12 彼女の意地 【12-2】

【12-2】

「いいじゃない、この文字だらけのホワイトボード」

「おぉ、やる気がグッと出てくるな」


『ハウジングネット』のおかげで、空いていた日が埋まり、

社長も奥さんも今月は調子がいいと、上機嫌になる。


「すごいわね、さすが『TEA』さん。そしてさすが哲治さんってとこ?」

「あぁ、そうだ、そうだ。一流の連中は、付き合いも広いからな」


僕は、電話で相手が語った通りの説明を、社長と奥さんにした。

『TEA』さんの人脈から得た仕事は、

結局、伯父とのつながりがそこにあるから成り立っている。

少し早めの昼食を取ろうと、冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに入れた。


「これでいいのですかね」

「何、どうしたの歩」

「いや、偶然にここで車のネジを巻いただけなのに、
受け取るものばかりがどんどん増えていく気がして、なんだか気が重いなと」

「あらそう? そんなに気にしなくたって大丈夫よ。
こっちだって仕事でそれなりの結果は出しているのだから」

「まぁ、そうですけど」


考えすぎだろうか。椎名さんが引越しをしてきた後に、

『TEA』さんからこうしたアプローチが入った。

社長も奥さんも、前以上に、伯父とのつながりが貴重なものだと感じているだろう。

この仕事場に、伯父の力が増していくたびに、

僕の自由は、どんどん狭まっていく気がしてしまう。

声に出すことも許されないような、顔を見ることも罪なような、

そんな複雑な思いだけが大きく膨らんだ。





『スレイド 支配人 持田丈治』


その日の仕事を終えて家に戻り、しまい込んでいた名刺があったことを思い出した。

『TEA』さんが出入りしていたこの店の支配人さんなら、

連絡の取り方がわかるだろうか。

伯父の関係で、あれこれ優遇してくれるのはありがたい事だったが、

これ以上の出来事は、ただ受け取るわけにはいかない。


「音楽家の卵か……」


僕は部屋で寝転がりながら、その名刺についている音符のシールをじっと見続けた。





その次の日、用事があるのでと断りを入れ、仕事は少し早めにあげてもらい、

一人『スレイド』を目指した。

駅の改札を抜けてから、まっすぐに歩いていく。


「あれ?」


途中で、足を止める。

同じ道を椎名さんと歩いたはずなのに、2本目を左だったか、

3本目を左だったかがわからなくなってしまった。

僕は方向音痴でも、物忘れがひどいわけでもないと思うが、

全く道順が入っていない。


「ふぅ……」


あの日、僕はいつの間にか、彼女の知識に頼り、この道を歩いていたのだろう。

『スレイド』を知っていると言ってくれた椎名さんに、頼りきっていたのかもしれない。

あの日のことを思い返すと、笑っていた彼女の横顔と、

用意してくれた小さな花束のかわいらしさだけが、出てきては消えてを繰り返す。

ここだと思い曲がってみると、地下へ続く階段を持つビルなど、どこにもなく、

また迷いそうになり、元の場所へ戻った。

それでも、予定より相当遠回りをしながら、なんとか『スレイド』を見つけ、

階段で下に向かい、重たい扉を右手でこちらにひっぱっていく。


「いらっしゃいませ」


あの日は『TEA』さんのためにあった日なので、入り口は特別仕様だった。

今日は普通の営業日なのか、ライトも全体に当たっていて、様子が違って見える。


「お一人ですか」

「はい」


とりあえず席につき、ビールを注文した。

『TEA』さんが先日、ピアノを前に歌っていた舞台には、

今日はトランペットを持った若い男女が、揃って立っている。


「それでは、引き続き、お楽しみください」


兄と妹なのか、それとも恋人同士なのか、いや、音楽を通じての知り合いなのか、

僕にはわからないけれど、二人の息はぴったりあっていて、

リズムのいい曲がどんどん流れていく。

演奏者たちは、手に持つトランペットを動かし、それに合わせて体も左右に揺らした。

時折、見詰め合うようになり、そこからまた別の雰囲気に変わる。



自分で音楽が好きだと思ってみたことはなかったが、こうして生演奏を聞いていると、

自然と足がリズムを取ろうとする。

歌声でなくても、トランペットでも、やはり本物の音を聴ける事は、

貴重なことだった。


「どうぞ……」

「ありがとうご……あ……」


ウエイターさんが運んでくると思った僕のビールは、

支配人の持田さんの手によって、運ばれてきた。


「再び、こうしてお会いできて嬉しいです」

「いえ……」

「先日のお連れ様はご一緒ではないのですか」


お連れ様とは、椎名さんのことだろう。

僕は、今日は一人ですと告げる。


「そうですか、それではごゆっくり。こちらは名刺のシールによる、
サービスとさせていただきます」


また『サービス』だ。


「あの、違います。困ります」

「はい?」

「『サービス』は結構です。お金もお支払いしますし、
お忙しいのはわかっていますが、少しだけお話を伺えませんか」


僕がそう問いかけると、持田さんは、自分と話すのかと指で鼻に触れた。



【12-3】

イメージだけでは、人のことは語れない。
歩は、『その人』を少しずつ知り始め……
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