2 Recognition 【認識】 【2-5】

【2-5】


突然、笑われるようなことをしたとは思えないが、

何か発言に問題があっただろうか。


「あの、何か」

「いやいや、失礼。ふと頭をよぎってしまって……」

「はぁ……」


次は、どんな条件を出すつもりだろうか。

来るなら来い。どんなものでも、受け入れてやる。


「一つだけよろしいですか」

「はい」

「くれぐれも、生徒には気をつけてくださいね」

「生徒……ですか」

「断言しますよ。宇野先生は、必ず女子生徒から好かれます」


教室長は、以前、若い講師が来たのだが、高校2年の女子学生と恋愛関係になり、

二人で駆け落ちをしてしまったことがあるのだと話し出した。


「高校生あたりがね、一番危ないんですよ。憧れと現実がふわふわしていて」

「はい」


心配してくれるのはありがたいが、生徒になど興味はない。

元々、教えることにも興味などないし、数年後のこともどうでもいい。

僕がこの職場に入るのは、ただターゲットとのゲームのためだけ。


「わかりました。気をつけて行動します」


そうとは言えずに、当たり前の答えを返した。


初めの2ヶ月は、修行も兼ねて受験とは少し離れた学生を受け持つことになる。

試用期間を終えた後、正式に契約が決まったら、

その後は少しずつ受け持つ学生を増やすらしい。

他に事務所にいた人たちにも頭を下げ、部屋を出る。

少し前まで相馬さんが拭いていた教室の前に立ち止まった。




『私が、この『東城大学』の研究室を、全て仕切る男だということを、
お前、忘れたわけではないだろうな』




忘れてなどいない。

彼女に近付くことで、あの男の足元へ近付くのかどうかもわからない。

それでも、業界にコネもなければ、政治家に知り合いもいない僕からすると、

柿沼とつながるかもしれない線は、今、ここしかない。





『宇野。お前の研究に対するまっすぐな思いと実力があれば、
大学を動かすことが出来る……いや、この世の中を動かしていくことが出来るはずだ』





岩佐教授。

あなたがまだ生きていたら、きっと僕を怒るでしょう。

くだらないことに時間を使うことなく、まっすぐに生きて行けと、そう言うはずだろう。

人をうらやんだり、人にウソをつくことを嫌っていた人だ。

反対されることも、軽蔑されることも、重々承知しています。

それでも……





何もしないというのでは、僕の心は収まらないのです。

柿沼を無視した人生など、僕にはありえない。

世の中のおかしさをわかった上で、愚かな男だと思い、どうか見逃してください。





「宇野先生」

「……僕……ですか?」

「あ、はい」


僕を追いかけ、教室長が渡し忘れた封筒を差し出したのは、相馬郁美だった。


「すみません、教室長が渡し忘れたと言われたので」

「あ、はい」


僕は封筒を受け取り、中身を確認する。

何やら問題集らしきものが入っていた。


「これは」

「はい。数学と生物のテキストだそうです。
学生によっては、授業で使ってる教科書を持ってきて、
教えてほしいという子もいますけれど、基本はこのテキストを解かせてほしいので」

「わかりました」


軽くめくってみたけれど、まぁ、内容的には十分対応できそうだ。

テキストをあらためて、封筒に入れていく。

目の前には、不思議そうな顔をした相馬さんが、立ち続けている。



やはり、彼女は僕を認識しているのではないか。

コンタクトがないからという理由の方が、しっくりこない。


「何か、他に」

「あ……ごめんなさい。難しそうなテキストなのに、なんだか頷いていたので。
理数系の頭を持つ人って、こういう人なんだなって、つい」


理数系の頭。

まぁ、そう言われてしまえば、そうだけれど。


「相馬さんは、文系ですか」

「私の名前を、どうして……」

「胸に名札をつけてますから」

「あ……」


相馬さんは、自分の胸の方へ視線を動かし、驚きの表情を、一気に崩して、

笑顔になった。


「そうでしたね、あはは……何言っているんだか、私」


無防備に笑う表情から、僕は視線をそらす。

そこら辺のホームドラマのような会話など、興味がない。

これから戦うべき女だと、あらためて自分に思いを押し込んでいく。


「学生たちはどうですか?」

「学生……ですか」

「はい。どんな雰囲気なのかと」


ターゲットはあなただけれど、形だけは講師なのだから、

揉め事でもおこしてしまったら意味がない。

いや、『いい先生』というイメージを、持ってもらわなければ、

何かと行動しづらくなるだろう。


「そうですね、学生たちはみんないい子ですよ。
もちろん、それぞれ個性はありますけれど、でも、明るいし、夢もありますし……」


相馬郁美は、屈折などしたことがないのだろうか。

中高校生という、人生で一番生意気盛りの生徒のことを、全力でかばっている。


「とにかく、子供たちの話を聞いてあげてください。
それが一番仲良くなれる秘訣だと思いますので」

「そうですか、ありがとうございます」


初対面からあれこれ語るつもりはない。

まずは、あなたのことを知ることから始めていく。


「それでは……」

「お疲れ様でした」


僕は塾の扉を閉め、大きく息を吐いた。




【2-6】

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