22 ランチのあとで 【22-6】

【22-6】

頼み事があると言われても、私は、どうしたらいいのかわからず、

ただ、その場に立ち尽くすことしか出来ない。

世の中の出来事を、全て自分で知ることが出来ないことくらい、

いくら私だってわかっている。

それでも、一番近くにいる人のことを、根本的にわかっていなかったという事実は、

何をどう理解したらいいのか、受け入れたらいいのか、何もわからなくて。


三村さんは、三村さんではなく、

折原紘生という名前を持つ人だと言われても……



『折原製薬』という大企業の息子だと言われても……



私は……



「長峰さん」


どこかで、誰かが私を呼ぶ。


「……ねぇ、長峰さん、聞いています?」

「長峰さん、今の話、何も聞いていないでしょう」


今の話?

話など、何かされただろうか。


「すみません、聞いていませんでした」

「でしょうね」


紗枝さんは、もう一度話しをするので、ソファーに座って欲しいとそう言った。


「長峰さん、座りましょう」


隣にいる千葉さんに言われるまま、私はソファーに腰を下ろす。

もう、何も聞きたくない。今すぐにでもここを出てきたい。

これ以上、知らないことを積み重ねられたら、頭からあふれてしまうのに。


「長峰知花さん、それはあなたで間違いないでしょ」

「……はい」

「そう。それなら私のことは、紘生から何か聞いている?」

「お名前は聞いています。あの……」


『元婚約者』という話は、ここでするべきだろうか。

隣には千葉さんもいるし、言い出す勇気が持てない。


「名前だけ? はぁ……そうなの。まぁいいわ。
それも紘生らしいといえばらしいし」


紗枝さんはそういうと、この部屋にコーヒーを3つ頼むと、どこかに連絡を入れた。

そして、1枚の写真を持ち出し、私の前に置く。


「これ、右が私で、左が紘生なの」


三村さんの幼い頃の写真。二人とも手に風船を持っている。

背景は、どこかの遊園地ではないだろうか。野球帽を深めに被っているけれど、

見えている口元や鼻筋に、確かに面影がある。

二人は本当に、幼なじみだった。


「私がアメリカの大学に行っている間に、こんなふうになるとは全く思っていなくて。
おば様から連絡をいただいたときには、本当に驚いたのよ。
紘生、大学だって経済学部に行っていたし、将来はおじ様たちと一緒に、
『折原製薬』に入るものだと、全く疑ってなかったから」


紗枝さんは、年齢が三村さんより一つ下らしく、

彼女がアメリカに渡った頃は、確かに三村さんは普通の大学生で、

今とは違った時間を過ごしていただろう。


「デザインをやりたがっていたことも、何も聞いたことはなかった。
まさかねぇ……イタリアに仕事で向かったまま、
会社から逃げてしまうとも思っていなかったし、
おば様も、少ししたら戻るくらいにしか考えていなかったようだけれど、
期待を裏切られたおじ様は本当に怒ってしまって。
だから紘生は、そのこと以来、折原家には戻ってきていないのよ」


三村さんが友達に裏切られたことを知り、そのまま家に戻らなかった話は、

以前、聞いたことがある。



しかし、まさか商売というのが『折原製薬』だとは、考えたこともなかった。


「向こうにいる時にね、おば様から連絡をもらったの。
紘生がとんでもないことをしてしまったって。
私、幼い頃から、おば様にはかわいがってもらっていたから、
紘生を捕まえて説得してくれってそう言われて」


紗枝さんは、とんでもない役を引き受けてしまったとため息をつきながら、

自分の左腕についているブレスレットに触れる。


「でもね、つかまえてって言われても、
海外のどこにいるのかもわからないでしょ、それは無理ですって断ったのよ」


三村さんのお母さんが、SOSを出したのがこの紗枝さんということで、

互いの家の関係が、どれほど深いものだったのか、なんとなくわかる。


「一度、折原家に連絡があったと、聞きましたけど」

「それは、紘生が海外の賞を取ったから。
どこかの業界紙が、『折原製薬』の息子らしいって噂を聞きつけて、で……」

「で?」


千葉さんは、三村さんの過去に興味があるのだろう。

紗枝さんから、何かを聞きだそうとしているように思える。


「おじ様は一切知らない、そんなものは息子ではないとバッサリ。
まぁ、そういう記事を載せられては困ると、
ストップかけたというのが本当のところでしょうけどね。
跡取りが一人、仕事に出かけたはずの海外で、
気ままに好きなことをしているっていうのは、
株主とかから見たら、あまりいい情報とは言えないでしょ」



『跡取り』



「私はね、若いのだから無理に引っ張ってこなくてもと、正直思っていたの。
だって、紘生がいなくても『折原製薬』が潰れることはないでしょうしって」


紗枝さんはそういうと、見せてくれた写真を自分で手に取り、

横に置いていた手帳に、そっと挟んだ。




【23-1】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

≪Dressing 豆知識≫
チェストとは、引き出しのついたタンスなどの収納家具を示す。
それに対してキャビネットとは、扉のついた収納家具になる。
人気なのは、ガラス付きのものが多い。

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