10 Apology 【謝罪】 【10-3】

【10-3】


『今までで一番楽しかった思い出』



幼い頃に出かけた海のこと、学生時代一生懸命に取り組んだテニス。

いや、それよりも……


「大学時代……ですかね」

「大学時代……」

「はい。絶対にやり切れないと思っていた研究の成果が、初めて出たとき……
かもしれません」


大学2年。先輩と一緒に取り組み、最後、詰まっていた理論を、

僕が突破した。

岩佐教授が喜び、なぜか大泣き状態になった。

岩佐組を集めて、研究室でスクラムを組んだ覚えがある。

こうして僕達は、色々なことにチャレンジし、新しい世の中を作っていくのだと……


「スクラムを組んだのですか」

「はい。運動部でもないのに、おかしいですけどね。ものすごい一体感でした」


柿沼と僕の間柄も、彼女はとっくに気付いているだろう。

こうして当時のことを、聞きだそうとしているのかもしれない。

今更、隠すことはない。

それでも、壁を越えてくれるのなら、話しはさらにそこからなのだから。


「僕の尊敬していた岩佐教授は、学生の将来性をいつも考えてくれる人でした。
研究をしても成果が出ないときもある。それでもまた立ち上がって……」



『宇野、失敗なんて恐れていてはダメだ。小さな研究者になるなよ』



先生……


「立ち上がってガンバレと、そう言われたのですか」

「あ……はい」


しかし、先生の期待を、僕は完全に裏切ってしまった。

もう、戻ることなど、出来ない場所に行き着こうとしている。



今もまさに……



罪のない人を、くだらない『ゲーム』のカードとして、

利用しようとしている。


「もう10年以上も、昔のことです。
結局、研究者としての道は、諦めてしまいましたが」


柿沼が、ごく普通の男なら、こんなことにはならなかったのに。


「先生のそういう経験が、俊太やアレンにも伝わったのでしょうね」

「エ……」


相馬さんはそういうと、ナイフとフォークを揃えておいた。

ウエイターがコーヒーをお持ちしましょうかと、声をかけてくれる。


「俊太やアレンは、強くなっている気がします」


僕に対する褒め言葉。

お世辞だとはわかっているけれど、いつも彼女のセリフは心地よい。


「相馬さんの、一番楽しい思い出は……」


あなたが楽しいと思うのは、どんなときなのか……


「私は……」


いつものように、あまりプライベートについて、細かく語りたくないのだろうか。

言葉が滑らかに出てこなくなる。

なぜ、これだけ過去のことになると、家族のことになると、重たくなるのだろう。


「幼い頃、友達と自転車に乗ったり、近くの川へ泳ぎに行ったり、
何も考えずに、遊んでいられた頃かもしれません」


幼い頃の思い出。

確かに、誰でも明るい未来しか想像しない時期。


「あの頃は、私も何でも出来ると、思っていたのですが……」


ウエイターがコーヒーをそれぞれに置くと、頭を下げてその場を離れた。

相馬さんはいつもと同じように、ミルクだけを入れていく。


「今は……楽しくないですか」


業界の人間なら、頭を下げないことがない男を、『愛人』としてそばにおき、

欲しいものなら、何でも買ってくれるだろうと思えるのに、

不幸せだというのだろうか。


「今……ですか?」

「はい」

「あ、そうですね、今も楽しいです。子供たちと話をしたりすると、
夢があって……」

「そうですか」


また、話が止まる。


「今、この瞬間は……」


『楽しい』と感じてくれているのか。


「……はい」


彼女の視線が、僕を捕らえた。

今までとは違う、覚悟のある目。


「……出ましょうか」


まだコーヒーは残っていたけれど、彼女もしっかりと頷き、席を立つ。

僕は支払いを済ませ外に出ると、彼女の手を握った。


「今日は、このまま帰さなくてもいいですよね」


相馬さんは、小さく、でも確かに『はい』と答えてくれた。





受付で鍵を受け取り、宿泊用のエレベーター前に立つ。

微妙に空いた二人の隙間。

エレベーターが開き、中には誰も乗っていない。

僕は彼女を先に乗せると、すぐに扉を閉めた。

エレベーターが確かに動き出したことを確認し、腰を引き寄せる。

頬に優しく触れながら、キスを交わすと、彼女の声が小さく漏れた。


『男と女』

感情を支配するゲーム。僕は一歩奥へと踏み込んだ。




【10-4】

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