57 親の背中 【57-5】

【57-5】

「それじゃ、お先に」

「お疲れ様でした」


塩野さんが事務所を出たため、残っているのは私だけになった。

いや、まだ正確に言うと、上で二人、伊吹さんと紘生がタバコを吸っているはず。

紘生の机、一番上にある薄い引き出し。

確か、鍵はそこにあったはず。

人の机の中を勝手に見るのはいけないことだけれど、

私は自分のスケッチブックを取り返したいだけ。

他のものには一切触れなければ、許されるはず。

一応、首を伸ばして、エレベーターのボタンをチェックする。

まだ『F』に明かりがついているところを見ると、降りてこない。

今しかない……


「あれ?」


ない……

鍵がない。


「ウソ……」


読まれていた。

紘生はきっと、鍵を持っている。

腹が立つほど用心深い。私は開かない引き出しを何度が引っ張り動かしてみるが、

ガタガタ音をさせるだけで、何も変わらなかった。





こうなったら『まな板の上の鯉』になるしかない。

スケッチブックの奪還を諦め、私はまた自分の席に戻り、仕事の続きを始めた。

それから10分後。


「じゃ、お先に」

「お疲れ様です」


伊吹さんが退社。当たり前だけれど、残ったのは私たち二人。


「……返して」


こうなったら直接、戻してもらうしかない。

あれは私の私物。いくら紘生だって、勝手に自分のものにするのはおかしいはず。


「もちろん返すけど、知花のものだから。でも……見たら、ダメ?」

「嫌です、ダメです。やめてください」

「笑ったりしませんし、破ったりもしませんから」

「そういうことではないんです」


なんだろう。女性の気持ち、わかってもらえないだろうか。

空想などで気持ちを満たすようなことが、女にはいくつもある。

出来ない私が、あのスケッチブックの中だけでは、一人前気取りだったのだ。

そんな見せたくない部分は、いくら紘生でも……


「昔、言っていたでしょ。見せたくない部分を見る人は嫌いだって。
それをお返しします。だから返してください」


いくら恋人同士だって、全てを見せなければならないことはないはず。


「未熟なものだっていいよ。俺は、アイデアのひとつとして、
見たいなと思うだけなんだけどね」

「……アイデアなら、他の人のを見てください」

「知花のだから見たいのに」


『君だから……』なんてセリフを言われて、ここで照れている場合ではない。

私が表情を崩していないことに、いささか気付いたのか、

紘生はポケットから鍵を取り出すと、一番下の引き出しを開けた。

そこには昼間、私から奪った小さなスケッチブックが収まっている。


「俺、前から何度も言っていますけど。
本当に長峰知花というデザイナーの力を、評価しているのですが」


長峰知花……


「三村先生にデザインの楽しさも厳しさも教えてもらったけれど、
一生、続けていけるとそう思えるようになったのは、知花がいたからなのに……」


私がいたから……

いや、ここで折れてはダメ。


「戻してください」

「知花のチェストを見て、自分の中に色々思い浮かぶことがあって、
知花と話をする中で、新しい可能性も見えて来た気がするし……。
このスケッチブックの中に広がる景色にも、
きっと、俺にいい刺激を与えてくれるものがある気が、するんだけどなぁ……」


私のチェスト。

そういえば、私の仕事を初めて認めてくれたのが紘生ということになる。

『和歌山』の自然のように、いいデザインだと……



いや……



「返して」

「……はい」


紘生は、『ごめんなさい』と謝りながら、スケッチブックを私に差し出してくれた。

私はそれを受け取り、紘生からは見えないようにしながら、少しだけ中身を見る。

空想だけで突っ走っているあまい構図と、やる気だけがあふれているデザイン。


「はぁ……」


全く、当時はこれで満足出来ていたのだろう。

私はスケッチブックを机の引き出しに入れ、逆に鍵をかける。


「残念だな」


紘生はそういうと、本当に残念そうな顔をした。

もっと、あれこれ言って、強引に見せろと迫るのではないかと思っていたが、

ここまでが、あまりにもあっさりしていて、拍子抜けしてしまう。


「さて、そろそろ帰りましょう」

「……はい」


PCの電源を切り、文房具などもそれぞれの場所に戻す。

紘生は、出していた書類を袋に入れていく。



『見たいですか?』



戸波さんが関わった桐タンス。

紘生がイタリアで賞を取った本棚。

自然の中にあるオルゴールの店。

そして……クリスマスに出かけた『浪漫亭』


私がアイデアに詰まったとき、紘生はいつも手を差し伸べてくれた。

『応えてくれる』と言ってから、それはずっと変わらない。



『スケッチブックに広がる世界』



紘生だって、このデザインをそのまま使おうと思っているわけではなくて。

何か、ひらめくきっかけを探しているのだろう。



『一生、続けていけるとそう思えるようになったのは、知花がいたからなのに……』



そう、私だってそうだった。この仕事を続けていけると思えるようになったのは、

間違いなく紘生がいたから……

それなのに、このまま避けていいのだろうか。




【57-6】


《 Dressing人物紹介&豆知識 》

≪Dressing 豆知識≫
『アンティーク』とは、骨董品や古美術品、
または伝統様式の家具のことを示すが、
輸入税関の法律では、製作後100年を経たものとされている。

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