【3-1】
研究者として、その研究で相手にぶつかるのではなく、
関係ない人間を引っ張り出し、卑怯といえるような方法を選択しようとしている。
確かに、自分でもこんなやり方が正しいのだと、胸を張る自信はない。
「あぁ、そうだな。僕も卑怯だと思うし惨めだとも思う。でも、これが一番平等だ」
「平等?」
「そうだ……あの当時、研究が誰のもので、柿沼が何をしたのか、
准教授としてそばにいた三本松も、また同期や先輩方も何人も真実を知っていた。
でも、誰一人、あいつのしたことを間違いだという人間はいなくて、
本来なら、守られるべき僕のことも、誰も、見向きもしなかった」
岩佐教授と言う後ろ盾を無くしてから、僕は孤軍奮闘するしかなく、
研究の世界が、本来の道とは別の部分を持ち、勝手に歩いていることを知ってしまう。
「どうしてなのかわかるだろ。みんな柿沼を恐れていた。
あいつに媚を売って、いい就職先、多くの研究費用を出させること、
それを考えていたから、何も言えなかったんだ」
柿沼に逆らえば、次のターゲットは自分になる。
そこら辺の中学校で起きている『いじめ』の構図と一緒。
それを恐れている連中は、僕がどれだけ叩きのめされても、
見てみぬふりをするだけだった。
「わかっているよ、でも……」
「それだけじゃない。割り切って企業に入っても、実は同じことだった。
部長の誰と親しくなるとか、飲み会で持ち上げて、ゴルフのコンペに参加してって……
それで成績が上がるのもおかしいし、そうしないと機嫌を悪くする上司も、
みなレベルが低い」
「柾……」
「結局、この世の中は、地位と金が支配しているんだ。
あの時に、岩佐教授が亡くならなければ、僕はもっと違う道を歩んだし、
僕が奨学金を当てにするような、財力のない貧乏人でなければ、
誰が実力を持つのかさっさと判断して、あの柿沼の傘下で成績をあげていただろう」
そう、真実を訴えてみても、周りはそれを許さない。
それをこの10年、色々なところで味わってきた。
「でもな、この世にただ一つ、地位と金がものを言わない駆け引きがある」
「うん……」
「それが……『男と女』の仲だろう」
マニュアルどおり、思い通りには進まない。
心の中など、誰も表に出すことが出来ないから。
「生まれも育ちも完璧な男が、街で男に買われようと肌を出し誘う女に、
心底惚れてしまうこともある。一歩下がったところにいる人間からしたら、
ばかばかしいからそんな女は辞めろというだろう。
でも、人を好きになることは理屈じゃない、だからおもしろい」
条件だけで心は動かない。
動き出してしまったら、何を言おうが、壁を作ろうが、
危険など承知で、思いはそれを飛び越えていく。
「柾……」
「あの相馬郁美って女が、僕をどう思うのかはわからない。
そう、選ぶのは彼女だから、財力だけを比べられて、柿沼という中年男の方がいいと、
そっぽを向かれるかもしれない。それもまた相手の思いだ、仕方がない。でも……」
「でも……」
「何か、可能性があるとしたら、僕にはここだけだ」
「柾……」
届かないと思っていた柿沼の視線の中に、
入れるチャンスがあるとしたら、彼女に近付くしかない。
「気持ちさえ動かせたら、どう流れていくことになるかはこちら次第。
彼女が僕を受け入れたとしたら、そこから突き放すもよし、
秘密を知っているのだとしたら、それであいつを揺さぶるもよし……」
どういう女なのか、これからじっくり見ていけば済むこと。
「何もなかったんだ……では、終わらせない」
思いの代理でもいい。
あの男に届かない怒りの拳を、あの女にぶつけてみせる。
尚吾は黙ったままグラスに口をつけ、僕は思いをあらたにしながら、
喉に酒を押し込んだ。
午前中の予備校の景色と、午後の学習塾の二つの景色を持つこの塾は、
夜10時までなら学生たちが自由に使える席もある。
この2ヶ月間、僕は学習塾だけに関わっているので、
昼過ぎに到着すればいいのだけれど、相馬郁美は事務員のため、
主に午前中から仕事をしていた。
自習をし、環境に慣れるという事情を勝手にくっつけて、
彼女がいる時間に合わせて、出社する。
「おはようございます」
「あ……おはようございます」
全員が毎日来るわけではないので、大きなテーブルを、数名の講師が使っていく。
僕は自分の名前が書いてあるロッカーに向かうと、上着をハンガーにかけた。
小さな鏡に映る、ターゲットの顔は、どこか浮かない表情に見える。
話しかけるチャンス。
「はぁ……」
「どうしたんですか?」
「あ……すみません。朝から来週行われる実力テストの申し込みをしているんですけど、
なんだかパソコンの動きがおかしくて」
僕はロッカーを閉めると、すぐに彼女の横へ立った。
【3-2】
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