20 別れの挨拶 【20-5】

【20-5】

数秒が、数分が、長く感じられる。

何をどう切り出していいのかわからないから、黙っているしかない。

幹人の口元を見つめ、時々視線を下に落とす。


「知花……」

「何?」

「俺さ、カナダ行きも別のヤツに取られて、半年という限定期間とはいえ、
花形の営業部から落とされただろ。さらに事故に遭って……そう、最悪の毎日だ。
どうしてこんなことにって嘆きながら、全ては君のせいだと思ってきた」


人生がうまく回らなくなったのは、私のせい。

確かに、結婚を取りやめてから、幹人の生活は急に変化した。

うまく行かなくなると、そう思いたくもなっただろう。


「知花がこだわっている『DOデザイン』なんて、
『林田家具』に比べたら本当に小さな会社で、
ただ、自分たちのやりたいことだけをやっている連中が集まっている。
そう、腹だたしさ以外の何ものでもなかった。
だから俺は、『NORITA』を取引先から外してやろうとそう考えた」


私と別れることになってから、幹人の気持ちは、そこに向かった。

だから、『NORITA』にわざわざ入り込んだのだろう。


「こちらがやると言ったら、簡単に話しに乗ってきてくれたよ。
今までのつながりなど、あっさりと切ってもいいのかと、
逆に尋ねたくなるくらいだった。どうにもならない思いを、そんなところにぶつけて、
自己満足しているとき、そう……事故に遭ったのは、俺が取引先から出て、
駅に向かうために急いでいるときだった。目の前の信号が変わる少し前に、
もう大丈夫だろうと前に出てしまって、
ギリギリで突っ込んできた車と接触した結果、足の甲を骨折した」


幹人は信号しか見ていなかった。

きっと、その先にある電車に乗る時間まで、計算していたからだと思う。

私といるときも、常に一つ先のことを考えるような人だったから。

その結果、私は彼に何もかもを任せてきたのかもしれない。



いや、任せてしまったのかもしれない。



「人生で骨折なんて初めてだった。足が思うように動かないから、
外回りなんていけなくて。営業部でやりたくもない書類の整理をしていた時に、
江戸川部長に呼び出された。ほら、結婚式で挨拶を頼もうとしていた人だ」

「うん」

「お前の視線は、遠くばかりを追っているって、そう強く言われた」

「遠く?」

「あぁ……」


幹人をいつも評価し、引っ張ってくれていたのが江戸川部長だということは、

私もよく知っていた。その人に言われたことなら、

強気の幹人もさすがにショックだっただろう。


「目の前に何があるのか、それをきちんと見て判断するその先に、
遠い目標が出ているはずで、遠くにあるものだけを追い続けていると、
目の前にある色々なものに足をすくわれるんだってね」


目の前にあるもの。

本当は、一番身近に捉えなければならないこと。


「企業の大きさにものを言わせて、『NORITA』の売り場を他の会社から奪って、
そう、その時はそれでいい思いをするかもしれない。
でも、無理に割り込ませた結果はきっと、思ったものにならないだろう。
制作できる数は決まっているのだから、他に流すとなれば、
手薄になる箇所が必ず出てしまう。つまり、昔からの付き合いをしているところに、
それなりのものが卸せなくなるということだから」


私たちの前に、それぞれのブレンドコーヒーが置かれた。

幹人はブラックのまま口をつけ、私は砂糖を1杯、ミルクも少し入れ、

スプーンで混ぜていく。マーブルだった色が、やがて落ち着いた。


「目の前のことを見ていないから、お前の生活は思うように進まなくなった。
そんな危ないヤツには、責任のある仕事を振ることなど出来なくなるって、
そう部長に言われてさ……」


幹人は、その時のことを思い出しているのか、視線は下を向いている。


「それでも、まだその瞬間は、よくわからなかった。
江戸川部長本人に、思い通りにならないことがあって、
部下に八つ当たりしているのかって、資料室で文句を言っていた」


資料室。

今までの幹人なら、そんな場所に立つこともなかっただろう。

入社してから、ずっと一番前を歩いてきた人だから。


「でもな、ある日資料室で気付いたんだ。自分が一人だってことに……」


一人……


「怪我をして、同僚には心配してもらったよ。でも、それだけなんだ。
朝、会議に参加するだろ。でも、現場を歩いていないから、
思うことがあっても強く言えない。黙ったままその場を乗り切って、
松葉杖を自分で動かしながら資料室に入って、誰もいない空間に座っているとき、
俺、初めて知花のことを考えた」

「私のこと?」

「うん……」


どう考えてくれたのだろう、私のこと。


「知花だったら、知花がこの足の怪我のことを知っていたら、きっと……
心配してくれたはずなのにって」


幹人……

そう……もし、私たちがまだお付き合いを続けていたら、

私は幹人の足の代わりになろうと、色々頑張っていただろう。


「それと同時に、自分の言葉が、前に出せない状況になって初めて……
知花もこんなふうに、言い出せない思いを抱えたまま、
過ごしていたのかなってさ」


止まることを知らない幹人が、初めて止まったとき……

リズムよく歩けない人の気持ちが、少しわかったのかもしれない。


「知花は、俺にとって理想的な女性だった。優しいし、料理も出来るし、
俺が疲れて戻ると、細かいことをグダグダ言うこともなく、精一杯受け止めてくれて。
どんなに仕事で嫌みを言われても、それがすべて吹っ飛んだ」


幹人の言葉……心にしみていく。


「絶対に知花はそばにいてくれるという、その甘えの構図が、悪かったんだな」

「幹人……」

「最初は違ったのだろうけれど、いつの間にか、
与えてもらうことが、当たり前になっていた。
いや、知花がどう思っているのかなんて、見なくなっていたのかもしれない。
お前がどんな気持ちで、毎日を過ごしてきたのか、
不安や不満を聞いてやることもしないで、納得できているものだと、
思い込んでいた。俺が知花を選んで、結婚して、出世していけば、
俺が充実していたら、知花もそれで満足出来るだろうって……」


幹人の強さに惹かれて、彼のそばにいればそれでいいと思っていた。

自分の意見を言うことで、否定されたり惑わせたりするのは嫌だと、

今までずっとそう考えてきた。


「香住とのことも、甘えなのだと思う。
知花との時間だけは、不動のものだと疑わなかったし……」



『行くぞ……』



携帯から聞こえた声。

気持ちをズタズタにされた時の涙は、忘れることなど出来ないだろう。


「もっと、もっと、知花と色々と話をしなければいけなかった。
あれだけ、一緒にいた時間があったのに……」


私は、幹人の言葉を聞きながら、胸がいっぱいになってしまった。

苦しいこともたくさんあった。悔しい思いもないとは言えない。

それでも、彼の言葉に、意見に、言いなりになっていることが楽だったことも事実で、

こうなってしまった原因が、幹人だけにあるとはとても言えないことも、

わかっている。


「私こそ、黙っていないで、言わないとならなかった。
幹人が怒ろうが、機嫌を悪くしようが、
黙っていたら納得しているものと思われても仕方がない。
言わなくてもわかってくれというのは、ズルいことだって……」


気付くことさえ出来ていたら、こんなに簡単なことだったのに。

私たちは、傷つけあうだけで、別れることになってしまったのだから。




【20-6】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

≪Dressing 豆知識≫
知花の祖父がいる『和歌山県』。
梅やみかんの生産量が多いなのは有名だが、
実は『麻雀パイ』(御坊市)も1番。他にも碁石やサイコロも生産量が多い。

コメント、拍手、ランクポチなど、お待ちしています。(@゚ー゚@)ノヨロシクネ♪


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