8 素直な気持ち 【8-5】

【8-5】

私が知らない場所で、会っていた人……

大学時代の同級生で、一級建築士というしっかりした地位もある女性。

無言の電話に苦しみ、悩んでいた時間が、今、あっという間に語られる。


「……あぁ、そうだ、ほら、この間、知花の会社の男が言っただろ。
出会いも全て捨てて、一人を選ぶって話し」



『過去の出会いも、未来の出会いも全て捨てて……』



三村さんが言った台詞。


「仕事を円滑にする中で、彼女の話や知識は確かに得るところが多かった。
でも、俺は、早く家庭を持ちたいと考えていたし、結婚をするのなら知花しかいないと、
最初からそう思っていたから、彼女にはもう会わないと話をした。
自分は、家庭に収まるような女ではないって、再会したときから言っていたくせに、
いざとなったら、あれこれごねて、で、言い合いになった。
だからそんなふうに電話をかけてくるような、卑怯なことをしたのだろう。
でももう、終わったことだから」


終わったこと……

私は、まだ事実を知ったばかりのに、終わりなのだろうか。


「こんなこと、今、聞いている知花の、気分は悪いだろうけれど、
本当にあいつとはもう会うつもりもないし、これから何かが起こることもない。
全く……そんなことをするなんて、約束が違う……」



約束……



「幹人」

「都合がいいっていう言葉は、確かに知花に対して失礼なものだけれど、
でもさ、結婚は一生のことだ。色々悩みがあったりするのも、否定しないで欲しい。
女は男についていく立場だから、深く考えないのかもしれないけれど、
男は……生活を背負うのだから……」


確かに、男性は生活を組み立てていくポジションだと思う。

でも、女性だって、ついていくから考えていないわけではない。


「私だって、電話があって色々と悩んだし……それに……」



『一生、彼と生きていこうと思うのなら、今ある思いは伝えた方がいいですよ。
悩みはどういうことなのかとか、捨てたくないものを、
あなたとの未来のために捨てるんだってことも、きちんと言った方がいい』



私の気持ち、伝えないと……


「……ウソをついて欲しくなかった」

「ウソ?」

「『大阪』……出張じゃなかったのでしょ」


出張だと言われて、信じていたのに。あの瞬間、涙があふれて止まらなくて……


「どうしてそう言える?」


どうして言えるのか……

私は、電話のことがあって、心配になったから会社に連絡を入れたことを話す。


「会社に探りの電話を入れたってことか」

「……だって」

「だってって……それはないだろう。俺はそういうことをして欲しくないと、
いつも言っていたはずだ。保険勧誘員になりすまして電話を入れるなんて。
何を考えているんだ」

「でも……」

「でもじゃないよ。後から会社の人間に追及されるようなことはやめてくれ」


結局、その女性とはもう会わないということを繰り返されただけで、

幹人からの謝罪は何もないまま、また時間だけが過ぎていく。

ふと目を動かした戸棚の上には、私が招待客を書いたメモが乗っている。

これから、式の『招待状』を送っていかなければならないのに。


「誰かに相談でもしたのか」

「……どういうこと?」

「知花は、会社に電話をして、探るような女じゃないと思っていたから」



探るような女ではないというのは、どういう意味だろう。

私は、思いがけない事実に、気持ちが乱れっぱなしなのに。

『行動しないだろう』という表現が、それこそ『都合のいい女』を連想させる。


「幹人……」


幹人は黙って立ち上がり、ハンガーにかけていた上着を手に取った。

私も立ち上がってはみるが、何も出来ない。


「今日は帰るよ。これ以上話をしていても互いに冷静ではいられない気がするし、
君も、俺が近付けば拒絶したくなるだろう」


幹人はそういうと私の目を見ることなく、玄関で靴を履き始めた。

まだ、聞きたいこともあるし、話したいこともあるのに、

うまく口から言葉が出て行かない。伝えないとと思うと、気持ちが空回りする。



『どうして、私がいるのに、別の人に気持ちを向けたのか』

『どうして、素直に謝ってくれないのか』



幹人は何も言わないまま、ドアノブに手をかける。


「謝れと言うのなら、俺は謝るよ。いいことをしたとは思っていない。
そうして欲しいのなら、ハッキリ言ってくれ」


言ってくれと言われても……

謝ると言うことは、こちらがお願いすることだろうか。


「もう……動いている、それは知花もわかっているだろう。
過ぎたことを考えるより、前を向いて欲しいんだ。
こんなことくらいで、あいつに妙なことをされたくらいで全てを無くすほど、
君は愚かな女じゃないだろう」


その言葉を残し、幹人は出て行き、私の胸には、ぬぐいようのない雲が、

大きく広がったままになった。





『謝れと言うのなら……』

幹人の性格もあるのかもしれないけれど、この場所で自ら頭を下げ、

心の底から素直に謝ってくれたら、申し訳なかったという気持ちが、

言葉にきちんと出ていたら……

その女性がどんな人であっても、どんな関係にあったのだとしても、

私は許せてしまう気がしたのに。

『謝罪』などという形式ではなくて、『ごめん』の一言があれば、

しばらくはギクシャクするかもしれないけれど、やっぱり私の相手は幹人だと、

そう思えたかもしれないのに。



でも、幹人の口からは、素直なセリフはひとつもなく……

むしろ、電話をした私が悪いと、完全に言い切られてしまった。

こんなことで、私は一生、彼についていけるのだろうかと思い続け、

その日はあまり眠ることが出来なかった。




【8-6】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

【塩野明恵】
経理担当、年齢43歳。
信太郎の恋人だが、タバコの煙が大嫌い。
飼い猫とドナルドダックにだけは、いくらかけても惜しくないと思っている。

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