12 彼女の意地 【12-1】

12 彼女の意地


【12-1】

9月始めに越してきて、しばらくは炊飯器のことなど落ち着かなかったが、

月末になる頃には、椎名さんの一人暮らしも、すっかりリズムに乗って、

毎日が流れるようになっていた。


「またね、ワンちゃん」

「ありがとうございました」


『パール』は『半田自動車整備』の看板犬として、

お客様からも、認識してもらえるようになる。


「今日も声をかけてもらいましたね、こいつ。しかも、いい女でした」

「『パール』は無駄吠えしないし、愛想もいいからな」


事務所の中で、自分を見て尻尾を振っている犬がいると、

相当嫌いな人ではない限り、お客様も嫌な気はしないだろう。

『捨て犬』にされたことで、人間不信になる犬もいるそうだが、

あまりにも幼かったため、その記憶がないのだろうと、

この間、車の修理に来た獣医さんも言っていた。

『パール』に、人と関わることは幸せなことだと教えてくれたのは、

間違いなく椎名さんだろうが。


「ねぇ、こうなったらさ、正式な『半田自動車整備』の看板犬として、
『パール』に作業着でも作ろうかしら」


奥さんは、『パール』の背中をなでながら、そう意見をした。


「コスプレですか」


赤石さんは、コンビニで買ってきた

お気に入りの棒つきキャンディーを口に入れる。


「そうそう、それ。よくいるじゃない。ネコ駅長とか、犬番長とか……」

「犬番長なんて聞いたことがないですけど」


お茶を飲もうとカップを出した栗丘さんは、犬番長に首を傾げる。


「おい、おい、やめておけ、犬は犬なんだぞかわいそうだ。自然のままでいい」

「あら……」

「なんだよ」

「工場長を『パール』に取られると思っているのでしょう」

「は?」

「あはは……それいいっすね。『工場長が犬』って、笑えます」


季節が移ろうが、新しい仲間が増えようが、うちの流れは変わらない。

と思いながら作業着に着替えていると、事務所の電話が鳴りだした。


「はい、『半田自動車整備』です。はい……エ? はい、後藤歩はうちの社員ですが。
少々、お待ちください」


『後藤歩』という名前が聞こえたので、僕に対する電話だろうというのはわかったが、

取りつぎをする奥さんは、なぜか首を傾げている。

首だけ入れたシャツに慌てて袖を通し、作業服は中途半端なまま、

とりあえず事務所に入る。


「歩に電話。『ハウジングネット』の東京第3営業所だって」

「不動産ですか?」

「おそらくそうだと思う。
あの、賃貸アパートとかを経営している『ハウジングネット』の営業所でしょ?
歩、引っ越しでもするの?」

「いや、そんな予定は……」

「とにかく出てよ。整備士の後藤歩さんって、しっかり名出しだもの」

「はい」


『ハウジングネット』と、過去に契約をした覚えもないし、

営業所でアンケートなどに答えた覚えもない。

とりあえず話を聞こうと思い、受話器をつかむ。


「お待たせしました。後藤です」

『申し訳ありません、突然に。
私、『ハウジングネット』の東京第3営業所で所長代理をしております、
芳賀と申します』

「はぁ……」


僕に電話をかけてきたのは、ここから車で30分くらいの場所にある、

『ハウジングネット』の芳賀さんだった。話を聞くと、営業車が数台あるけれど、

その車検依頼と、修理依頼だとわかる。


「もちろん、お引き受けします。こちらから取りに伺うことも出来ますし、
持ち込んでいただいても結構ですが」


仕事の依頼なら大歓迎だ。

しかし、どうして僕宛なのか、それが気になった。


「あの……どうして僕の名前をご存知なのですか」


ホームページに奥さんが顔写真を載せたとはいえ、フルネームまでは載っていないし、

社長の名前はきちんと入っている。


『はい。『TEA』さんの方から、ここの評判をうかがいまして。
うちの所長が、昔からのお付き合いがある『TEA』さんのお勧めならとここへと、
そう言うものですから』


『TEA』さん。

あの人が、ここを薦めてくれたと言うのだろうか。


『後藤さんはとても親切で、丁寧だと……』

「あ、いえ、僕は……」


親切に丁寧に仕事をするのは、栗丘さんも赤石さんも社長もみんな変わらない。

そういう理由ならば大丈夫だろうけれど、あらたまって僕の名前を出して評価されると、

恥ずかしさの方が上をいく。


『いつ頃なら、車を入れられますか? うちも出払っては困るので、
順番に入れていきたいのですが』

「はい。それでは管理をするものに代わりますので、
そちらと日程を調整していただけますか?」


僕は目の前で心配そうに見ている奥さんに、大丈夫だと頷き、保留ボタンを押した。


「何?」

「大丈夫です、仕事の依頼です。車検と修理とあるそうですから」

「仕事の依頼? それをわざわざ歩に?」

「とにかく、細かい話は後からしますから。日程を調整したいそうです。
出てもらっていいですか」

「あ、うん、うん、わかった」


奥さんの慌てぶりも当然のことだとそう思う。

『TEA』さんが、どう気に入ってくれたのかはわからないけれど、

『ハウジングネット』の車がここに入るとなると、結構な仕事量になるだろう。

これだけお世話になってしまう理由は、伯父と知り合いだからということだけで、

済まされるのだろうか。

奥さんは、『管理帳』を取り出し、開いている日付を順番に話しだした。



【12-2】

イメージだけでは、人のことは語れない。
歩は、『その人』を少しずつ知り始め……
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