5 Approach 【アプローチ】 【5-6】

【5-6】


親密だった『明林製薬』と、柿沼の今の関係。

柿沼が本気になれば、山田の息子ひとりくらい、残すことなど簡単なはず。

柿沼があえて突き放したのには、どういう理由があるのだろう。

帰りに乗った電車の大きなカーブに、体が傾いた。

隣に立っていたサラリーマンに肩がぶつかり、申し訳ないと頭を下げる。



尚吾は、相馬さんのことを柿沼が知ったのは、『数年前』だと言っていた。

尚吾の会社『SAZAMI』の顧問を、柿沼が引き受けたのも、数年前……



『隠し子』と思っていたけれど、もしかしたら、この辺になにかあるのだろうか。

彼女と出会ったことで、柿沼は何かを変えなければならなくなったのだろうか。



長い間、自分を支えて来てくれた弟子を、切り捨てるようなことをしたら、

こうした裏切り行為に出てくることくらい、予想できるはず。

リスクをわかっていても、山田を突き放した理由……



相馬郁美にある、何か……

柿沼は、新しい場所に入り込まないとならなかったのだろうか……



澤野さんたちと別れ、帰りの電車に揺られながら、

僕は、塾の職員室で、真面目にキーボードを叩く相馬さんの横顔を思い出した。





本業が立て込んでいたため、その日、塾には予定よりも少し早い時間に着くようにした。

アレンに出していた宿題の答え、まだ導いていない。

教室には午前中講義を受ける浪人生が数人姿を見せていて、

その小さな輪の中に、相馬さんがいた。


「そんなに? アルバイトも大変なのね」


相馬さんは、アルバイトをしながら大学進学を目指すと笑う学生に、

体調を崩したら意味がないので、無理をしないようにと、最後の台詞を言う。

勉強で目指す場所に合格するまでは、異性との交友は禁止している彼らにとって、

優しい28歳の女性と語り合う、こんなわずかな時間も、また、

明日への活力となるのだろうか。


「宇野先生」

「はい」

「あの……お話があるのですが、少しいいですか」


相馬さんにそう声をかけられ、僕はわかりましたと返事をする。

少し思い詰めているような顔をしているけれど、ここに来ない1週間の中で、

何か起こったのだろうか。

午前中の学生がいなくなった教室に入ると、相馬さんは僕に頭を下げた。


「すみませんでした」

「あの……いきなり頭を下げられても、僕には何も」

「実は……」


僕が塾に顔を見せていない間に、

小学生たちには先週行われた『総合模試』の結果が、戻ってきていた。

本来なら、担当講師が授業の終わりに結果を戻すらしいのだが、

俊太の『理科』の成績がUPしていたことがわかり、相馬さんは嬉しくて、

点数を教えてしまった。


「前回20点くらいだったのに、今回、65点になっていたんです。
俊太君も嬉しそうで、私、『お父さんとお母さんに褒めてもらえるよ』って、
言ってしまって」

「はい」


今までの話しの中で、もし、まずいところがあるとすれば、

担当教師よりも先に、結果を本人に知らせたと言うことなのだろうが……

そんなことは、それほど重要だろうか。


「相馬さん。何も謝ってもらうことなどないですよ。俊太を励ましてくれて、
喜んでくれて、逆にありがたいくらいで」


そう、それは嫌みでもなく本音。


「でも……」

「僕が、先週忙しくて、急遽教室長に対応をお願いしてしまったので、
逆に迷惑をかけてしまいましたね」

「いえ、違います。違うんです……」


相馬さんはそう言いながら、右手で小さな拳を作り、

自分のこめかみあたりを、数回軽く叩いた。


「まだ、他に何か」

「俊太君、テストの結果のことを、すぐにご両親に話したら、
お父さんもお母さんも、65点で何を浮かれているんだって、逆に怒られてしまったと。
昨日、教室に入る前に、ここへ来て泣いてしまって……」


秋野俊太の家は、ご両親揃って有名私立を出ている。

3人兄弟の兄二人も、俊太が目指せと言われている『海南』に通い、

それぞれが中学と高校生活を送っている。


「確かに、『海南』を目指しているのだから、点数はまだ足りないかもしれないですけど、
俊太君、本当に頑張ったと思って、褒めてもらえるだろうって、私……」


よく小説でも、ドラマでも、兄弟の比較はネタにされている。

俊太の家も、例外ではないのだろう。

自分も兄も出来たことなのだから、この子が出来ないわけがない。

『挫折』を知らない人からすれば、そう思うのだろうが。


「親に褒めてもらえるって、本当に嬉しいことだと思って……」


そう、褒めてもらえることは、確かに嬉しい。


「それでなくても、いつもお兄さんたちと比べられて、
俊太君、悲しそうでしたから」


この1ヶ月くらいしか知らない僕よりも、相馬さんは俊太の表情を見てくれている。

子供というのは、絶対に気持ちが表情に出てしまう。


「比べられてばかりいると、気持ちが小さくしぼんでしまいます。
私も……幼い頃のことを色々と思い出して……」



私も……



相馬さんも、親に兄弟と比べられたということだろうか。

上の兄姉なのか、下の弟妹なのか……


「相馬さんのご兄弟も優秀な人だった……とか?」


兄、弟、姉、妹。兄弟姉妹の確率は4分の1。

彼女の雰囲気だと、男兄弟というより、同姓のような気がする。


「相馬さんは、お姉さんがいそうですね」


俊太に優秀な兄がいる話だったので、

何も考えず『姉』と表現してみると、相馬さんは明らかに表情を変えた。




【6-1】

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