3 水と油 【3-1】

3 水と油

【3-1】

『私が仕事を辞める』

母にとっては、思いがけないことだったのか、確認の視線が私の方へ向いた。

私は、その通りだと小さく頷いてみる。


「あ……そうですか」

「はい。僕が仕事で海外に行くことになりそうで。
ですので、知花さんには仕事を辞めて、ついてきてもらうことに」

「海外? どちらに」

「カナダです。職場が『林田家具』なものですから。工場が向こうにありまして」

「カナダですか……」


堅苦しい挨拶が終わり、それからは食事をしながら幹人の仕事の話を、

父は楽しそうに聞き続けた。知己も時々質問し、それぞれの顔が明るく変わる。

私は食べ終えた食器をお盆に重ね、母がいるキッチンへと持って行く。

母は、スポンジに洗剤をつけ、手際よく洗い出した。


「知花。冷蔵庫にメロンが入っているから、切ってあげて」

「うん……」


冷蔵庫にメロンだなんて、普段の我が家なら考えられない。

そう言おうとして、今日は黙っておこうと口を閉じる。


「知花……」

「何?」

「あなた、仕事辞めるの? 本当に」

「……うん」

「そう……」


何か言葉を抑えたような母のセリフ。

母は、私が幼い頃からずっと働いていた人だけに、言いたいことはなんとなくわかった。


「まぁ、幹人さんが外国に勤務じゃ、仕方がないのかもね」

「……うん」

「おじいちゃん、寂しがるけどね」



『迫田のおじいちゃん』

母の旧姓は迫田。おじいちゃんは伯父夫婦と、和歌山に住んでいる。

昔から林業をしている家で、私も小さい頃、よく、山に連れて行ってもらった。

木の香りが好きなのも、おじいちゃんの遺伝だろうと、

『DOデザイン』に就職したときも、伯父に笑われた。



『知花は、俺の血を引いたからな』



おじいちゃんが仕事で切り倒した木材の残りで、

玄関の段差を解消する踏み台を作ったこともあったし、

テレビを見る時に役に立つ、椅子を作ったこともあった。



私が、もう『木』から離れてしまうことを知ったら、

寂しがるかもしれない。



決めたことだから……もう、考えないようにしなければならないのに、

考え始めると、ざわざわして落ち着かない。

心が静かな時を迎えるまで、もう少しかかるのだろうか。





「どうぞ、入って」

「うん」


いつまでも下にいたのでは幹人の緊張もほぐれないので、

私たちは、2階にある部屋へ向かった。

大学まで使い続けていた部屋は、当時の雰囲気を残したままになっている。


「へぇ、ここで生活していたわけだ、知花は」


幹人は机の向こうにある窓を少し開け、そこから風を受けている。

都会の風とは違い、緑の匂いを直接感じることが出来るはず。


「この景色を見ていたわけだ、ずっと」

「そうよ、ここから大学まで結構かかったから、朝起きたら猛ダッシュで……」

「ダッシュね……あんまり速そうじゃないけどな」

「あ……ひどい」


ふてくされた顔の私を確認した幹人は、

冗談だと言いながら、そのまま優しく抱きしめてくれた。

いつもの『メンソール』の香りが、私に届く。


「はぁ……」

「幹人、どうしたの?」

「一つ乗り越えた」

「乗り越えた?」

「あぁ、これでまた一つ、知花が俺のものになるっていう実感が沸いた」


実感……


「オーバーね」

「オーバーかな。男としてすべきことをしたから、これからはまた違う気がするんだ」


幹人は私の頬に触れ、そのままキスをしてくれた。

幼い頃からの部屋という場所が、鼓動をいつもより速めてしまう。


「どこかで感じていた罪悪感が、なくなった気がする」

「罪悪感?」

「あぁ……」


私の唇は、また幹人と重なった。


「これからは責任感……」

「責任感」

「君の人生を背負うのだから、当たり前だろ」

「……うん」


『罪悪感』と『責任感』

男性は誰でもそう、思うものなのだろうか。


「知花……」

「何?」


幹人は、耳元で『愛している』とささやき、

まわしてくれた腕に、さらなる力を込めてくれた。




【3-2】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

【三村紘生】
知花の同僚。年齢は31歳。
外国を数年旅しながら、デザインの仕事に携わってきた。
知花の『チェスト』に感動し、『DOデザイン』に入社。まだまだ謎の多い人物。

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