17 心のバランス 【17-4】

【17-4】

「知花ちゃん」


振り返ると、心配そうな小菅さんが立っていた。

そうだった。隣のブースにいたんだ、きっと、聞こえていた。


「すみません、こんなところで。なんだかみっともないですね」

「みっともないだなんて、そんなことはないけれど。でも……ねぇ、
ずいぶんな言い方をするじゃないの、彼」


そう、心が凍りつきそうなくらい、冷たい言葉だった。

でも、それは……


「彼も苦しんでいるのだと思います。仕事で色々とあって」

「知花ちゃん」

「私のこと恨んでくれて、それで頑張れるのならいいけれど」


私のことを、世の中で一番嫌な女だと思ってくれて構わない。

確かに、私がいい人で、幹人が悪い人なのか、わからないところもたくさんある。


「私は……」


幹人が『カナダ』行きを決めて、望むように出世する道を歩いてくれていたら、

それで自分が楽になると、正直、どこかで思っていたかもしれない。

あの人の中に、私がいたことが消滅してしまうこと、

それで、傷つけた時間を勝手にリセットできると、考えていたかもしれない。



あの人を、誰よりも愛していると思っていた日が、確かにあるのだから……

もう少し、『いま』を慎重に話すべきだった。


「行きましょう、次の場所」

「そうね……」


そう、ここのところ、少しだけ浮かれていたのかもしれない。

初めて意見が認められて、新しいことが動き出して、そこに参加できて……



『だから……好きなんです』



気持ちが高ぶるような出来事が、周りで起きていたから……



『古川紗枝』

あの人の名前が、目の前に現れたのは、もっとしっかりしろと、私を戒めるため。

自分の思うように動き出すと、勝手に思ってはいけない。



どんな理由があるにせよ、幹人を不幸にしたのは、私なのだから……

『傷つけた』以上、その代償は背負わないと。



全てのブースをゆっくりと見て回った後、小菅さんとコーヒーを飲み、

その日の仕事は終了した。





次の日は、朝から雨だったが、会社につく頃にはなんとか曇り空まで回復した。

窓から見える色が、降っているのとやんでいるのとでは、やはり違う。

隠れていても、光りはどこかから差し込んでくるのかもしれない。

今日は三村さんと二人で、『喫茶店』の店内家具デザインを、

最終的に仕上げることになっている。

オーナーになる男性は、長い間のサラリーマン生活を終えて、

自分の店を、奥さんと初めて持つことになった。


『豆にこだわった、挽き立てのコーヒー』


お店には、木のぬくもりを、最大限に生かして欲しいとそう言われているけれど。


「さて……」


小さなお店。でも、ここにはあのご夫婦の、温かい思いが入るのだろう。

大好きな人と結婚して、子供たちを独立させ、

年を重ねた後に、一緒の夢を追えるのだから……




うらやましい。




「長峰さん、聞いていますか」

「はい……あれ? ごめんなさい」

「そうでしょうね、今は聞いていなかったですよね、そう思いましたよ。
なんだかニヤニヤしてましたけど、いいことありました?」

「何もないですけど。ただ……」

「ただ?」

「この場所で、お二人が夢を形にするのだなと、色々と考えてしまって。
どんなふうに、日々を送ることになるのかなと」



小さなお店に、漂うコーヒーの香り。

一度お話させてもらったけれど、明るく笑顔の素敵な方たちだった。

お二人の人柄を気に入って、常連さんが来るようになって……



私は姿勢を正すように座りなおし、ペンを右手で握る。

うちの家具を使う人の、幸せな姿を想像してしまうのは、

私のクセなのだから、仕方がない。


「夢か……」

「はい」


笑顔と、ぬくもりがそこにあって……


「それなら、長峰さんの夢はなんですか……」

「私の夢……ですか?」


三村さんは、訂正箇所を赤で直しながら、軽く頷いた。

私の夢……


「私の夢は……」


大好きな木のぬくもりを感じることが出来る仕事を、

これからもずっと……




……ずっと




顔を上げると、三村さんの顔がそこにあった。

向き合って座っているのだから、当たり前なのに、なんだか落ち着かない。


幹人との再会があって、少し冷静になるべきだと、自分自身で思ったはずなのに、

気持ちはまたすぐに、あちこち動き出そうとする。


「あ、取ります」


目の前にあった電話が鳴り出し、私は緊張感から逃れるため、すぐに取った。


「はい、『DOデザイン』でございます」




『お仕事中に申し訳ありません。古川紗枝と申します』




『古川紗枝』




『えっと……三村紘生さんは、いらっしゃいますか』




あの人だ。

三村さんの家にあった、手紙の人……




『古川紗枝』さん。

形のなかった人が、今、その存在をしっかりと前に押し出してくる。

思い込みでも幻でもない……意味のある存在なのだと。




【17-5】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

【迫田勝男】
和歌山に住む、知花の祖父。(知花の母、真子の父親)
幼い頃の知花を、よく山に連れて入っていた。
知花が『木』を好きになるきっかけを作ってくれた人。

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