4 木片の微笑み 【4-5】

【4-5】

何年も『カナダ』にいなければならないのなら、無理だと思っていたけれど、

1年なら……



一年なら、乗り越えられるのではないか。



「何言っているんだよ、急に」

「急に……って言われたらそうだけど。1年だって聞いて、それなら私、
なんとか出来ないかなって」


隣にいる幹人の顔は、間違いなく否定的だった。

今更引っ込めることが出来ない言葉に、私は興味深い仕事が入ったこと、

自分のやってきたことの成果を残したいなど付け加え、

なんとか状況を変えようとしてみるが、その表情は揺るがない。


「仕事って……もう、『退職願』出しただろ」

「でも、社長は残っていいって、言ってくれるはずなの。
実際、辞めるのはもったいないって言ってくれたし……」


そう、もったいないって言ってくれた。

三村さんも、私たちはまだまだひよっこで、これからだって……


「あのさ……」

「何?」

「もったいないっていうのは、社交辞令だろ。
6年勤めた知花が『退職願』を出して、それを無表情で受け取って、
はい、おしまい、さようならっていうのじゃ、社員に失礼だからだよ。
そんな言葉、まともに信じるなって」


社交辞令……


「仕事の成果なら、秋までの時間で頑張ればいいことじゃないか。
区切りが付くなんて気にしていたら、仕事なんて永遠に続くんだ、
どこで終わるわけ?」

「幹人、私ね……」

「知花……」

「何?」

「そんなに訴えてくるくらい仕事が大事? なぁ、俺に一人で『カナダ』へ行けって、
そういうことか」



一人で……『カナダ』に……



「……ったく、本気かよ」



そうだった。私、何を言っているのだろう。

結婚するのに、それなのに、幹人を一人で『カナダ』に行かせようだなんて。


「……ごめん、幹人」


幹人と結婚するということは、幹人を一番に考えないとならないことで、

『仕事』と天秤にかけること自体、あり得ないことだった。

私は、幹人の言うとおりで、申し訳ないと謝りながら、テーブルの上を拭き直す。

そう、戸波さんのところに出かけて、少し気持ちが浮かれていたのかもしれない。

『プロポーズ』を受けたのは、私自身なのに。


「本当にごめんなさい……私」

「いいよ、もう。誰だって決断するときは迷うものだって。
楽しそうな仕事が入ったから、気持ちが揺れたってとこだろ」


幹人はそういうと、私の体を引き寄せた。

沈んでいく心を温めてくれるつもりなのか、おでこにキスをしてくれる。


「マリッジブルーって、こういうことを言うのかな」

「マリッジブルー?」

「あぁ……『結婚』ってそれだけ人生にとって、大きな決断だから、
揺れてもおかしくはないよ。でも、大丈夫だ、知花」



『大丈夫』



「結婚生活は未知の世界だから、心配になるのもわかるけれど、
俺たちは幸せになるから。今までだって、俺に着いてきてくれただろ」


そう。幹人の決断に、いつも従ってきた。

間違っていると思ったこともなかったし、結果も納得できた。

『大丈夫』という言葉が、ふわふわした気持ちを、ゆっくりと治めていく。


「知花は、元々、家庭的な女性だから、結婚して、子供を産んで、
で……その中で、また楽しめることを見つけた方がいいよ」


結婚して、子供を産んで……

仕事ではなくて、趣味を持つ幸せ。


「頼むよ、週末は、うちの親に挨拶だからさ」

「うん」

「お袋は、長い間家を守ってきた女だから、知花も話を聞いてみるといい。
それでも、ただ、家事だけをしていたわけではない。
趣味もあるし、そう、ボランティア活動にも、結構力を入れていた」

「……うん」


幹人の腕に包まれ、抱きしめられていると、それが全てなのだと思えてくる。

愛されていることが幸せで、それを壊してはいけない。

幹人が笑顔でいてくれること、それが……



私の幸せなのだろう。



次の日、幹人は私のアパートから仕事に向かった。




【4-6】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

【土居信太郎】
『DOデザイン』の社長。年齢50歳。車に酔いやすい。
社員の気持ちを理解し、心を広く持った兄貴のような存在。
経理担当の塩野明恵は恋人だけれど、まだ入籍はしていない。

コメント、拍手、ランクポチなど、お待ちしています。(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


コメント

非公開コメント