15 Mirror 【ミラー】 【15-5】

【15-5】


「先日、柿沼教授の講演会に行かれましたよね」

「……はい」

「その時、教授室で話し合ったという音声も、聞きました」



音声……

柿沼はあの日、僕との会話を全て録音していたということだろうか。


「その中で、姉の名前を宇野先生が出していたので。
やっぱりそうだったのかと、思ったのですが……」



『相馬智美』



富田さんから聞いていた名前を、そう、柿沼に対して、

やけになってぶつけてしまったことを思い出す。


「宇野先生は、姉のことを知っていて、このデータのために塾へ来たのだと、
そう思っていたのは、私自身ですから、何を見せられても、聞かされても、
あまり動揺しませんでした。だって、そうですよね、あんな場所にある塾に、
急に講師になりますだなんて、どう考えても、不思議でしたし……」


始めから、僕は、見透かされていたのだ。

くだらない『ゲーム』に、罪のない人を巻き込んでいる、

どうしようもない人間だということを。


「柿沼教授は立派な方なのでしょうが、私には、自分の目が一番信じられるものなので。
宇野先生が、本当に一生懸命俊太君やアレンに勉強を教えている姿を見ながら、
やはり、全てがわかりきらなくても、父の遺言どおり、お願いすべきだろうと、
そう……」


もう……限界だ。

これ以上、そ知らぬ顔で、話を聞いていることなど出来ない。


「申し訳ない」


僕はソファーから立ち上がり、床にひざまずき頭を下げた。

何も知らなかった。

『相馬智美』さんと家族のこと、岩佐教授に二人の娘がいたこと、

彼女が、全てを背負い必死に生きてきたこと。


柿沼が何を言ったのか、わからないけれど、

でも、どんなに醜く表現されても、全てが間違っているわけではない。


「宇野先生、そんなことしないでください。座って」

「相馬さん。今更、僕が何を言っても信じられないかもしれないけれど、
僕は本当に、あなたが岩佐教授の娘さんだと言うことも、
お姉さんが過去にそういった手術をしたということも、何も知らなかった。
だから、カルテを受け取る理由もないし、受け取るだけの資格もない」


岩佐教授に言われたように、研究者として懸命に生きているのならともかく、

僕は全てを諦め、『欲』の中に身を投じてしまった。

契約というものだけで仕事を選び、女性との付き合いを本能に任せ、

そして……



恨みのためだけに、あなたを利用した……



「とても、こんなものを受け取ることなど出来ないし、僕には、
岩佐教授の思いを、成し遂げる力などないんです」


最低な人間だと、蹴り飛ばされた方がまだマシだ。



「僕は……教授が知っている僕ではないのです」



もう……あの頃の『宇野柾』は存在しない。



「お願いします、座ってください。話ができません」


僕は彼女に腕をつかまれ、ソファーへ戻るようにとそう導かれた。

こうなったら、何もかも話すほかない。


「教えてください。姉のことを知らなかったというのなら、
それなら……なぜ、あの塾に来てくれたのですか」



あの塾に僕が行った理由。

会社からも家からも、近いわけではない場所に、なぜ僕が向かったのか……



「なぜなのか、教えてください」



それは……



「僕は大学生の時、岩佐教授には本当にお世話になりました。
研究も納得するまで頑張らせてもらいましたし、その頃は本当に、
自分が将来、人のためになれるのだと、疑ってもいませんでした」


輝かしい未来があるのだと、思い続けていた日々。

バイトと研究だけの大学生活だったけれど、今よりも何倍も充実感があった。


「でも大学院生になり、岩佐教授が亡くなってからは、全く何も出来なくなりました」

「何も?」

「はい。柿沼教授が、理学部の全てを牛耳ったからです」


研究も、就職も、彼を取り巻く人たちによって、流れていく日々。

僕は志も未来への思いも、全てなくしてしまった。


「研究結果を譲って欲しいと言われたことを断ると、
ある日、僕のデータは、全て抜き取られていました」


そう、抜き取られていた。

時期を待ち、それまで努力だけさせて……


「僕は、全てを失ったんです」


それからは、時を重ねただけで、今に至っている。

目標も夢も、とうに消えてしまった。


「仕事にはつきました。でも、目標もなければ、夢もありませんでした。
ただ、好きなように生きていく、それだけだった」


必死に努力していた自分は、消えてしまった。

岩佐教授に、背を向け続けてきたこの数年間。


「その時、あなたのことを知りました。
僕と同じように、柿沼教授に腹だたしい思いを持つ仲間がいて、
あの天下を取った男が、なぜか必死に世の中から隠そうとしている女性がいるのだと……。
だから、僕は、すっかりあなたは柿沼教授の……その……」

「『愛人』……ですか」

「はい」


隠すことなど出来ない。

どうせ軽蔑されるのだから。

それでも、もう、会えなくなるのだとしても、

ほんの少しの僕の事情を、理解して欲しかった。




【15-6】

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