35 冷たい壁 【35-5】

【35-5】

書類に書かれた年数は、6年前から始まっている。


「これは……」

「これは、紘生さんが勤務中にお金を持ち、仕事を放棄してから、
つまり、会社の不利益になる行動を取ってからの、一覧表です」

「一覧表?」

「はい。紘生さんがイタリアへ向かわれたのは、『折原製薬』の社員としてでした。
取引先との交渉のために、会社の経費を使い、滞在していたはずです。
その任務を完了することなく、しかも、会社に退職願を提出しましたが、
正式に受理されているのかどうか、確認もされておりません」

「あの……」

「『折原製薬』は、正社員という形ではなく、年更新の派遣社員として、
紘生さんの籍を残しておりました。ですので、紘生さん名義の通帳には、
それなりの給料も振り込まれております」


『給料』って……


「すみません、話がよく見えません」

「長峰さんが理解されなくても、結構です。
これを見て理解されるのは紘生さんでしょうから。
とにかく、『三村紘生』という男性が、『折原紘生』さんだとおっしゃるのなら、
これをお渡しください。所在が確認されたということで、
当時不正に持ち逃げした会社の経費、そして、払い込みを続けている給料の返還など、
法的な処理をさせていただきます」



『持ち逃げの経費』や『給料の返還』

それを今更……



三村さんが折原さんだということなど、すでにわかっているはずなのに。

私と会ってくれたのも、もう少し先を考えてのことだと、思っていたのに……


「長峰さん」

「はい」

「お話が続かないのでしたら、これで失礼してもよろしいかしら」

「……あ、えっと……」

「申し訳ないけれど、あなたでは話にならないの。紘生を思って下さるのなら、
これ以上ことを荒立てないようにしてください。
主人は、紘生の父親であるまえに、企業のトップなのですから」



『折原製薬』の化粧品部門。

その中にいる大勢の社員を束ねるのが、折原紘生という人の父親。



「横田さんのお名刺はいただいたのでしょ。
それならば、わからないことは直接彼に連絡をしてください。
私たちの気持ちも、すべて話してありますので」


三村さん、いや、折原さんのお母さんが立ち上がり、

弁護士の横田さんと部屋を出て行く。

私は、止めることも許されず、ただここにいることしか出来ないのだろうか。


「あの……」


一人だけ振り返ってくれた紗枝さんが、私に向かって首を振った。

呼び止めても、無駄だと言うことだろうか。

扉が閉まり、私以外すべて出てしまった応接室は、静かになった。




『余計なこと』



そう、『余計なこと』だったのかもしれない。

どんなに時間がかかっても、互いに歩み寄るタイミングを、

待てばよかったのかもしれない。

私が渦を作るのだと、張り切ってここへ来たくせに、何一つ動くことがなかった。





長峰知花の、愚か者……





「長峰さん」


声に振り返ると、紗枝さんが戻ってきていた。

私は横田さんから渡された書類を、封筒にしまう。


「だから言ったでしょ。そんなに甘くないって。
おば様も、紘生が本当に憎いわけではないわ。
でも、それだけ、紘生を頼りにしているし、諦めていないということなの。
本当は……」


将来に期待した、一人息子。


「とにかく、紘生に折原の家へ一度戻るように伝えて。
横田さんは、長い間、『折原製薬』の顧問弁護をしていた番場さんの弟子だから。
ただ、法律どおりに動くわけではないはずだけれど……」


弁護士が、出てくるなんて……


「あなたには無理だから……」

「紗枝さん、でも……」

「だってそうでしょ。お金の話など、今までおば様も、おじ様も
されたことはなかったのよ。でも、こうして書類にした。
あなたが無理やり入り込もうとして、気持ちを逆撫でしたら、
紘生は罪を背負わなければならなくなるかもしれないのに。
これ以上、話をこじらせないで」


紗枝さんはそういうと、ソファーに座ることなく、窓の外を見る。


「私……内緒でここへ来ました」

「内緒?」

「はい。三村……いえ、折原さんには何も言わずに、お母さんに会う決断をしました。
話し合いをした方がいいと、何度か言いましたけれど、彼はその気がないというばかりで。
私に『余計なことはするな』とそう言っていました」



『いくらあなたでも……許しませんから』



「余計なことをしてしまったのかもしれません……失礼します」


私は、すべてをカバンに詰め込み、紗枝さんに頭だけを下げると、

『MARBLE』を飛び出した。




【35-6】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

【折原ひろ子】
紘生の母。一族で経営する『折原製薬』に嫁ぎ、
紘生の成長だけを楽しみに生きてきた女性。親族の輪に入るのが嫌で、
友人の娘、紗枝をかわいがり、嫁にしたいと願っている。

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