『今度、お見合い写真送るから。早く幸せにならないと』
結婚をする気持ちなどないと言ったのに、母に届かなかったらしい。
いや、あの母のことだ。聞こえていても、聞こえないふりをしたのかもしれない。
『幸せでした……』
忘れなければと思うのに……
何かがあるたび、思い出してしまう。
彼女は今、前よりも幸せだろうか。
せめてそうだと思い、ただ祈ることで、少し気持ちが楽になるような気がした。
「はい、宇野先生」
「ありがとうございます」
新年、初めて塾に行ったのは、10日のことだった。
藤岡さんが僕のカップにコーヒーを入れてくれる。
『私が買う担当になってしまって……』
この素焼きのカップが、僕のようだと、相馬さんは言っていた。
優しい部分と、鋭く見える部分両方があるのだと。
ここにいたら、考えないと気持ちをそらすほうが難しい。
「宇野先生」
「ん?」
いよいよ受験の近付いた吉田君が、参考書を持って顔を出した。
僕はカップを横に置き、廊下へ出る。
「すみません、今日は僕、先生の授業ではないんですけど、
自習室が使えるので、来たんです。で……」
「わからないところがあるのか」
「……授業の合間でいいんで、少し見ていただいてもいいですか」
俊太の授業と、アレンの授業。
そうその間には1時間くらいの隙間がある。
「10分後に授業があるから、それが終わったら自習室を覗くよ。
それでいい?」
「あ……はい、すみません」
本田君は頭を下げると、すぐにリュックを担ぎ、自習室へ上がっていく。
僕の視線は、自然と藤岡さんの前の机に向かった。
『宇野先生、ありがとうございます』
彼女がいたら、きっと、本田君と一緒に頭を下げているところだろう。
学生が、目一杯頑張れるようにと、いつも気を配っていた。
「さて、俊太、来るかな」
コーヒーを飲みながら、外に続く廊下を見ていると、
数分後にカバンを肩にかけた俊太が現れた。
「先生、はい」
俊太は、カバンから何やら取り出すと、これはお土産だと僕に渡してくれた。
そういえば、年末に冬休みになると講習で忙しいから、
その前に祖父母の家に遊びに行くと、話してくれたっけ。
「餃子と思ったんだけど、冷凍だとここで溶けちゃうだろ。
おばあちゃんに先生へのお土産、何か考えてって言ったら、焼き饅頭を送ってくれた」
「焼き饅頭」
「あのね、小麦粉でお饅頭のように餃子の具を包んであるんだよ。
餃子は生だけれど、これは火を通してあるし、にんにくも入っていないんだ。
あとは軽くレンジで温めれば食べられるって」
俊太は、すぐに食べないのなら冷凍して、食べるときに温めろと、
そう付け足した。地方にあるようなお店の包装紙と、
さらに巻きつけてある地方の新聞紙。
ふと、田舎にいる母を思い出す。
「レンジでか」
「うん。チンってすると、美味しいよ。僕、おばあちゃんのこれ、
すごく好きなんだ」
「うん……」
まさか、俊太が本当にお土産を持ってきてくれるとは、思わなかった。
「よかったよ、宇野先生いてくれて」
「どういう意味だよ」
「だってさ、相馬さんにも持ってきたのに、いなくなっちゃったから……」
俊太は、相馬さんはよく自分を褒めてくれたので好きだったのにと、
鉛筆を並べながら、そうつぶやいた。
子供の素直な思いに対し、どう返事をしていいのか迷うだけで、
何も言葉が出てこない。
「相馬さんならきっと、『すごく美味しい!』って、笑ってくれたと思うんだけどな」
『俊太君が、喜んでくれました……』
『海南』という難関校を目指す小学生。
親も兄も優秀なだけに、ちょっとしたことでは誰も褒めてはくれない。
俊太のそんな寂しさに、彼女がいち早く気付けていたのは、
彼女自身、病気がちな姉の影になり、いつも寂しい思いをしていたからなのだろう。
「俊太」
「何?」
「よし、次までに先生が食べてきて、感想を発表するから」
「発表? オーバーだな」
「そうか?」
久しぶりの俊太との授業だったが、宿題もしっかりとこなしていて、
苦手意識もずいぶん消えていた。このまま頑張って積み重ねていこうと、
あらためて約束することになった。
【16-6】
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16 Belief 【信念】 【16-5】
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