18 Aroma 【芳香】 【18-2】

【18-2】


本館を中心に、円形に広がった場所にある離れには、それぞれ食事も運ばれてくる。



『霧』



部屋の前には、切り株で作られた部屋のプレートがつけてあった。

少し重量感のある扉を開くと、そこには畳の香りがする和室が見えた。

その奥にも庭に出られる和室があり、部屋の広さはもうしぶんない。


「お食事は、こちらまで運ばせていただきます。お時間は……」


夕食の時間、そして備え付けの温泉の説明と、本館にある大浴場の説明。

手際よく仲居さんの説明が続く。


「それでは、ごゆっくり……」


僕らに頭を下げると、仲居さんは静かに部屋を出て行く。

僕は立ち上がり、山々の広がる先に見える海を見た。


「こういう景色を見るだけでも、気持ちが変わるね」




ゴミゴミとした東京から、この場所で生きる決意をした相馬さんは……

今、何をしているだろう。




「……ん?」


背中から、彩夏の腕が、僕の体に回っていく。


「少しだけこうしていていい?」

「……どうしたんだよ、まだ早いだろ、夜には」

「そうじゃないの……」


ふざけて言ってみたつもりが、彩夏が真剣な顔をしているのがわかり、

僕はそれ以上何も言えなくなった。

彼女の腕を取り、しっかりと向かい合う。


「楽しむために来たんだろ。そんな不安そうな顔をするなって」

「……うん」


僕は、彩夏をそっと抱きしめ、夕焼けに向かい飛んでいく鳥たちの声を、

しばらく聞き続けた。





夕食も文句がない料理だった。

お風呂も自然の岩を活用したもので、天然温泉という売り文句がある、

レベルの高いものだった。

揃ってテレビを見ながら、ゆっくり過ぎて行くときを感じ、

互いに好きなお酒を2杯飲み干した。

込み入った話しはしなかった。

彩夏も僕も、互いに触れていることが、愛情の表現だと思っているし、

また、求められていることだと信じていて……


身に着けていたものがスーツやワンピースではなくて、旅館の浴衣で、

横になる場所が、ホテルのスプリングが効いたベッドではなく、

畳に敷いた布団という違いはあるけれど、結局、僕らは素肌を見せ合い、

また、いつものような時間を迎えていく。


「うーん……」


彩夏は余韻を楽しみながら、すっかり眠りについている。

僕は彼女を起こさないように体を布団から出し、もう一度浴衣に袖を通す。

小さなウイスキーボトルには、まだお酒が残ってるかと思っていたのに、

蓋を開けてみるともう、何も残っていない。


「ふぅ……」


静かな部屋だった。

黙って目を閉じていれば、山の奥にいる動物たちの動く音が聞こえてくるくらい。

実際、鳥が飛び立つ音、猫が鳴く声は、すぐにわかる。



彼女は、この静けさを心地よく思っているだろうか。

自分のため息が響くようになる時間を、寂しく思うことはないだろうか。



『私の父は……東城大学教授、岩佐幸志です』



岩佐教授。

取り返しのつかない罪を償うには、僕は、何をすればいいのでしょう。



月の見える場所に腰かけ、用意していた氷の残りをグラスに入れる。

僕は聞こえない声に耳を澄ませ、ただ、時を見送ることしか出来なかった。





季節は春を迎え、僕が教えていた子供たちも、それぞれ学年を上げた。

『海南』を目指す俊太は、いよいよ勝負の年、6年生。

そして、生意気な女子高生アレンは、高校2年生。

目指す大学を最初から決めて頑張っていた吉田君は、見事に合格し、

以前、相馬さんに恋心を見せていた浪人生も、晴れて塾を卒業した。

僕が『SOU進学教室』に渡した日程は、週に2日。

新しい学生をあまり取ることはせずに、とにかく、今いる子供たちのことを、

しっかりフォロー出来るようにしたいと、そうお願いした。


本来なら、辞めるつもりだったけれど、相馬さんとの約束がある。

俊太とアレンのことだけは、頑張らないと……





「続けたのか、結局」

「うん。僕を残すために、彼女が塾をやめたようなものだから。
それを無視できなかった」

「そうか……」


尚吾は食品会社『SAZAMI』の開発担当部署に移り、以前よりも忙しくなった。

同じ会社に勤める彼女とは、きちんと続いているようだけれど、

まだ、結婚は難しいとそう答える。


「どうしてだよ」

「彼女のお姉さんがさ、まだ未婚なんだよ。
で、ご両親がどうしても年齢順でと、こだわっていてね」


確か、尚吾の彼女は僕達より2つ下だったはず。

となると、お姉さんは、僕らよりも1つ上になる。


「年齢順って、今時そんなこと気にするのか」

「だろ、俺もそう言ったんだけど、以外にそういうことにこだわる人たちも、
いまだに多いらしい」


尚吾はそういうと、慣れた手つきで、『ハイボール』を作ってくれた。

つまみは、以前も買ってきたコンビニの枝豆。


「なぁ、柾。お前、彼女の姉さんと付き合って結婚しろよ」

「は? どういうことなんだよ、その言い方」

「だって……俺、いつまでも結婚できないし」


尚吾はそういうと、わざと両手で顔を覆う仕草を見せた。




【18-3】

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