16 Belief 【信念】 【16-2】

【16-2】


『私は、アレンや俊太に接している宇野先生が……本当の先生だと……』



相馬さん……



「尚吾……」

「なんだよ」

「柿沼が憎いと思う気持ちは、今も何一つ変わらない。それは、彼女にも説明した。
みっともない話しだけれど、届かない相手に、少しでもという気持ちで、
あなたに近付いたということも、話した」


初めて塾で会った日。

机を拭いていた彼女が、少し驚いたような顔を向けたのは、

岩佐教授から僕の名前を聞いていたから。


彼女は、教授から聞いていた僕と、実際の僕のギャップを知りながらも、

それでも大切なデータを預けようとしてくれた。


「そう、お前の言うとおり、僕は最低の人間だ。今更どうあがいたって、
やってきたことは償えない。でも、だからこそ、
最後に……彼女にウソではない自分を、どうしても見せたいんだ」


僕の研究のことも、あいつが色々な写真を撮り、彼女へ話したことも、

もう、どうでもいい。



「彼女には……彼女にだけはもう、ウソをつきたくない。
お姉さんの資料を、きちんとした形で、彼女から送り出させてあげないと、
僕は……きっと、一生前を向くことすら出来ない」



自分の幸せよりも、相手のことを考えられる人に、

せめて、最後くらい……




「愛は憎しみに勝つということか」




尚吾は半分笑いながら、書類を封筒に戻していく。


「岩佐教授の娘さんだからじゃないよ。
柾……その人に、お前自身が惚れたということだ」


そこまでどこか険しい表情を見せていたのに、あいつは楽しそうに笑い出す。


「ごめん、ウソだ、わかってるよ。わかっていてわざと言ったんだ。
お前がこれで、柿沼をゆするようなことはしないだろうなってことも」

「尚吾」

「ただ、どういう顔をするのか、困らせてやろうと思って、
俺はわざとふっかけた」

「は?」

「自分の気持ちっていうのは、案外見抜けないものなんだよ。
特にお前みたいにプライドの高いやつはさ」

「言いたいように言うな」


僕は空になったグラスに、日本酒を注いでいく。


「これをきっかけに、やり直しませんかと切り出せばどうなんだよ」


やり直す。

これから、普通の恋人同士のように……


「……無理だよ」

「無理? どうして」


そんなことに、ほんの少しの望みでもあるのなら、あの日、

コーヒーを全く飲まずに帰るということには、ならなかっただろう。

冷静な顔をしていたし、いつものように優しい口調だったけれど、

内心、思い切りひっぱたいてやりたいと思うのが普通だ。


「もう……個人的に会ってはくれないだろう」


他に相手がいることを隠し、彼女を抱きしめていた自分を、

許せという方がずうずうしい。


「塾……3月までで、やめようと思っている」

「……まぁ、そうなるか」

「本来なら、年明けから行くべきではない気もするけれど、
それでは子供たちにも迷惑がかかるしさ」


俊太やアレンの学年が、ひとつあがることを確認し、

僕は塾をやめようと、そう思っていた。





その年の終わり、澤野さんと富田さんが店をセッティングしてくれたため、

僕は相馬さんを迎えに行き、車でその場所へ行くことにした。

彼女は大切に書類を両手で抱きしめるように持ち、黙って助手席に座る。


「今日は、よろしくお願いします」

「はい」


何を話していいのか、わからなかった。

重要な任務を背負った運転手のように、僕は黙ったままハンドルを握る。

全てを聞きだしてから数日、彼女は何を考えながら過ごしていたのだろう。

すでに会社は休みに入り始めたのか、道路もいつもより空いていて、

動かし方のわからない空気を抱えた僕の車は、時間よりも相当早く、

目的の店へ到着した。

話しはついていたのだろう。店員がすぐに奥の和室に案内してくれる。


「富田様たちは、あと10分程度でお見えになるそうですので」

「わかりました」


案内してくれた店員が襖をゆっくりと閉め、部屋には僕と相馬さんだけが残された。

店の一番奥にある和室。

誰かが通るような足音も聞こえない。


「マンション、買い手がつきそうです」

「エ……」

「お願いしますとお話してから、結構すぐに連絡があって、
今、ほっとしているんです」


『マンション』

相馬さんが住んでいたあのマンション。


「あれは……」

「あれは、父が母と私たちに買ってくれたものです。
もちろん、父も一緒に住むつもりだったのでしょうが、姉の病気と治療のことで、
話が複雑になってしまって、4人揃うことは結局、なかったですが」


岩佐教授の残したマンション。


「宇野先生」

「……はい」

「俊太やアレンのこと、それに頑張っている本田君のこと、
どうかよろしくお願いします」


なぜ、今そんなことを言うのだろう。

彼女は……もしかしたら塾をやめる気だろうか。




【16-3】

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