8 素直な気持ち 【8-4】

【8-4】

「雨、降ってきたの?」

「あぁ……駅を出て少ししたらね」

「今、タオル出すから」

「いや、いいよ。そこまでは濡れていないから。
ハンガーにでもかけておけば、大丈夫だろう」

「そう……」


幹人を部屋に上げて、食事を始めた。

私はこの後、話をしないとならないと思うからか、なかなか喉を通らない。


「どうした知花。具合でも悪いの? あまり食べていないけれど」

「ううん……」


何でも語り合うつもりになっていたけれど、いざとなると弱気な自分が顔を出す。

ここで何も言わずに、知らないふりをしておけば、

なかったことだと、忘れてしまうことが出来るだろうか。

黙ったまま幹人と結婚して、家庭を築けば、過去のことなんて、

どうだってよくなるのかもしれない。

ここであれこれ言えば、幹人を責めてしまうことになる。

責めてしまった後、どこへ走り出すのかわからないのに……


「あぁ、美味かった。出張ではホテルのレストランで食べたけれど、
相手が洋食を好む人だったから、そっちのものばかりでさ。
こういった煮物とか、胡麻和えとかが、一番安心するよ」


幹人がバッグから『大阪土産』を出してくれた。

確かに、大阪へ行ったのだろう。でも……

私は、それが仕事ではないことを、知ってしまった。

やはり、黙ったままでこれを受け取れない。

ここで何も言わなければ、私は一生、自分を押し殺して生きることになる。


「ねぇ、幹人、あのね」

「うん」

「見て欲しいものがあるの」


私は、自分のバッグから携帯を取り出し、あの番号を呼び出した。

着信記録が残っているので、携帯を幹人の前におく。


「この番号、幹人の知っている人?」


私にもわかるくらい、幹人の表情が変化した。

気まずそうにしたのはほんの一瞬で、その表情がだんだん怒りに変わっていく。


「それで?」

「それでってことは、知っている人ってこと?」

「まどろっこしく言わなくていいよ。この番号から知花に電話が入ったってことなの?」


私はその通りだと黙って頷いた。最初はすぐに切れていたので、無視していたが、

何度も来るので間違いではないと思い、かけ直したことも告げる。


「で?」

「声は聞こえなかったの。でも、どこかのホームにいるような音が聞こえてきて、
それで……」



『……行くぞ』



私が、幹人を疑ったあのセリフ。


「『行くぞ』って男の人の声が聞こえてきたの。その声が幹人の声に似ていて。
だから私気になってしまって……」

「うん」

「そのあとも、向こうから電話があった。でも、いつも黙ったままで。
だから私、思い切って、言いたいことがあるなら言ってって……」


もやもやした思いを持ったまま、幹人を疑うのは嫌だと思い、

私は相手に全てを語ればいいと、そう言った。


「そうしたら女性が出て、『彼とは終わった』っていうようなことを」


幹人は私の話を一度も止めることなく、黙ったまま聞いている。

話の途中で不思議そうな顔をしたり、わからないと言う表情をされたら、

まだ、どこかに逃げ道がある気がしていたけれど、それもないように思えてくる。

いや、逆に話している私のほうが、どこか追い込まれているような、

錯覚さえ見えてしまう気がして……


「その人、私のほうが……都合がいいから選ばれたって」


幹人の意見を信じ、幹人の気持ちに応えようとする私のほうが、

都合がよかったのだと、そう言われた。時計の針の音だけでなく、

その振動までもが聞こえるような、静かな時が流れていく。

ここからはもう、幹人の言葉を待つしかない。

私には、何もすることが見つからない。

出してしまった言葉は、元に戻らないから。


「ふぅ……」


吐き出す息の重そうな雰囲気が、全てを語っている気がした。

ここから聞く話は、あまりいいものではないだろう。


「知花にそう言ったんだ、あいつ」



あいつ……



「今さら、ごまかすつもりもないから、正直に話すよ」

「うん」


心臓が、バクバクと音を立てる。

呼吸が乱れてしまって、息をするたびに、苦しくなる気がして……

この先の時間が、自分に耐えられるものなのか、自信がなくなってくる。


「その人は、大学時代の同級生だ。今は、一級建築士をしている。
去年の暮れだったかな、偶然仕事で関わることになって、互いに驚いた。
元々、知り合いだったし、話もあったし……で……」



1級建築士の女性。



「まぁ、たまに会って、話をして食事をして……」


去年、再会した人ということは……私と付き合っている時期と重なる。


「互いに、割り切った付き合いだと、俺は思っていた」


『割り切った付き合い』

自分で聞きだしたのに、わかっていたのに、こうハッキリ言われてしまうと、

悲しいのか悔しいのかわからなくなった。




【8-5】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

【塩野明恵】
経理担当、年齢43歳。
信太郎の恋人だが、タバコの煙が大嫌い。
飼い猫とドナルドダックにだけは、いくらかけても惜しくないと思っている。

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