11 私の味方 【11-3】

【11-3】

木の皮が水を含んでいる。

どこか湿り気のある匂いに、また別の匂いが重なっていく。

これは草の青い匂い。


肌に触れる湿度が、少し前までコンクリートに囲まれていた私に、

別世界へ来たような感覚を持たせてくれる。


どうしても歩くと言うのならと、伯母さんに靴を借りて正解。

大きな木々に囲まれているので、湿った土はそう簡単に乾燥しない場所もある。

雨を含み、その水がさらなる成長を促し、木々は太陽に向かって伸びていく。



『知花が、毎日あの笑顔でいてくれるなら……』



祖父の一言が、ずっしりと心に重かった。

私は本当に、このまま幹人と結婚していいのだろうか。

プロポーズを受けたときの思いとは、

全く違う感情が、心を支配している気がしてならない。



昔、私がわくわくしながら入っていった、山の奥。

1歩でも、少しでもその場所に近付けば、迷う心の答えが、きっとあるような……



『デザイナーの才能はないのだから』



わかっている。私は人よりも優れているわけではない。

こんな自分の小さなプライドにこだわらず、気持ちを切り替えた方がいい。



でも……

私から、デザインの仕事を奪ってしまったら……





きっと、心から笑うことなど出来ない気がする。





静かな山の中で目を閉じると、どこからか鳥の声がした。

時間がゆっくり流れるような、私だけの……空間。



『これ以上追い込むなって言われて……』



あの時、幹人と話をしているとき、息苦しくなったのは、

萩尾さんとの仕事でぶつかったからではなくて、きっと……


「あ……」


一粒だけ顔に雫が落ちた。山の天気は変わりやすい。

あっという間に大粒の雨が降り始めるかもしれない。

これ以上、山の中に入っていくことは危険だろう。


「やだ、思っていたよりも早い。これ、結構強くなるかも」


気付かなかった。いつの間にこれだけ奥に入ってきていたのか。

もっと、道路沿いを歩いていると思っていたのに。

バッグから携帯を取り出すと、予定の時間はとっくに過ぎていた。

昼までには戻ろうとしていたが、もう1時をまわっている。


「伯母さんに電話……」


気持ちも視線も携帯に動いたとき、私の足は斜めに動いてしまった。


「キャー!」


石の段差に気付かず、私は赤土の斜面を滑ってしまい、

肩にかけていたはずのバッグが離れ、持っていた携帯が左手からこぼれ落ちた。

携帯は少し下にある草の端に引っかかっている。

なんとか他の木につかまり、右手だけを必死に伸ばす。

もう少しで触れそうなところまでいったのに、

草の影に隠れていた小枝が動いたために、

携帯だけがさらに下へと落ちていってしまった。

そして途中の石にぶつかり、カツン、カツンと音をさせて

もっと下のくぼみに落ちていく。

足場がないわけではないけれど、湿った地面と状況を考えると、

拾いに行くことは難しい。

木々の隙間から見上げた空の色は、ますます怪しく変化した。


「どうしよう……」


下の方へ落ちてしまった携帯電話が、岩の間に見えて、

ライトが光り着信音が鳴りだした。会社だろうか、それとも伯母だろうか。

取りたいけれど、ここからでは取ることも出来ない。



あの携帯がなければ、色々な人たちとの連絡が、つかなくなってしまう。

長い間、積み上げてきたものが、なくなってしまう。



幹人が送ってくれた誕生日の記念メールも……

なくなってしまう……




光り続けていた携帯のライトは、1分ほどで光りを終えてしまった。





雨はますます力を強め、私はしかたなく体を元の位置に戻す。

『携帯電話』は、諦めなければならなくなった。

とにかく、伯父の家に戻らないと。携帯もないので、時間もわからない。

濡れた土で滑ったため、洋服も相当汚れている。


「キャー……」


雷……

そう、少し遠くに聞こえたけれど、確かにあの音は雷の音だった。

このままだと、こっちに近付いてくるかもしれない。

山の中で、木々に囲まれていることが危ないことくらい、私にだってわかる。

雷に気付かれないように少しずつ、姿勢を出来るだけ低くして、元の場所へ戻ろう。


「知花! 知花!」


雨の音に混じり、私を呼ぶ声がした。

その声を探そうと顔を動かしていると、車のライトが光る。


「あ……ここです」


少し窪んだ場所にいたため、大きく手を挙げ存在をアピールする。

伯母の運転する軽自動車が止まり、助手席から飛び出してきたのは……


「お母さん……」

「知花!」


母は、傘も差さずに私の方へかけてくると、

何をしているのだと言いながら、腕をしっかりと掴み、

汚れた洋服をタオルで拭き始めた。




【11-4】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

【戸波陽平】
紘生とは、共通の知り合いがいたことで交流を持つようになったが、
互いに惹かれ合うものがあり、今では『親友』と言える間柄に。
古いものを新しくよみがえらせる技術と、センスを持つ男。

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