1 Target 【ターゲット】 【1-4】

【1-4】


『培養時における、遺伝子連鎖と細胞共存』




柿沼が出してきたのは、大学時代から積み重ねてきた研究資料を、

全て提出してほしいというものだった。

国からの予算を、他大学よりも多く確保するため、

有望な研究を発表する必要があるのだと、堂々と言ってのけた。

人が研究時間を作って欲しいと頼んだときには、平気でたいした研究ではないからと、

聞き流しておいて、急に手のひらを返してくるなんて。

僕はそれを聞きながら、冷たく凍りつきそうな気持ちを、なんとか保ち続ける。

自分が汗をかくことなく、悔し涙を流すことなく、名声だけを手に入れようとする、

この傲慢さ。


「申し訳ないですが、研究資料はお渡しできません」

「出来ない?」

「はい。これは岩佐教授から僕が教えられ、積み重ねてきたものです。
それに、僕以外の人間も、色々と関わってくれています。
大学院生活の中で、最後までしっかりと結果を出し、
亡くなった岩佐教授の気持ちを……」


柿沼は、書類の入った封筒を、思い切りテーブルにたたき付けた。

バシンという乾いた音が、映画撮影の『カット』という音に聞こえてくる。


「岩佐はもう、この世にはいない!」


驚くほど、大きな声だった。

岩佐教授が世の中にいないことくらい、僕だってわかっている。

柿沼の顔は、般若のように恐ろしく、歯軋りは、僕の耳まで届くような、

そんな大きさだった。


「わかっています。でも……」


言い返すべきではないと思いつつも、どうしても譲れなかった。

『でも』という言葉に、柿沼が冷たい目を向ける。


「宇野……」

「はい」

「お前が気にしている他のメンバー……とやらだけれど」

「……はい」



とやら……とはどういうことだろう。



「三本松が、それぞれにかけあってくれてね。手を引くことにはすでに同意をもらった。
結果としては『不成立』ということで、別の展開を他企業に追ってもらうことに、
何も文句はないと……」

「は?」


『不成立』

確かに、まだ100%の成果は出せていないけれど、このまま根気よく続けていけば、

必ず目は出てくるものだという自信が、僕にはあった。


「三本松さんが、どうしてそんなことを。この研究のリーダーは、
僕が指名されています」


大学院に残る前、メンバー全員の前で、岩佐教授からリーダーの指名を受けた。

三本松も、その席にいたはずなのに。


「何度言わせる……岩佐は死んだ」


柿沼の冷たい視線に、僕は口が開かなくなる。


「何度でも言うぞ、岩佐は死んだ。死んだ男が指名したことをいつまで残しておくのだ。
私が三本松に、役目をつけた。何か文句があるのか」


柿沼の座った目が、僕のことを上から下へと睨んでいく。

ヘビに睨まれているカエルなら、このとき、どういう覚悟を決めるのだろう。


「宇野……」

「はい」

「私が、この『東城大学』の研究室を、全て仕切る男だということを、
お前、忘れたわけではないだろうな」





これは提案ではなく、強制……いや、脅迫。





「形になるかどうかもわからないものと、目の前にある名誉と地位、
どちらが大事なのか、これからの生活に有効なのか、考えたらすぐにわかるだろう。
お前ほど優秀な男なら……」



『宇野。お前の研究に対するまっすぐな思いと実力があれば、
大学を動かすことが出来る……いや、この世の中を動かしていくことが出来るはずだ』



岩佐教授……



「生きるということは、何かを切り捨て、何かを得るものなんだろうね」


恐ろしいくらいに眩しい白衣を着た怪物の笑みに、

僕は何も言うことが出来なかった。





それからも、僕は柿沼の提案を頑なに拒絶し続けた。

たとえ、日の目を見なくても、あいつの手に渡るのなら、

全てをリセットしても構わないというくらいの思いがあった。

しかし、ある日、週末の休みを終え、研究室に向かうと……





僕の全てが、消えていた。





使っていた机、椅子、研究道具。

資料を入れたファイルなども、全てが見当たらない。

必死に探し、破片を集めてみたが、それはすでに手遅れだった。



『宇野班』は、根こそぎ刈り取られてしまった。

その場所には、二度と何も生えてこないくらい、徹底した後処理。



『東城大学 柿沼教授 これから伸びていく分野を語る』





岩佐教授の背中を追い続け、岩佐教授のためにと進めてきた研究は、

大きな組織の腹黒い男に、たたきのめされ、奪われてしまった。





僕が長い間続けてきた研究は、名前とほんの少し方向性を変え、

柿沼の手がけたものとして、公に発表されてしまった。

共同研究の欄を何度読み直しても、僕の名前はどこにも見当たらず、

宇野柾という研究者は、どこにも存在しないただの男になってしまった。





全てをかけてきたものとの引き替えを受け取れば、

僕はそれを了承したことになる。

結局、僕は……





全てを無くし、『東城大学大学院』を後にした。




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