36 思い出話 【36-3】

【36-3】

『逃げる』だなんて、

もしかしたらこのまままた、外国にでも行くつもりだろうか。


「逃げるって、それ……」

「はい……あ、いや、別に犯罪をして、外国に逃避行という意味ではないですよ。
その書類自体、おそらく母に頼まれた弁護士が、即興で作ったものでしょう。
こういうものを見せられて、あれこれ言われたら、
法律を知らない人は、焦るでしょうからね」


そう、私はただ焦ってしまった。

親子の言いあいだと思っていたことが、

弁護士だの法律だのという話にすりかわっていたから。


「はい、焦りました」

「でしょう……。大丈夫ですよ、細かく切って、メモ紙にでもしましょう」

「メモ? メモにですか?」

「そうです、紙がもったいないでしょう。
チュースケがあなたに会いたいそうですから、行きますよ」

「私に……」

「はい。弟子の横田さんが、今、『折原製薬』の化粧品部門、
つまりうちの顧問弁護士をしているので、
あなたが母に会いに行ったことを聞いたそうです」

「はい……『MARBLE』でお会いしました」

「だそうですね。『MARBLE』で会おうとするところが、母らしいです。
紗枝や利香子さんも、どうせそばにいたのでしょ」

「はい。紗枝さんのお母さんにも、お会いしました。
あ……でも、お母さんがいらした時には、外へ出てしまってましたけれど」


お店を出て、いつもの駅、いつもの改札をくぐる。

でも、いつもとは反対のホームに立ち、電車を待った。


「全く、母のしそうなことですよ。
とにかく周りが自分の方を向いていないと嫌なんです。
自分の味方がいると思っているので、強く出て行ける」


番場忠輔さん、三村さんの古くからの知り合いなのだろう。

私に会いたいと思ってくれたのは、嬉しいけれど、また緊張しそう。


「とにかく、折原家のことは長峰さんには無関係ですから。本当にこれ以上、
余計なことはしないように」


そう、私が出ていっても、からかわれてしまうだけ。

三村さんには、三村さんの考えがあるはず。

私はただ、彼を信じてあげること。


「……はい」

「どうして返事が遅いのかな」

「遅くないです、考えて返事をしました。もう、勝手に行動はしませんから」


私がなんとかしようだなんて、無理なことはしない。


「そうしてください。俺のストレスが溜まりますから」


私は申し訳ないという意味を込めて、一度しっかりと頷いた。

三村さんの手が、私の右手をそっと掴む。


「たまにはいいですね、長峰さんが申し訳ないと、小さくなっているのを見るのも」


三村さんがそういうと、こっちを見て口元をゆるめた。

申し訳ないと思いつつ、少し癪に障る。


「すぐにそうやって、嫌みを言う」

「嫌みではないですよ。そうそう、久しぶりにチュースケと会えることになりました。
長峰さんのおかげです」

「……三村さん」

「あなたの無鉄砲な行動も、少しは意味があったということでしょう」


あったかい手のぬくもりと、三村さんの素直ではない言葉。

そう、嫌みのようなセリフなのだけれど、

その中に、たくさんの思いがいつもあふれている。



番場忠輔さん……

私も、心から会ってみたくなった。





『番場法律事務所』


「番場さんの事務所ということですか?」

「そう。もう弁護士としては引退したらしいけれど、お茶組みしながら、
昼寝でもしているんでしょう」

「昼寝?」

「そう、昼寝」


『折原製薬』の顧問弁護士をする事務所だから、

もっと、きらびやかなビルの中にあるのだろうと、そう思っていたけれど、

案外、庶民的なお店が入っている雑居ビル。


「古いエレベーターだな、止まりそうだ、これ」

「そうですね」


うちの事務所のものよりも、古さでは上をいきそう。

なんとか動き、なんとか5階に到着する。

二人で揃って降りると、目の前が法律事務所だった。


「すみません……」


すでにみなさんは退社されたのだろうか、薄暗いけれど。


「おぉ……ボン!」



ボン?



「ボン、いやぁ……何年ぶりですか」

「チュースケ、その呼び方はするなと……」

「ん?」


番場忠輔さんは、白髪の男性だった。三村さんを迎えるときのしわくちゃな笑顔が、

二人の関係を物語っているようで、嬉しくなる。


「薄暗いな、ここ。電気代払っているのか」

「ボンが来るまで消していたんですよ。経費はとことん抑えないと」

「まぁ、そうだけれど……」


三村さん、『ボン』って呼ぶなと言っていたのに、受け入れている。


「さあ、どうぞ、どうぞ。入ってくださいな」


番場さんは、事務所の灯りをつけてくれた後、

小さな冷蔵庫から缶コーヒーを2つ出してくれた。




【36-4】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

≪Dressing 豆知識≫
日本で一番多いのは『スギ』の木。
『花粉症』の時期になると、お騒がせするスギだが、
やわらかい樹種なので、家具よりも小物向き(樽や桶)の材料になることが多い。

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