもらった袋を入れ、少し遅れて出発した。



『これから よろしくお願いします 椎名』



彼女の手書き文字が、自転車の前カゴで、小刻みに揺れた。





工場に戻っても、その日は飛び込みの仕事は生まれず、のんびりした時間が続く。

社長の大きなあくびが聞こえ、少し遅れて僕も大きく口を開けた。





週末が終わり、月曜日に代わった。

バイクで工場に向かう途中の横断歩道、小学生が手を上げて渡っていく。

僕は右折のウインカーを出し、工場に入ると、いつも置く場所にバイクを止めた。


『半田自動車整備』の工場から事務所に入り、廊下を歩くと社長夫妻の家がある。

僕達はそちらではなく、右に向かいロッカーを開け、そこで着替えるのだ。

途中には洗濯物を干す台が並んでいて、タオルだの洗った作業着だのが、

きちんと洗濯バサミに挟まり、風に揺れている。

小さな台の上には、今日着る作業着が、ロッカーの順番通りに並んでいて、

僕は自分の分を取り、すぐに着替えると事務所へ入った。





「おはよう……うわぁ」

「何驚いているんだよ、今日から『パール』がいると、言っていただろう」

「そうですけど、こいつ、メチャクチャでかくなってませんか」


栗丘さん、そして僕、さらに赤石さんと、従業員が到着するたび、

『パール』は愛想を振りまき、尻尾を振っている。

確かに、ここで預かっていた頃に比べたら、倍くらい大きくなった。


「大きい、大きいって、まだこれから成長するらしいわよ。
遥ちゃんがそう言っていたもの」

「お前、まだ発展途上か」


椎名さんはここに『パール』を預け、歩いて駅に向かうことになった。

まっすぐマンションから向かえば、駅は10分程度だけれど、

ここへ寄り道すると20分はかかっているかもしれない。


「今朝は、バタバタしていて何も食べていないって笑ってたけど、
明日はおにぎりでも作ってあげて待ってようかしら。
駅まで歩く間に、1つくらい食べられるものねぇ」

「あぁ、そうだな。どうせ、俺たちが朝飯を食うわけだし」

「でしょ。『パール』を預けに来るからね、その分時間もかかるだろうし」


社長と奥さんの会話が、事務所からロッカーの方へ漏れ聞こえてくる。

僕も祖母がいない1週間は、洗濯が優先で、ついつい朝食のことは後回しだった。

パンをかじるだけとか、栄養ドリンクを飲むだけとかになっていた。

家族に慣れてしまうと、『一人暮らしのリズム』を掴むのは、結構難しい。


「歩、今日は塗装があるから、頼むぞ」

「はい」


僕らの変わらない日々が、またスタートした。





作業を終えて、ホームページの問い合わせに対する答えを書いていると、

仕事を終えた椎名さんが、『パール』を引き取りに現れた。

事務所の扉を叩くので、僕はすぐに開ける。


「お疲れ様です」

「お疲れ様……今、奥さん呼ぶから、ちょっと待っていて」

「はい」


僕は廊下の向こうに届くように、すみませんと声を出す。


「後藤さん」

「はい」

「引越しの手伝い、ありがとうございました」

「いえ……」


僕は『パール』の面倒を見ていただけなので、たいして役に立てたとは思えないが、

椎名さんは嬉しそうに笑っていて、僕もその笑顔につられて自然と口元がゆるんだ。



【11-3】

頭で思うことと、気持ちが結びつくとは限らなくて。
ふとした一言に、揺れる歩の心
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