12 虹の彼方に 【12-6】

【12-6】

「あぁ……肩が凝る」

「あと、やりますよ。小菅さん先に退社してください」

「あはは、ごめん。気をつかわないでいいわよ。
仕事の途中で帰るなんて、気になってしまうもの」


幹人にプロポーズされるまで、私は小菅さんを理想の生き方だと思っていた。

ご主人は確か、中学校の教師をしていると聞いたことがある。


「大丈夫、だんなにはメールを打ったから。さて、やるわよ、知花ちゃん」

「はい……」


結婚3年、まだお子さんはいない。


「小菅さん」

「何?」

「こうして毎日遅くまで仕事をしていて、ご主人に文句を言われませんか?」

「文句?」

「はい。せっかく結婚したのに、もっと主婦らしく家庭のことを……って」


小菅さんはPC画面から私の方を見ると、少し考えるような顔をしたけれど、

すぐに首を振った。


「言われないわよ。彼には美恵が納得することをしているのだからって、
理解してもらっている」

「納得……ですか」

「うん。結婚してくれって言われたときにも、
私は結婚という契約では仕事を辞めないって、宣言したから」

「へぇ……」

「自分でもういいやと思ったのならともかく、主婦だからという縛りは、
男のエゴでしょ。と言いながらも、親にはわがままな女だって、怒られたけどね」


わがまま……

女性が意思を通そうとすると、まだ今の日本では、

確かにわがままだと言われてしまうことが多いだろう。


「だってさ、一生一緒に暮らそうとしているのよ。
思っていることも言えない関係じゃ、長くなんて続かないでしょ。
特に、生活をスタートする前だからこそ、きちんとしておかなくちゃ」

「はい」

「燃え上がっちゃうような恋の熱なんてね、いつか冷めちゃうのよ。
ようはどれくらい同じ価値観を持てるのか、それが大事よ、知花ちゃん」



同じ価値観。



「ケンカをしても、根本的に同じ部分があると、時間さえあれば仲直りできる。
でも、考え方が違うと、すれ違ったままでしょ」


幹人と私。

今まではそうなのだと思っていた。どちらの考えがどうなのかというよりも、

道を決めてくれる幹人に着いて行くことが、正しいと信じていた。

でも、それは、私が『我慢』をしていただけで、何も重なってはいなかった。


「そうですね」


私は小菅さんにプリントした伝票を渡し、

それでもなるべく早く帰ってあげましょうと、声をかけた。





そして次の日。

幹人と、あの日以来、向き合うことになった。

私が伝えたいことは一緒。何度眠ってみても、天井を見上げて考えてみても、

気持ちは変わらない。


「もう一度だけ聞く、本当に結婚をやめて、別れてくれってことなのか」

「……うん」


幹人が、結婚願望の強い人だということはわかっている。

だからこそ、式を取りやめる以上、お付き合いも続けられない。


「……あいつなのか」

「あいつ?」

「あの……いつか店で会った男、あいつが原因なのか」


店で会った男?


「香住が言っていた。俺が知花のことを解放してくれと頼んだ後、
本来は仕事をあの男が引き継ぐ予定だったって。
それが、急に知花のデザインが変わって、思い通りの仕事になったって」

「幹人……萩尾さんに連絡をしたの」

「あぁ……」


心の中にある、重たい鉛のような感情が、ずっしりと奥へ奥へと落ちていった。

私が必死に訴えていたこと、ほんの一部分でも伝わってほしかったのに、

それも出来ない。


「あの男が、お前を変えたのか」


あの男とは、三村さんのことだろう。

確かに、萩尾さんとの仕事で、三村さんからアドバイスをもらった。

でも、それは幹人のこととは関係がない。


「あの時、そう、俺に妙な言いがかりをつけてくるとは思ったんだ。
あいつも知花に惚れていたってことなんだろ」

「幹人……」

「香住が言っていた。あの男、納得できないと知花にたたきつけたデザインの修正も、
色々していたらしい。お前のために、影で必死に動いていたんだ」


和歌山から連絡を入れた時、優葉ちゃんがそう言っていたけれど、

あくまでも仕事のフォロー。それがどうして幹人に責められることになるのだろう。


「惚れられて、嬉しくなって尻尾でも振ったのか」

「幹人……」

「人をバカにするのも、いい加減にしろ。俺が悪いようなことばかり並べていたけれど、
俺がどうのこうのじゃないだろう、お前が裏切ったと言うことだろう」

「裏切った? そんな……」

「そうだろうが」


私は何一つ、裏切ってはいない。


「違う。理由は何度も話した通りなの。そう、こうして自分の気持ちが伝わらないことに、
どうしようもない思いがわきあがった。苦しいことや辛いことを、
幹人と越えていこうと言う気持ちが、持てなくなった。誰かを他に好きになったとか、
そんなことは何もない。三村さんには、仕事でフォローしてもらっているだけ。
個人的なことなんて本当に関係ないから……失礼だよ」

「失礼?」


あの人も、我慢したことで辛い思いをしたから、

だから私にアドバイスをしてくれただけ。

気持ちを出せない人間がいることも知っているし、

言えない事で抱えてしまう辛さも知ってくれているから、だから……


「思いが伝わらない? 今までどれだけ話をしてきたんだ。
仕事のことだって、お前が決めたことだし……」


確かに、幹人からみるとそうなのだろう。

言葉にうまく乗せられなくて、耐えて、溜め込んでしまう人の思いなんで、

この人には理解できないのかもしれない。


「結局は、自分勝手な言い訳だろうが」


積み上げた積み木が、一つバランスを崩し、

そこから一気に崩れ去るときは、こういうものなのだろうか。

何から何まで全て、悪い方向へ動いてしまい、止めることなど出来ない。


「……そうだね、私のわがままかもしれないね」

「あぁ、それ以外の何ものでもない」


『自分は悪くない』

幹人から出てくる言葉は、最後までこれが軸になっている。

机をたたきつけるような言葉の勢いだったけれど、そこから無言になる。


伝えたいけれど、たぶん、伝わらない。



「覚えておけ……」



幹人のセリフに、自然と顔が上がる。


「これで仕事がうまく運ばなくなったら、いいか、俺は一生お前を恨むからな」


幹人はそういうと立ち上がり、伝票だけつかみ背を向けてしまう。

笑って握手して別れようなんて、私だって思っていたわけではないけれど、

これだけ好き放題言われるとも、思っていなかった。

私は、これだけ悪いことをしているだろうか。

両手を握り締め、あふれそうになる涙を必死にこらえる。

レジを抜けていく幹人を追いかけ、店の前で腕をつかんだ。

今、見た表情が、最後になってほしくない。


「ちょっと待って」

「何だよ」

「幹人……」

「うるさい、どけ!」


つかんだ腕を、思い切り振り払われ、

そして私の体は勢いで店の花壇の方へ流れてしまう。


「お前なら、素直に俺に従ってくれると思っていた。
そう思ったから選んだのに……」


幹人は、そのセリフを吐き捨てるように言うと、

倒れた私のことなど見向きもせずに、歩いていってしまう。

名前も知らない人が駆け寄ってくれて、私はありがとうございますと礼をした。




【13-1】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

【萩尾香住】
一級建築士。年齢32歳。
幹人とは大学時代の同級生。仕事で再会し、知花の存在を知りながらつきあってきた。
幹人が選んだ女性を見てやろうと思い、『DOデザイン』へ仕事の依頼をする。

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