18 Aroma 【芳香】 【18-4】

【18-4】


「もしもし、お久しぶりです」

『おぉ、相棒、元気か』

「それはこっちのセリフでしょう」


澤野さんは、年間のうち2、3ヶ月は趣味に取り組むため、僕らの研究班から姿を消す。

明るい声を聞けたということは、それなりに成果があったということだろうか。


「仕事、復帰できそうですか」

『あぁ、今年はなかなかスムーズに進んでさ。これで心置きなくまた、
数字とデータばかりを追える気がするよ』

「そうですか、それならよかったです」


澤野さんと会わないうちに、春という季節は、あっという間に過ぎていった。


『なぁ、宇野。今、お前どこ?』

「今日は部屋です。この天気だったので、
なんだか『ストレイジ』に顔を出すのも面倒で」

『は? お前、年寄りじゃないんだからさ』


澤野さんはそういうと、今から出てこないかと僕を誘ってくれた。

時計を見ると、まだ昼を少し回ったところで、世の中は一番忙しいだろう。


「今から酔うんですか?」

『そんなに酔わないよ。ちょっとだけだって』


僕は出そうとしたコーヒーサーバーをしまい、澤野さんの誘いに乗ると、

タクシーで待ち合わせ場所へ向かった。





「まずは乾杯」

「乾杯」


澤野さんが選んでくれたのは、創作中華の店だった。

小さなお皿にいくつもの料理が並び、好きなものを取りながらお酒を飲む。


「仕事の方は変わりなかったか」

「はい。とりあえず予定通りには進んでいます。
澤野さんが戻ってきてから取り組もうと思っているものもありますけれど、
取り急ぎでやらないとならないことは、ないですね」

「ふむふむ……さすが宇野だね」

「何を言っているんですか」


僕達と同じような仕事をする人間が、『ストレイジ』には4人いて、

それぞれが役割を決め、研究成果を製品に反映させている。

みんな他にもやりたいことがあるため、組織に縛られない仕事を取っただけあり、

休むときには長期が多い。


「澤野さんが戻ってきたら、田辺さんがいよいよアフリカ行きですよ」

「あ、そうだったな、そういえば。あいつ、民族衣装を着て、
とにかく大声を出す趣味って、全く俺には理解できないけどね」


台に乗って運ばれてきた小皿を、僕達は2つ3つと選んでいく。


「人の趣味は、そもそも理解できないものですよ」

「そうかなぁ……」


そう、以前にも休みにはひたすらお寺周りをする同僚がいたし、

僕にしてみたら、ロボットだけに集中する澤野さんだって、相当変わっている。


「あ、そうだ、富田が来てさ」

「富田……あぁ、『中央新聞社』の富田さんですか」

「そう、陣中見舞いだとかいって」


相馬さんの亡くなったお姉さんの記録。

10年が経過しているということで、

関わった人たちにも余計な捜索がかからないように、配慮してもらった。

その結果、裏で金を動かしていた柿沼にも、厳しい目が向けられることはなかったのだが。


「結構仲がいいですね、お二人」

「は? バカいうな。俺たちはそういう間柄ではないんだ」

「……そうですか?」

「そうだよ。そういうふうになるとさ、
酒を飲んでいても、なんだか落ち着かなくなるだろうが」


澤野さんの何気ないセリフが、妙にしっくり来た。

そう、確かに、彩夏とお酒を飲んでいると、それはただの通過点に思えてしまう。


「柿沼先生、ずいぶん露出を減らしているみたいだな」


『柿沼栄三郎』

『東城大学 理学部 教授』という地位を利用して、

報道番組から、教育番組まで、色々とインタビューを受けることが多かった。


「露出して、講演会っていうのが、金稼ぎの定番でしょうに。
さすがに裏で色々気付かれていたのが、多少は影響しているんですかね」


あの怪物でも、さすがに色々まずいことを起こして、

状況が変われば全てが明らかになるようなことは、

そろそろ控えようと思っているのだろうか。


「いや、そうじゃないみたいなんだ」


澤野さんが言うには、柿沼は自分が表に出ることをやめ、

そういう地位を目をかけている部下に譲り、

自分はさらなる遊びに入り込もうとしているのだと、語ってくれる。


「さらなる遊び」

「そう、柿沼の家族が経営している化粧品会社関連」


柿沼の奥さんは、元々大きな総合病院の娘で、柿沼が大学での地位を確立させると、

さらなる財産を増やすつもりになったのか、妻に会社を作らせ、

そこに息子たちを役員として送り込んでいる。


「今、サプリメントとか、健康志向だろ。そういう研究施設と保養施設の建設を、
どうも狙っているらしいんだ」


澤野さんは、水餃子が熱くてやけどしそうだと言いながら、

何度も息を吹きかけた。僕は小さめの春巻きを箸で掴み、口に入れる。

柿沼を落とせなかったのは確かに悔しいが、

僕が今更どうこう言えるものではなくて……


「伊豆……」



伊豆……


「伊豆?」

「あぁ、そう。伊豆なんだって」


静岡県の伊豆。

たったそれだけで、何もかも当てはめるのは間違っているかもしれない。

しかし……


「相馬さんに何か」

「いや、富田はそれを逆にお前に聞きたがっていた。彼女の居場所、
お前、知らないのか」



『楽しかったです……』



「澤野さん、以前も話しましたよね、
僕は彼女にとても再会できるような立場ではないんですよ」


自分の鬱憤晴らしのために、罪のない人を利用した。

今更、何をどう……


「まぁ、確かにな。たださ、彼女の亡くなった母親。色々と借金をしていたらしくて」

「借金?」



『マンション、売れそうです……』



「あ……」

「どうした」


相馬さんが岩佐教授の娘であるということが、相馬智美さんが彼女の姉であることが、

そう、あの出来事があまりにも大きすぎて重すぎて、どこか通り過ぎていたけれど、

相馬さんは東京のマンションを売っていた。




【18-5】

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